ここ数年、コーヒーの話をよく耳にする。ニューヨークではコーヒーハウスがあちこちでオープンしており、そのなかのいくつかは日本にも出店し、話題となっている。書店でコーヒーが飲めるのは当たり前になり、コーヒーを出すアパレルの店舗も少なくない。
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「撮影所の人間というやつは、どうしてああ撮影所の近所の食堂というものが好きなんだろう」。 大島渚は大船での時期をのちにふり返り、「めし時だけでなく、ちょっとでも暇があれば、すぐ近所の食堂へ行くのが撮影所の人間だった」と述懐している。 大島が松竹社員として松竹大船撮影所で働いた1950年代後半には、撮影所の近くに4-5軒の食堂があり、松竹関係者が毎日のように利用していたようだ。 小津 (安二郎) 組はいつも「月ヶ瀬」と決まっていて、洋食の「ミカサ」は大庭 (秀雄) 組と中村 (登) 組が贔屓の店、木下 (恵介) 組と渋谷 (実) 組は和食の「松尾」で組食といった具合に、食堂の棲み分けも決まっていたようであり、もっとも木下組と渋谷組が共に常連だった「松尾」では、この二監督の仲が悪かったために、どちらかの組の一党が先にいるとわかると去っていくということだったらしいから、縄張りとでもいう方が相応しいのかもしれない。 撮影所内には社員食堂があり、従業員はそこで食べることもできたのだが、大島自身も助監督として入社して一年も経つとすぐに近所の食堂に足が向かっている。 大島によると、大船撮影所にかぎらず、社食一般は労働と分かちがたく結びついていて、そこには働かされる屈辱、働くために食べさせられることの屈辱の思いがつきまとっているというわけなのだが、それとは対照的に、働かされている意識から解放されて、映画をつくることだけを考えることができたのが近所の食堂だった。 こうして大島は、借金覚悟で近所の食堂で飲み食いするようになる。 午後5時以降の残業には会社から食券が出て、深夜早朝もやっている社食でその食券を使って腹を満たすこともできたのだが、それでも社食は使わないという魂胆なのだから、近所の食堂が繁盛したのは、ほかでもない社食のおかげだったのではないかと考えてもみたくなる。社食があったからこそ、松竹スタッフはその社食を避けて、近所の食堂に集まったのだ。 会社が社食を設ける理由ははっきりしている。社食は効率的に働かせるためのものだが、近所の食堂はそうではない。「松尾」の店内には「食前食後のなにげない雑談のなかから大船げいじつが生れる」という趣旨の額が飾られていたというのもいかにも示唆的だ。 それにしても、なぜそこまで社食は忌避されたのだろう。撮影所から出ることもなく素早く食事を済ませられる、便利で安上がりな手段なのだが、おそらくそれこそが社食が不人気だった理由に違いない。社食には食べること、食事を済ませることしかない。そしてそれは労働のための食事である。一方近所の食堂はといえば、打ち合わせはもちろんのこと、下宿によろず相談と、ありとあらゆることに利用していたようだ。 1936年の撮影所の大船移転と同時に開店した「松尾食堂」は、大船撮影所の前で営業を続けた、かつ丼が人気の近所の食堂だった。 父親が開業した店を女学生の頃から手伝い、その後店を引継ぎ、1973年の閉店まで店を切り盛りした山本若菜の回想録によると、「松尾」は映画監督やスタッフ、そして俳優たちが日夜利用する溜まり場だったようだ。 撮影中は深夜2時にドカドカと当たり前のようにやってくる一行に夜食を準備したというから、決まった営業時間はあってないようなものだったらしく、料理に関しても、それぞれの人の好みを覚えていて、それに合わせて調理をしたという。 駆け出しの美空ひばりに、ほかの監督とは違って助監督ではなく三船敏郎や志村喬といった俳優たちをつれて店にやってきた黒澤明など、スターと著名映画人たちの名が忙しく連なる食堂の物語なのだが、そこでなにより興味をひくのは、著名人たちが残した逸話よりも、その食堂商売の営み方である。 食堂とはいえ、「松尾」は飲み食いを提供するだけの場所ではなかった。家の物置を麻雀部屋に改造して使わせたし、家族の部屋を監督たちが利用できるように提供したというから、「飲み食い以外」の部分も大きな役割を担っていたのは間違いない。「グニャグニャした身体」の川島雄三を店の二階に住まわせ、飲み食いの代金はもちろんクリーニング代の立替をも川島は溜めこんだ。入社して間もない今村昌平も二階の家族の部屋を占領して居候を決め込んだという。 求めに応じてスタッフの洋服の仕立てを行うし、「松尾」店内をセットとして使わせることはもちろん、撮影に店の家具を貸し出して破損して戻ってきたこともあれば、飲みつぶれた客が泊まってゆくのは当たり前のことのようだった。 「お客さんというよりもお友達」と女将はふり返るように、日常的なお裾分けやお土産のやりとりはもちろんのこと、女将やその妹たちが監督などと頻繁に出かけるだけでなく、松竹関係者の旅行に同行したりもするわけだから、もはやお友達以上、家族の延長という方が相応しい間柄だったのかもしれない。結婚が決まった香山美子に玉子焼きの作り方を教えたのも、家族なら当然のことである。 田中絹代や撮影所長などごくわずかな人たちを除いて、「松尾」での飲み食いはツケときていて、なかには溜めこんだツケをついぞ払わず足が遠のき、それっきりになってしまった人たちも少なくなかった。松竹にボーナスが出たら勘定を回収して回るといった具合で、おかげで金策には常に泣かされたらしい。仕入れ先には三ヶ月遅れで支払いをして、税金も滞納し、店が差し押さえになったことを知らずに競売寸前で阻止したこともあり、その結果さらに借金が膨らんだ。 映画人たちの世話をあれこれ焼いていたそのさまに、これは本当に食堂商売なのかとも思ってしまうが、そこには代金と引き換えに飲み食いさせるだけの、銭金とは異なる種類の経済関係があったと考えるべきなのかもしれない。実際のところ、客商売とはいえ、「松尾」と客の間には、通常の商売関係よりもずっとフラットで対等な関係を感じるし、両者間に長年にわたる強い信頼関係があったことはあきらかである。 ツケを溜め込んだ人が大勢いた一方で、なかには人のツケを払っていったり、自分のツケを払う金がなくても先に同僚のツケを払った人たちもいたというから、その債権債務関係も表向きは店と個人間のものではありながら、より大きな共同体的性質でもあったのかもしれない。 とはいえ「松尾」とて「げいじつ」のために食堂を営んでいたわけではなく、商売であったことは間違いない。 「松尾」の回想録には映画人たちの思い出話が次々と登場するが、そのたびに、川島雄三は13万円強、中平康は1万円といった具合に、店に残したツケに詳細に言及するのは、まぎれもない商売人による松竹関係者に対するささやかな復讐というわけなのだ。借金覚悟で近所の食堂で飲み食いを始めた大島渚といえば、その覚悟通りに24,820円のツケを「松尾」に残し、小山明子が一年後に支払い精算している。 その「松尾」も晩年にはツケの飲み食いはぐっと減り、現金で払う客が増えたというから、経営は少しは楽になったに違いない。ただ女将に言わせると「世話を焼かせ情を移す人が少なく」なったということでもあったらしく、それはお友達であり、家族の延長のような客がより客らしくなり、映画人たちの賑わうハブ (溜まり場) が純然たる食堂ビジネスになってゆく過程でもあったようだ。 その過程は今日もあちこちで続いている。 よく顔を出す馴染みの店がある者なら誰でも知っていることだけれど、人はビールのためにバーに行くわけではない。バーに行くことと、ビールを買って自宅で飲むことは、全く別のことなのだと説得を試みても、わかってもらえないことがある。バーをビールを飲む場所と変換してしまうと、たしかに自宅でビールを飲むのと変わりはしないということになるが、それは社食も近所の食堂も食べることに変わりはないと考える、社食の発想というものである。 バーの大事な部分は「ビール以外」のところにある。実際バーでは毎日いろいろなことが起きている。バーでパートナーと知り合ったというのはよくある話しだが、大昔は仕事を探しに人はバーに出向いていた。そこはいろいろな情報が飛び交う場所であり、求人情報を得るのに相応しいところだったようだ。もちろん求人はその後バーから切り離されて、それ自体独立した一大産業になっている。 同じようにパートナーを見つける場所は、出会い系アプリになりつつある。ある時期Tinderに明け暮れていた知人が「バーに入って誰かいい人がいないか見回してみたり、そんな悠長なことはもうできない」と、プロファイル写真が次々と流れてくるスクリーンを見ながら、アプリの利点を説明してくれた。実際その彼はアプリでパートナーを見つけて、いまはすっかり落ち着いている (そしてバーにはまだよく来ている)。なるほど出会い系アプリには出会いたい人たちだけが、出会うことを求めて集まってくる。同じ目的を共有しているし、そこに目的はひとつしかない。それ以外のことは、そこではまず起こりそうにないし、たぶん起きない方がいいのだ。その意味では、出会い系アプリは、バーよりもむしろ社食に近い。 バーはパートナーを探しに行くところではない。それでもバーで人と知り合うことはよくあることなのだ。それが場所としてのバーの優れた点でもある。バーが人と出会うことだけを目的とする場所になってしまったら、その目的を達成するには便利かもしれないが、おそらくそこにいることそのものを楽しめる愉快な場所ではなくなってしまうだろう。 人はいろいろな理由でバーにやってくる。友人と会う約束をしている人もいるし、酷暑の夕方に冷えた休憩場所を求めて足を踏み入れるかもしれない。うまくいかなかった長い一日を忘れるためにやってくることもある。一番いいのは、目的などなくぶらりと立ち寄り、バーの席で特に何もせずに、バーテンダーとちょっとした愚痴を交わして、周りの客をぼんやり眺めていたりすることなのだが。 それでもそこに座っているだけで、いろいろな話しが耳に入ってくるだろう。初めてディールをクローズしたばかりの新米不動産エージェントが興奮気味に取引のことを事細かに話しているのが聞こえてくることもあるだろうし、バーで場違いな音楽をかけて周囲を不愉快にさせる行為をロバート・ワイアットからとって「ワイアッティング」と呼ばれていることなど、少しも役に立ちそうにない話をたくさん仕入れることができる。 最近ではレストランの食事を自宅に届けてくれるサーヴィスが人気だが、それも飲み食い以外の部分を削除しようとする企てなのかもしれない。外に出ずに自宅に届けられた食事を素早く流しこみ、そしてすぐにスクリーンに戻ろうというわけだ。ひょっとしたらスクリーンを見ながら食べている可能性もある。紛れもない自宅の社食化である。 本を売ること以外の部分を削ぎ落としたビジネスがオンライン書店だ。オンライン書店と実店舗書店を全く別種のビジネスとして扱うことが多いようだが、「書店は本を売るところ」と限定的に規定したうえで、「それ以外」の部分をすべて排除しつつ、規模の経済を追求しているのがオンライン書店と考えることはできないだろうか。そう考えると、オンライン書店はそれほど目新しいものでもなく、むしろ大昔からのビジネス原則をより徹底するうえで有利な条件を与えてくれるのがオンラインだったともいえる。 オンライン書店が「本を売るところ」であるように、コーヒーショップは「コーヒーを買うところ」、映画館は「映画を観るところ」になっている。当たり前に聞こえるかもしれないが、それが当たり前になったのは実は意外と最近のことらしい。 たとえば映画館は映画の上映だけではなく、弁士の存在をはじめ、歌姫が歌い、そして観客も一緒に歌う場所であったし、そうした館内でのライヴ・パフォーマンスは1980年代まで続いていたという。多くの人が集まる映画館では、映画を観ること以外の実に雑多な多くのことが行われていた。ニューヨークでも比較的最近まで、夏は冷房を求めて映画館に向かう人が多かったし、エアコンが行き渡った今日でも、熱波がやってくると映画館は決まって客入りが増えるのだ。映画館は涼むところでもある。それでも観客の均質化は避けられず、「映画館は映画を観るところ」としていまやほぼ定着している。 本来的に多目的で、用途を限定していなかった場所が、几帳面に分節されて、「それ以外」の部分が切り落とされる結果、場所の利用方法が一義的になる。 近年のコーヒーショップが凝った製法のコーヒーを競う舞台になっているのも、その兆候のひとつなのかもしれない。コーヒーを求める者からすると、洗練された美味しいコーヒーが手に入るのはたしかに有難いことだけれど、飲み物そのものに傾注し、「コーヒー以外」の部分が切り落とされることにもなりうる。一時は「サード・プレイス」を謳っているようにみえたコーヒー店の世界的大企業も、いまでは熱心にテイクアウト専門店舗を拡張し、既存店舗から椅子を撤去したりしているのをみると、この潮流に逆らうのは無理なのかとも思えてくる。 ニューヨークのように危険で猥雑だった街が安全で清潔になりはしたものの、同時に何か肝心なものも失われてしまったように感じることを、sanitizeという言葉を使って表現することがある。殺菌消毒により浄化されて、どこかよそよそしい澄ました顔の都市になり、表向きはどうであれ、根本的に別の街になってしまったように感じるということなのだが、分節が進む過程には、それと相通じるところがある。 その点バーには不純なところが色濃く残っている。たとえば人はサッカーは観るためにバーへ行く。もちろん自宅でも観ることもできるが、やはり自宅とバーは全くの別物なのだ。その差はビールでもテレビの大きさでもなく、ほかの観衆の存在にある。飲み物さえ買えば、依然多目的スペースに近いのがバーである。飲酒の場所と純化して考えてしまうと、バーは面白味に欠けるばかりか、孤独で悲しいところである。 スポーツ観戦といえば、寒い日曜日にいつものバーに足を踏み入れると、店内に客の姿が見当たらず、「一体今日はどうなってるんだ」と言い出す前に「スーパーボウルだよ」と告げられるのが毎年2月の恒例になっている。スーパーボウルの夜は、アメリカ文化を解さない外国人ぐらいしかバーに人はいない。同じスポーツ観戦とはいえ自宅のテレビ前に陣取るのが儀式であるのは、分節が進んだ米国ならではのことなのか。もちろん外のバーに向かう人たちもいるけれど、そこには「スポーツ・バー」なるものが存在し、やはり細かくセグメント化された観衆向けのバーが準備されているところもまた米国的なのである。 こうした専門化、あるいは蛸壷化は脈々と進行しているようだけれど、ばらばらに切り離された部分を、以前とは異なるやり方で再結合しようとする人たちがいることは大きな望みである。 一部の書店や映画館がそうした試みを続けていることはよく知られている。近年の独立書店やアートハウス/ミニシアターのことはあちこちで詳しく伝えられているから、ここで蛇足を加えることはしないけれど、それは本を売ること以外のこと、映画を観ること以外のことに注目し、果敢に再導入しているものと考えることができる。そして、そうした書店や映画館が、その商売を営む場所と近隣のことを強く意識していることも注目される。 書店、コーヒーショップ、映画館のような場所は「社会的インフラ」として知られてもいる。ビジネスでありながら、同時に社会における欠かせない役割を果たしている場所というわけだ。社会的インフラは「文化的」な場所である必要はなく、米国では金物屋やいわゆる万屋なども同様の役割を果たしていたが、近年では大都市を中心としてそうした店舗が急速に減っている。 […]
yoshiさん