ie(イエ)
レポート
2021.10.01
カルチャー|CULTURE

ie(イエ)

来訪者とのコミュニケーションによってアップグレードされていく、ファッションやカルチャーに関する多目的スペースが札幌に誕生

「札幌にきっと行きたくなるようなおもしろい場所ができるよ」。昨年11月末に荒川の河川敷で行われたKEISUKEYOSHIDA(ケイスケヨシダ)のショー後にささやかに行われた打ち上げの場で、ライターの山口達也さんからそんな話を聞いた。なんでも、同じくその打ち上げに同席していた和田典子さんが、地元の北海道でファッションやカルチャーに関する新しいスペースをオープンし、同時にZINEも出版する予定なのだという。

その言葉どおり、2021年3月、ギャラリーや図書室、ミニバーなどを備えた多目的スペース「ie(イエ)」が札幌に誕生。新型コロナウイルス感染拡大や緊急事態宣言の影響などもあり、未だ現地には足を運べていないのが残念なのだが、オーナーである和田さん、そしてZINEの製作などに深く携わった山口さんにオンラインインタビューを行い、あらためて詳しいお話をうかがうことにした。

札幌に足りなかったのは、界隈やボーダーを超えて人々がフラットに交わり“異物”を吸収し合える場所?

「実を言うと、ゆくゆく何か“媒体”をつくれたらいいなっていう思いはずっとあったんですが、空間や場所を持つということは最初からは考えてなかったんです」(和田さん)。

もともとは東京にいて、雑誌『i-D Japan』で編集者として働いていた和田さん。3年ほど前、地元の北海道遠軽町に戻ることになったのが「ie」誕生のきっかけだった。帰郷後も定期的に東京との行き来はしていたが、カルチャーが好きでロンドンや東京で働いていた頃とのギャップに徐々に苦しむようになっていったという。その後札幌へと引っ越し、札幌の街を知っていく中でおもしろいカルチャーや人の存在を発見していったものの、札幌にとって新しい何かがまだあるんじゃないかと感じ、ならば自分自身で作ってみてもいいのでは?と思い至ったそうだ。

和田さんが札幌のカルチャーに興味を抱いた入り口は、4年前にライブを弾丸で見に行って『i-D Japan』時代に取材したthe hatchというバンド。ほかにもTHA BLUE HERBの存在や、札幌のテクノシーンを牽引する「Precious Hall(プレシャスホール)」という実は世界的に注目されているクラブなど、音楽シーンはある意味ガラパゴス的で独特のユニークな発展を遂げていると感じたと話す。しかしその一方で、海外の雑誌や、写真集、ZINEやインディペンデントな雑誌を取り扱う書店が少なかったり、音楽のプレイヤーとファッション好きの人があまり繋がっていないという実感も得たそうだ。

「ふだん会わない人というか、いわゆる界隈みたいなもの、そういうボーダーがなくなってフラットに交わって“異物”を吸収し合える場所ができたら、新しい何かが生まれるのではと思ったんです。たとえばファッションデザイナーやエディターといった、意識的に行動しないと札幌では交わる機会のない仕事の人と出会えるような場所ができればいいなと」(和田さん)。

「ie」オーナーの和田典子さん。 (Photography:Natsumi Chiba)

元は遊郭だった建物をリノベーション
芝生の敷き詰められた多目的室はインパクト大!

場を作ることを決めた和田さんは、昨年10月に築58年の一軒家を見つけ、11月からリノベーションを開始。単なる一軒家ではなくもともとは遊郭だった建物で、その後はホストクラブの寮として使われていたのだという。2階の4部屋それぞれにガスメーターが残っていたり、リビングを通らなくても風呂場に行けるような造りになっていたり、押し入れの奥からホストの名刺が1枚だけ見つかったりという、当時の面影をしのばせるようなエピソードもおもしろい。

場所はススキノの中心から徒歩10分ほどの閑静な住宅街。歓楽街から少し歩くだけで豊平川や中島公園といった、想像を裏切るようなスケールでいわゆる“北海道らしい”と直観できる自然豊かな光景が広がるコントラストがユニークだと、毎回東京から訪れている山口さんは話す。それは以前「ACROSS」でも取材した新宿・歌舞伎町にある「THE FOUR-EYED(ザフォーアイド)」のような “歓楽街の中にある秘境”とは似て非なるものだ。

ちなみに「ie」という名の由来にもまた、ススキノの街とのつながりが隠されている。ススキノの近くには二条市場という市場があり、そこでは夜通し飲んでしまった若者が朝ご飯に朝定食を食べて帰るというカルチャーがあるのだそうだ。

「いまの時節じゃ叶わないことですが、その話を聞いて真っ先に思ったのが、どこかの帰路で『あそこ寄って帰ろうよ』って場所になったらいいね、と。それってどこだろうと考えたら、最たる場所が“家(イエ)”じゃないかなと。『あいつ/お前の家寄っていこうよ』と立ち寄ったら、友人と再会したり、初めて会う年上の方もいたり、思いがけず心を打つような作品や本と巡り合ったり。そういう気さくな性質も何らかの垣根を越えるためにはあってもいいんじゃないか。もちろん単純に一軒家っていうのもありましたけど」(山口さん)。

リノベーションには延べ30名ほどの人々が協力。もとからの友人やその友人、たまたま街で会って手伝いに来てくれる人や工具を貸してくれる人、Instagramのストーリーでリノベーション作業中と知って手伝いに来てくれた人など、さまざまな人々が「何かおもしろそう」という期待感を持って集まってきたことが窺える。

温かみの感じられる表札。 (Photography:Natsumi Chiba)
ieのフロアガイド。 (design:Yosuke Tsuchida)
内装のディレクションはスペースデザイナーの栁澤春馬さんに、什器製作は静岡の職人である太田祐輝さんにそれぞれ依頼。フューチャリスティックなステンレスの素材使いで、もとの建物と新旧のコントラスト感を出したという。

フロア構成は、1階は3つのギャラリースペースとミニバー、そして2階は多目的室と図書室、シーズンやコレクションといったシステムに与せず、「ie」の動きに合わせて変容していくというファッションルーム、ZINEの編集室。

ステンレス製の襖が印象的なギャラリー(1st room)。 (Photography:Natsumi Chiba)
フューチャリスティックな素材と竹を想起させる什器のコントラストも「ie」らしい。 (Photography:Natsumi Chiba)
なかでも2階の多目的室は、床一面に敷き詰められた芝生や、まるで銭湯の壁画のような大雪山の写真がインパクト大。その名の通り、特に決まった使い方があるわけではなく来訪者に自由に使ってもらうスペースとして活用していくという。図書室の本を持ち出して寝そべりながら読んでもいいし、ギターを弾いてもいいし、友人と飲みながら過ごしてもいい。

「こちらから何か仕掛けるだけでなく、ゲストに空間の活用法を委ねるアンコントロールな要素のある場所にして、予期しないものを見たい気持ちがあったんです。『そういう使い方するんだ』とこちらが気づかされるようなことが起きたらおもしろいなと」(和田さん)。

多目的室には銭湯のような大雪山の絵が。 (Photography:Natsumi Chiba)

来訪者によって日々アップグレードされていくスペシャルな図書室

図書室には札幌の書店であまり売られていない希少性の高い古書なども多く、アーカイブの雑誌、海外のアート本や写真集、クラシックな小説まで幅広いジャンルの本が揃う。だがそれだけでなく、多目的室と同様に来訪者とのコミュニケーション装置という側面が強い空間でもある。

「実家が本屋ということもあり本に囲まれて育ったので、最初から図書室は作りたいなと思っていました。でも私が選んだ本だけだと偏りが出るので、いろんな方に声をかけて本を贈与していただいたり借用させていただいたりしています。そうするとゲストの方も、『私も持ってきたから入れとくね』と言って、本を持ってきてくれるようになったんです」(和田さん)。

そのおもしろさは、仮想のゲスト像に向けて一方的に本が揃えられているのではなく、「ie」というコミュニティの中で本棚がアップデートされていき、「ie」の人格のようなものとして成長していくところにある。また、いわゆる書店や図書室、また自分の部屋で本を読むのとも異なる体験を得られるのも特徴だ。

「どこでファッションショーを見たのかと同じで、記憶とつながっていくんですよね。僕は、過去の経験を思い出すときに、その場の雰囲気や質感も同時に喚起される。『ここでこの本を読んだ』という、本が空間や身体と結びつくという体験のきっかけをうながせるんじゃないかと思うんです」(山口さん)。

“図書室”という響きをいい意味で裏切ってくれるオレンジの床が鮮烈な図書室。 (Photography:Natsumi Chiba)

スペースと連動するコミュニケーション装置としての『ie zine』

スペースと連動した『ie zine』もオープンと同時に創刊。第0号のテーマは「new beginnings」。札幌のライブハウス/イベントスペース「PROVO(プロヴォ)」の中西拓郎さん、セレクトショップ「unplugged(アンプラグド)」店長の伊藤健さん、「Precious Hall」などでプレイするDJのOCCAさん、写真家のリョウイチ・カワジリさん、アーティストのKURiOさんなどのコラム&ポートレイト、前出のthe hatchへのインタビューなど、札幌のカルチャーシーンで活躍する人々が、自身の“はじまり”をつづったそれぞれの言葉によって札幌という街の輪郭を描き出した。また、このZINEの編集自体にも、和田さんが札幌で出会った2人のスタッフが携わっている。

それだけでなく、昨年ベルリンに移住したライター/編集者の冨手公嘉さんや大阪のセレクトショップ「PALLET art alive(パレットアートアライヴ)」店長兼バイヤーの河村伊将さんによるコラム、KEISUKEYOSHIDAの2021SSコレクションを写真家の小野啓さんが撮り下ろしたものなど、札幌在住に限らず、和田さんや「ie」と繋がりのあるさまざまな人々を同時に取り上げることで、単なる札幌のローカル誌とも異なる、ボーダレスな側面を持たせている。

表紙のデザインは「ie」のステンレスの襖を想起させるメタリックなものとなっており、そこには読者の顔が鏡のように映り込むこと、そして否が応でも指紋が表紙についてしまうことで、読者の存在がZINEそのものに刻み込まれていくという仕掛けになっている。さらに、通常の冊子ではなくスクラップブックのように2つの穴で紙をとめただけの構造になっていることも大きな特徴だ。

「読者の方が自分の好きな写真を1枚入れるとか、自分の好きなページ順に組み直すとか、読者にとって余白の部分を残して、コミュニケーションの痕跡を残しながら完結できるようなものにしたいなと考えているんです」(和田さん)。

『ie zine』第0号。表紙の写真は、作業の最中にスタッフ一同でコンビニに向かうところを山口さんが撮影したもの。写っている男性が、札幌で出会った編集スタッフの2人。 (Photography:Natsumi Chiba)

札幌の文化的なショップのスタッフや高感度な若い世代が徐々に集まってきた!

オープンから約半年。COVID-19の影響で思うように営業できない時期もあったが、札幌の文化的なショップのスタッフや、高感度な若い世代が中心に集まりはじめたことで、スポットとしての個性も形作られつつある。中には札幌まで1時間以上かけて訪れるという人もいるそうだ。札幌の“札幌性”のようなものをきちんと温存しつつ、東京やロンドンなどのカルチャーの最先端を、空間そのものやそこに集まる人々とのコミュニケーションを通じて感じられるという体験は、これまでの札幌にはほとんどなかったのではないだろうか。

そして、ある一定の方向性を示しながらも訪れる人々にとっての余白が大いに存在する「ie」のような空間、お仕着せの “多様性”とは異なる豊かな空間を求める人々は、東京だけでなく各地方都市でもこれからますます増えていくはずだ。

台所に併設されたミニバー。 (Photography:Natsumi Chiba)
なお、現在「ie」では “Sakas at ie sapporo”を開催中。会期は10月3日(日)まで。ヴィジュアル・ムービーの展示とスクリーニングインスタレーションのほか、3都市のPARCOで開催されたポップアップ型のコンセプトショップ「SHOWROOM」に向けて製作された一点物のアイテムの展示・販売、『sakas zine』と関連したアートワークの展示なども行っている。9月11日(土)にはKIDILL(キディル)デザイナーの末安弘明さんを、9月26日(土)にはAPOCRYPHA.(アポクリファ) デザイナーの播本鈴二さんをオンラインでゲストに招いたトークセッションも行われた。

そのほかには、札幌在住で2019年のITSでファイナリストにノミネートされたジュエリーデザイナー・前田明日美さんによる「SURROUND 纏う | 纏わる」も7月20日から開催中。5ヶ月間の会期中で植物のように徐々に変化していく造形作品が展示されている。

今後は、ライターの冨手公嘉さんとフォトグラファーの相澤有紀さんが現在制作中の書籍がリリースされた際に関連の展示などを行う予定だそうで、引き続き要チェックだ。

現在開催中の “Sakas at ie sapporo”のようす。 (Photography:Kouhei Iizuka)
【取材・文:大西智裕(『ACROSS編集部』)】


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