ここ数年、コーヒーの話をよく耳にする。ニューヨークではコーヒーハウスがあちこちでオープンしており、そのなかのいくつかは日本にも出店し、話題となっている。書店でコーヒーが飲めるのは当たり前になり、コーヒーを出すアパレルの店舗も少なくない。
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6月24日に次期ニューヨーク市長の民主党候補を選ぶ予備選挙の投票が行われた結果、ゾーラン・マムダニが最多票を獲得した。 33歳の移民のムスリムが前ニューヨーク州知事を破ってニューヨーク市長候補に選ばれた、そう伝えるところもあるようだが、年齢や人種的なプロファイルよりも、投票に至る顛末にこそ注目すべきことが多くあったように思われる。振り返って記しておこうと思う。 今回の予備選挙をひとことで言うなら「エスタブリッシュメントの完敗」です。 マムダニはクイーンズのアストリアに住む州の下院議員。昨年10月に市長選挙に立候補しましたが、その際にまともにとりあったメディアがひとつでもあったかどうか。 一方ニューヨーク州知事を10年にわたり務め、不動産産業をはじめとするビジネス界に深いつながりをもつ67歳のアンドリュー・クオモは、今年の3月になって市長選挙に立候補することを発表しました。数々のセクハラとパワハラ疑惑により2021年に州知事を辞任したクオモですが、今度は市長として政界への復帰を目論むというものです。良くも悪しくも、まあ少なくとも市民の間では主に後者の意味で、知名度は抜群です。 大方の当初の見方は「クオモか否か」というもので、「否」であるなら誰がクオモに対抗できるのか、そこが焦点だったはず。そこにマムダニの名が挙がることはまずなく、調査はクオモが支持率で大きくリードしていることを伝えていました。 5月20日付でニューヨーク・マガジンがマムダニのプロファイル記事を出しました。彼をまともにとりあげたほぼ最初の主流メディアだったのではないでしょうか。投票の1ヶ月前です。「社会主義的ニューヨークの夢を売る」とフレームしつつも、その評価については曖昧な内容でした。 それ以降マムダニのプロファイル記事を目にするようになり、The Nationのような雑誌はまあそりゃそうでしょうというところですが、より主流に近いメディアが彼をとりあげ始めたようです。 市長候補としてのマムダニの主張は、富裕層や大企業への課税、バスの無料化、無料のチャイルドケア、市営の食料品店、一部のアパートの家賃凍結など、住民の生活コストを下げることを中心としたもので、住民の日常にある具体的なニーズを満たすメッセージを終始一貫して伝えました。 その提案は若い人たちの間で支持が強く、同時に、それはエリートやエスタブリッシュメントが嫌うことばかりでもあったようです。 彼の選挙キャンペーンには4万人ものヴォランティアが熱心に手伝い、各家庭のドアをノックして回っていたというから大変な動員力です。また支持者たちが、選挙チームとは関係なく、DIYの支援集会を開いていたことからも、彼の原動力が草の根のコレクティヴの力にあることがわかります。 そうした動きが徐々にモメンタムを築き、メディアは遅れてそれに追いついたということなのでしょう。投票まで数週間と迫ったところでマムダニが猛追してクオモに肉薄、クオモを上回ったと伝えたところもありました。 マムダニを止めなければいけない。ブルームバーグ元市長にビル・アックマンなど、ビリオネアやビジネス界が巨額を投じて反マムダニのキャンペーンに出ました。 民主党の大物たちもクオモ支持の見解を出し、マムダニに対して批判的なコメントをくり出しました。ビル・クリントンによれば、マムダニは経験不足でダメだということらしいのですが、当のクリントンが32歳でアーカンソー州知事に就任したことなど、都合よく忘れたふりができないようでは大統領など務まろうはずはありません。 ニューヨーク・タイムズは、ニューヨーク市長選挙について同紙としてエンドースすることをやめたと昨年正式に発表しました。ニューヨークのメトロ紙面を縮小するなど、近年はその紙名の由来である都市を離れる動きが顕著なのですが、市長選挙をエンドースしないとの先の決断を翻すように、マムダニは票を投じるに値しない、クオモに票を入れろと促す記事を出しました。読者が困惑とともに受け取ったメッセージは、なりふりかまわぬエリートたちの鼻息の荒さというところでしょう。 クオモ支持の表明はさらに続いたものの、名乗りをあげるのが極右のチャヤ・ライチク、経歴詐称などで下院から除名された共和党のジョージ・サントスといった人たちで、支援の足しになるどころか、あれは間接的にマムダニを支持するジョークだったのじゃないかといまでも思うのです。 それにしても、ここまでビジネス界やエリートたちが露骨に応答することは珍しい。マムダニが主張する、人や暮らし重視のポリティクスは、エリートたちがとにかく忌み嫌うものであり、そのことに関するかぎり、リベラルか保守かといった自称他称は意味を失うようです。今後こうしたことをもっと目にするようになるでしょう。 エリートのパニックぶりとそこに見えてくるもの、それが今回の選挙のハイライトのひとつだっと言えます。エラい人たち総出の阻止工作にもかかわらず、あるいはそれだからこそ、それを押し返すようにしてマムダニは最多票を得ました。 もうひとつつけ加えておくと、市のコンプトローラーでやはり市長選挙に立候補していたブラッド・ランダーが、マムダニと相互にエンドースしたのは巧みな戦略でした。とかく「俺ファースト」の個人競争の政治において、そうした協調/協働を目にすることは珍しい。ランダーとしては、戦況を見たうえで、確率が少ない自分の勝利よりもクオモを落とすことを優先したということだったのかもしれません。 そしてランダーといえば、投票の10日前に移民に付き添っていたところをICE (アメリカ合衆国移民・関税執行局) により逮捕されたニュースが伝わったことで、折りからの反ICE感情を追い風として世論が一気にランダー-マムダニに傾いたことにも言及しておく必要があります。ランダーはユダヤ系の人なのですが、釈放されたランダーとマムダニが並んだところに宗教を超えた連帯を見た人たちは少なくなかったはずです。ランダーなくしてマムダニの大勝は起こり得なかったはずなのです。ランダーはクオモに次いで三番目の得票数でした。 選挙後もマムダニをめぐる大騒ぎは続いています。 しかし、他都市にはこうした市長が先に出ていたことを思い出しておきましょう。富裕層への課税案のためでしょうか、マムダニをシカゴ市長のブランドン・ジョンソンに比する人もいるようですが、より近いのはボストン市長のミシェル・ウーです。 ウーも市長に選出された時点では、その若さとアジア系女性であることが注目されたのですが、そんなことよりも大事なのは彼女のポリティクスです。特定のバス路線の無料化、公立校に通う子供の家族には市内ミュージアムや動物園を無料にしたり、子供優先、暮らし優先の市策といえばいいでしょうか。こうした市長はニューヨークが初めてではないのです。 もちろんボストンとニューヨークはいろいろな面で違います。ボストンも大都市ですが、ウーのような理知的な人はボストンにはいいのでしょうけれど、ニューヨークには少し堅苦しくて、もう少しどこかネジが緩んだような人でないと支持をとりつけるのは難しいかもしれませんね。現市長のようにネジが全てとんでいるのは困りますが。 そしてニューヨークはウォール街をはじめとするビジネスのメッカ。大騒ぎになっているのは、そうしたところでマムダニのような市長が現れようとしているためなのかもしれません。マムダニが親パレスチナ運動を行い、パレスチナで起きていることを「ジェノサイド」とはっきり言う人であることとも無関係ではないはずです。 ところでウーは市長選挙キャンペーン時にプログレッシヴと思われないように配慮したそうですが、それに比べると、マムダニはプログレッシヴ路線を全面的に押し出すキャンペーンを展開しました。ウーが市長に選出されたのは2021年11月のこと。仮にマムダニが当時市長選挙に出馬したとして、今回のような大きな支持をとりつけることができたでしょうか。この数年の間に世の中は、普通の人たちの考え方は、大きく動いたのかもしれません。 もっとも民主党のエスタブリッシュメントはそれに気づかなかったようです。昨年の大統領選挙にしても、トランプが勝ったわけではなく民主党が勝手に負けた、民主党のいわば一人負けでした。世間離れしたエリートたちには世の中の人たちのことがわからないのか、いまだに従来のプレイブックを書き換えることができないらしく、マムダニが勝ったのは、民主党のプレイブックに反することばかりをしたからだという指摘も肯けるものです。 マムダニがキャンペーン向けに準備したロゴも特徴的でした。投票後に学んだことなのですが、そのロゴは民主党の青や共和党の赤といった従来の選挙色は使ってはおらず、イエロー・キャブやハラルのカート、ボデガなど、ニューヨークの通りにある人びとが日常的に利用するものを感じさせることを意図したのだそうです。小さなデザイン協同組合Forgeによるもの。あらためて見てみると、たしかにどこか見覚えのある馴染みのものに見えます。 それで思い出すのは、キャンペーン中に好みの朝食を聞かれたクオモが「マフィンにベーコン、チーズ、エッグ」と答えてニューヨーカーの嘲笑を買ったこと。ニューヨークに住む人なら誰でも、それが決して「ベーコン、チーズ、エッグ」ではなく「ベーコン、エッグ、チーズ」だということを知っているはずです。どうでもいい些細なことではありません。すごく大事なことなのです。そうしたところにこそ人は住んでいる所のアイデンティティを感じているわけですから。そういえば以前、ピザをフォークとナイフでお上品に食べているのをバカにされた市長もいましたね。ピザのスライスを手に歩道を歩くことがニューヨークと言ってもいいくらいなのに。 それはともかく、選挙を意識してニューヨークの古典的な朝食に言及しようとして失態を晒したクオモに対して、マムダニが「ベーコン、エッグ、チーズのオーダーの仕方を知らないだけでなく、通りを実際に歩くことによってではなく、テレビのスクリーンを通じてニューヨークを理解している男だ」と手厳しく追撃したのも当然なのです。 実のところ、マムダニのキャンペーンにとって、外にいること、通りを歩くことは特に重要なことでした。彼の人気をソーシャルメディアの扱いの上手さに探る向きもあるようですが、なるほどたしかに、生活費の高騰を「ハラフレーション」と言ってのけたり、2021年に市長選挙に導入された分かりやすいとはいえない「ランクト・チョイス」の選挙方法を自らヒンディー語で説明する動画を、この言葉がわからない人もいるかもしれないから念のため英語の字幕をつけたよと言ってアップしたり、ユーモアに満ちたチャーミングなものが多いのは事実ですが、彼の何よりの訴求力は、数万人がドアをノックして回ったように、外に出て人に直接話したところにあったはずです。つまりIRL (in real life: リアルで会う) です。 「2024年の大統領選挙はポッドキャストの選挙と言われたりしたが、2025年のニューヨーク市長予備選挙はIRLだった」とある新進メディアが指摘していました。意識的にオンラインを離れようとする若い層と、マムダニの支持層が重なってもいる。スクリーンを離れて、外を歩き、通りで、地下鉄で人に会うこと。投票前日にはマンハッタンを北端から南端まで歩き、深夜に働く人たちに会って話しをすることでキャンペーンを終えました。その際には「最もニューヨーク的なことは外にいること」で、ニューヨークには外にいる市長が必要だと彼は言ったそうです。 それを伝えたメディアはニューヨーク市内に増えているジャーナリストのコレクティヴのひとつなのですが、以前記したように、企業ジャーナリズムのあり方や運営の仕方を疑問視する人たちが、自ら共同所有する新メディアが立ち上がっています。つまり、マムダニのポリティクスと共鳴する動きはすでにあったわけです。今回の躍進は必ずしも晴天の霹靂というわけではなく、彼のような人を受け容れる準備は少しずつ進んでいたと言えないでしょうか。 予備選挙に勝ったとはいえ、マムダニが実際に市長に就任することになるかどうかはまだわかりません。 現時点で気になるところがあるとするなら、彼の支持層のことです。マムダニの支持は大卒の若い人たちを中心としています。今日のアメリカでは大卒の人ほど企業に対して否定的な見方をしていて、同時に労働組合を支持するようになっています。その意味では不思議ではありません。 単なる反動で終わらないためにも、それ以外の人たちの間でのマムダニの受け止め方がもう少し見えてくるといいのですが。 (おわり)
yoshiさん