■都市のコード論:NYC編  vol.04 
レポート
2015.07.24
カルチャー|CULTURE

■都市のコード論:NYC編 vol.04 "Coffee Shop"の分布からみる都市の構造とライフスタイル

在NYC10年以上のビジネスコンサルタント、Yoshiさんによるまち・ひと・ものとビジネスの考察を「都市のコード論:NYC編」と題し、不定期連載しています。

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凡例:オレンジがマンハッタン、ライトブルーがブルックリン、イエローがクィーンズ

ここ数年、コーヒーの話をよく耳にする。ニューヨークではコーヒーハウスがあちこちでオープンしており、そのなかのいくつかは日本にも出店し、話題となっている。書店でコーヒーが飲めるのは当たり前になり、コーヒーを出すアパレルの店舗も少なくない。

フード・ジャーナリズムとでもいうべきGrub Street(www.grubstreet.com/)は、いつもコーヒーの情報が紹介されている。厳選したコーヒーハウスを集めたアプリもある。だがコーヒーハウス全体のロケーション分布についてはほとんど目にすることがない。そこでマップをつくってみた。

ニューヨーク市保健精神衛生局による市内の全飲食店を対象とした例年の衛生検査の結果が、オープン・データ (https://nycopendata.socrata.com/) として公開されている。

49万行から成るデータセットから「コーヒーハウス」と考えられる店舗を抽出した結果、2015年時点で市内には1,804件の「コーヒーハウス (一部お茶を含む)」 があることがわかった。

市の人口は8.5百万人だ。住民約4,700人あたりに1件のコーヒーハウスがあることになる。ニューヨーク市は5つのボロウ (区) から成り立っている。ボロウ別にみると、コーヒーハウスの半数近くがマンハッタンに集中していることがわかる。 

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https://fafsp.cartodb.com/viz/f282ca08-1c7d-11e5-8c3a-0e8dde98a187/public_map


<表1. コーヒーハウスの店舗数>
マンハッタン  865件
ブルックリン  429件
クイーンズ   344件
ブロンクス 116件
スタテン島    50件    
------------------------------         
ニューヨーク市 1,804件

人口あたりでみると、最も簡単にコーヒーにありつけるのはマンハッタンで、最も苦労するのはブロンクスだ。人口あたりのマンハッタンのコーヒーハウスの数はブロンクスの6.5倍になる。

マンハッタンは市の中心だ。そこに住んでいなくても、仕事や学校で毎日マンハッタンに通う人は多い。コーヒーハウスの密度が高いのも当然かもしれない。
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ニューヨーク・ミッドタウンは“歩き飲み族“が多い。
 
独立系のコーヒーハウスが増える理由

近年増えているのはインディペンデント (独立系) のコーヒーハウスだ。大規模な展開を行うチェーンとは違い、「クラフト・コーヒー」を標榜し、メニューから店舗のつくりまで、新しい試みに取り組むところが多い。

コーヒーといえばスターバックスを連想する人もいるかもしれないが、ずいぶん前からスタバはコモディティ化しており、“スタバに行かない人”という消費行動グループのマーケティング分析も盛んになっている。その結果、ニューヨーク市ではコーヒーハウスの過半数 (56%) を独立系が占めるようになったともいえる。

イスを置かないイースト・ビレッジのアブラソ (http://www.abraconyc.com/) 」や、缶入りのラテを始めるラ・コロンビ (http://www.lacolombe.com/) 」などは人気のコーヒーハウスだ。

ボロウ別にみると、マンハッタンでの独立系の比率は59%ブルックリンは66%と高い。一方ブロンクスは32%スタテン島は28%と独立系が減り、チェーン比率が一気に高まる。

<表2. 独立系コーヒーハウスの比率>
マンハッタン 59%
ブルックリン 66%
クイーンズ 50%
ブロンクス 32%
スタテン島 28%
---------------------------
ニューヨーク市 56%

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https://fafsp.cartodb.com/viz/53477c06-1c8f-11e5-bea1-0e5e07bb5d8a/public_map


ニューヨーク市内のコーヒーのチェーン店の98%はスタバとダンキンドーナツが占めている。そこで、今度はスタバダンキンに限定してその分布をみてみよう。

すると、マンハッタンではスタバがチェーン店の60%ダンキンは38%を占めていることがわかった。ところがブルックリンではダンキンの比率が79%に逆転し、クイーンズでは82%、ブロンクスではさらに92%まで高まる。マンハッタン以外のチェーンはほぼダンキンといっていいだろう。同じチェーンとはいっても、ダンキンと比べるとスタバは依然高価なブランドだ。マンハッタン以外で「ダンキン比率」が一気に高まる理由のひとつには、当たり前だが、住民の所得が関係しているのだろう。

<表3. チェーン店舗に占めるダンキンの比率>
マンハッタン 38%
ブルックリン 79%
クイーンズ 82%
ブロンクス 92%
スタテン島 81%
----------------------------
ニューヨーク市 62%
 
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https://fafsp.cartodb.com/viz/dd14d58a-1c91-11e5-8d6f-0e6e1df11cbf/public_map

 
 

コーヒーハウスが語る街のボーダー

次にそれぞれのボロウ内での分布をみてみよう。同じボロウの中でもそのロケーションや分布は大きく異なる。

マンハッタンは全域でコーヒーハウスが多いが、ダウンタウンはそれぞれ個性のある独立系の店が多く、ミッドタウンはチェーンの比率が高いことがわかる。

高層のオフィスタワーが林立するミッドタウンと、低層中心でスタートアップやデザイン・ビジネスが増えているダウンタウンの性格を反映しているといえるだろう。タイムズ・スクエアやグラウンド・ゼロ近辺のロウワー・マンハッタンなど、観光客が多い場所にはスタバが密集している。なにしろニューヨークには世界中から1年に54百万人が訪れる。いまやグローバル企業であるスタバにとっても大きな商機のはずだ。

ブルックリンはイースト・リバーの東のウォーターフロントで密度が高く、その多くは独立系の店だ。近年さかんに伝えられるブルックリンのイメージと合致するだろう。

ブルックリンの後を追うかのようににわかに注目されるクイーンズも、ロング・アイランド・シティやアストリアなどのイースト・リバー近くに独立系のコーヒーハウスがみられる。

だがブルックリンやクイーンズでは、ウォーターフロントからさらに東へ行くにつれてコーヒーハウスの数は少なくなり、代わりにチェーン店が増えてくる。

趣向をこらした独立系のコーヒーには個性があるが価格は高い。ジェントリフィケーションが加速する一方で、ブルックリンの東部は依然貧しく、生活水準はむしろ悪化しているのが現状だ。独立系店舗とダンキンへの二極化が、ふたつに引き裂かれる今日のブルックリンを示している。

独立系の店舗は互いにひきよせ合うようにクラスターを形成していることが多い。だがブルックリンやクイーンズの東部では、大きな道路沿いにダンキンが一定の間隔をおいて点在する。

ニューヨークは米国で最も自動車に依存しない都市だ。マンハッタンでは世帯の23%しか自動車を保有していない。だがマンハッタンから離れるにつれて自動車の保有率は高くなる。

<表4. 自動車保有率>
マンハッタン 23%
ブルックリン 44%
クイーンズ 64%
ブロンクス 46%
スタテン島 84%
----------------------------------
ニューヨーク市 44%


そして、同じブルックリンやクイーンズの中でも、東に行くほど自動車の保有率が高くなることが統計でわかっている。マンハッタンから離れるほど、自動車中心の「アメリカ」に近づく

チェーン店と自動車には密接な関係があるようだ。「ウォーカブル」なマンハッタンやブルックリンのウォーターフロントに独立系が多いこともそれを示唆している。

「ニューヨーク市内の郊外」といわれるスタテン島にチェーンのコーヒーハウスが多いのも不思議ではない。
 
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<NYCのコーヒーハウスの分布:店舗数とブランド(資本)の関係>凡例:キミドリが1店舗のみ、イエローが2〜5店舗展開、ホワイトが6~9店舗、ブルーが10〜199店舗、赤が200店舗。詳しくは本文にあるmapのリンク先へ。
“88%が独立系“というNYCのコーヒーハウスビジネス

コーヒーハウスの分布が教えてくれることはロケーションだけではない。

市内の1,804件のコーヒーハウスは、818種類のブランド/ビジネスが経営している。平均すると、1ブランドあたり2.2件の店舗を展開していることになる。

ところが実際には、1,804件のうち723件は1店舗のみ運営するコーヒーハウスだ。市内に存在する818種類のコーヒー・ブランドのうち、88%は1店舗経営ということになる。

その一方で、スタバとダンキンの2社だけで775店舗を展開し、市内のコーヒーハウスの43%を占める。

市内に展開する店舗数別にブランドの数をみてみると、店舗数が減るにつれて、それを運営するブランドの数が急速に増えていくことがわかる。

<表5. 展開店舗数別のブランドの数>
491店舗    1 (ダンキン)
284店舗    1 (スタバ)
14店舗    1 (バーンズ・アンド・ノーブル)
12店舗    2
 9店舗   1
 7店舗   2
 5店舗   6
 4店舗   9
 3店舗   15
 2店舗   53
 1店舗   723

 
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ソーホーとブルックリンに計3店舗運営している“Gimme! coffee”は、毎朝〜夕方まで地元の人で賑わっている。

「多様性と偏り」 が示す、都市生活者(メトロポリタン)像


圧倒的多数のスモール・ビジネスがひしめく一方で、一握りの巨大なプレーヤーが市場の大多数を支配する。

ウェブサイトのアクセス数や投資のリターンなど、およそ社会とよばれるあらゆる局面でこのことは観察されている。ニューヨークのコーヒーハウスにもよく似たことが起きている。

ニューヨークには平均が存在しないとよくいう。「平均的なニューヨーカー」ほど想像しづらいものはない。

もちろん多くの都市で同様の傾向はみられるだろう。だが多くの点で、ニューヨークはその偏りがとりわけ大きい。「多様性と偏り」。これほどニューヨークを適切に表す言葉はないだろう。

個人の富から住民の人種、土地のロットのサイズまで、平均値が意味をなさないのがニューヨークだ。コーヒーハウスの分布も同様の「ニューヨークのふるまい」をみせている。

東京にも同じ傾向がみられるのだろうか。パリはどうだろう。ほかの都市も気になってくる。分布や偏りの特徴に、それぞれの都市の個性をみることができるのかもしれない。
 


 
  
●NYCのCOFFEE SHOPシーンを知るためのガイド
 
The New York Coffee Guide 
(NYCにあるコンサルティング会社Allegra STRATEGIESによるコーヒーガイド。16.99ドルでコーヒーハンドブック2016年版も販売している)

NEW YORK EATER: “25 Outstanding Coffee Shops in New York City”
(NYの食文化関係の情報サイトの特集ページ:NYCは独立系のコーヒーショッップがたくさんあるので、どこがいいのかを探すのが難しい人のためのベスト25ガイド)


 
THRILLIST:”Best 30 Coffee Shops in NYC”
(THEILLISTメディアグループが世界各国約15百万人に対して配信しているニューズレター・メディア(ECも行っている)で、NYCのベスト30のコーヒーショップを紹介している)


“ZAGAT”:“10 Hottest Coffee Shops in NYC”
(ガイドブック“ZAGAT”でも今イケてるコーヒーショップベスト10を紹介)している

 

 

Follow the accident. Fear set plan. (写真をクリックしてください)

束の間の逸脱
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束の間の逸脱

多くの人が歩いてできた道がいい道だとする説がある。不特定多数の人たちが踏みしめて自ずと現れた道こそが、優れた経路だというものである。 マンハッタンを南北に20km縦断するブロードウェイは、ニューヨーク市のみならず全米で最も古くからある通りとされている。17世紀初めにオランダ人が入植するその前に、先住民のレナペ族が集住地間を移動する際に踏みしめた獣道に由来するためである。「ウィクカスゲック・トレイル」として知られたその先住民の小径は、オランダ人が入植後にその幅を広げて正式な通りになり、その後ブロードウェイとして知られるようになった。 ニューヨーク市が土地の開発と販売を企図して街路網のデザインを提案した「1811年委員会計画」は、マンハッタンにグリッドを敷設することを求めたが、先住民の獣道はその1811年計画を生き延びたばかりか、グリッドをあからさまに無視するように上書きして今日に至る。明らかにほかの通りとは性格を異にするその往来は、あたかも公式計画と多くの無名者の足跡から生まれる経路とは相容れないのだと誇示しているようでもある。 実は当初の1811年計画にはブロードウェイは存在しなかったが、グリッド状の街路網の建設が進むなかでも人びとは獣道の痕跡を歩き続けたため、後から計画に追加せざるをえなかった経緯がある。新たな通りが与えられても、人の歩き方は変わらなかった。人の足跡を消すのは難しい。そこには独特のしつこさがある。それを惰性と済ませてしまっていいものか。 先住民には島の地理地形だけではなく、その土地に根づいた土着の深い理解と知識が備わっていたことが知られている。後にブロードウェイと呼ばれることになる獣道が斜めに走っているのは、当時点在していた湿地帯や地面の高低差をよけて歩いたためだろう。先住民の間では島の土地は共同所有で、農耕目的の制御された野焼きを行い、また選択的な収穫を行うなど、生態系の再生が可能なプラクティスが受け継がれていたという。 ニューヨークの地下鉄は雨に弱い。大雨のたびに地下鉄の運行は支障をきたし、特に近年は短時間に集中する豪雨が増えている。なかでも地下鉄1/2番線が走る28丁目駅は、大雨が降ると地下の構内に鉄砲水のような大洪水が流れ込むことがある。今日の28丁目の通りは数百年前の森林地帯にあたり、その駅は近隣から水が流れこむかつての湿地帯の上にあることから、大雨が降るとネイティヴの生態がにわかに蘇ってくるのである。以前は樹木や泥が雨水を吸収したが、舗装されたことで下水の容量を超えた雨水は地下鉄の構内以外に行き場を失った。 ブロードウェイのことが念頭にあったのかどうかはわからないが、1856年のセントラル・パーク計画では、その公園内に歩行者向けの小径を計画する際に、専門家がデザインするよりも、多くの人たちが歩くことで歩行経路が浮かび上がるまで待とうとする提案が出されたことがある。人びとの慣習の上に歩道を決めようというものだが、その案が実現することはなかった。 ブロードウェイは特殊な例ではない。そこに通りがあっても、その通りからはずれたところをわざわざ人が歩くのはよくあることだ。近道をするために、また急な坂を避けて傾斜の緩いところを選んで、道なき道に人が歩く痕跡が現れる。こうした経路は英語圏ではdesire pathまたはdesire lineなどと呼ばれている。言葉で説明するよりも実例を見る方が早い。 ミシガン州立大学では1960年代にアーキテクトの手による歩道がキャンパスに敷設されたが、間もなく学生たちはその与えられた歩道を無視して、歩道ではないところを歩くようになった。歩道を歩かせようと大学は指定した経路以外にフェンスを建てたりもしたが、それでも学生たちは歩道に従うことはなく、最終的に大学側が折れて学生が歩く経路を受け入れるようになるには数年もの時間を要したという。教室から教室へと移動する学生たちによる「足の投票」は、集団性のしつこく変わらない行動の一例である。 ミシガン州立大学の教訓から学んだのか、ヴァージニア工科大学やカリフォルニア大学バークレー校は、キャンパスに小径を新たに追加する場合には、学生や教員が歩いて経路が現れるのを待つのだという。 カリフォルニア大学アーヴァイン校ではプランナーが実験を行った。芝生を植えた後に歩道はあえてつくらず、何が起きるのかを一年間観察するというものだった。そこに浮かび上がった足跡は、校舎と校舎を最短距離で結ぶ直線などの予想された経路以外に、日陰に沿って歩いたり、風が強いところを避けて蛇行する足跡が現れた。プランナーは直線の道をつくりたがるものだが、人は必ずしもそう歩くわけではない。それを矯正するのは至難の技である。 大勢の人が通るところにはたいてい理由がある。与えられた公式の通りよりも便利で早く近道になる場合には、人は公式デザインの上書きを試みる。物理学者のダーク・ヘルビングが行ったスタディによると、人は与えられた道よりも20-30%距離を短縮できるなら、別の経路をつくりだすのだという。ヘルビングによると20-30%は定数で、10メートル程度の短距離でも同じことが起きるというから、繰り返し蘇えるそのしつこさには規則性さえ観察されることになる。 こうした経路の存在を説明する際には、人は与えられた道を拒み、自分で切り開く習性があるのだと市民的不服従がもちだされることが多いことも、その真偽は別にしても興味深いことではある。 人が道なき道を歩くのはプランナーへのダメ出しだとする見方もある。自動車の交通量が多い横断歩道のない大通りを横切る人が絶えないとしたら、間違っているのは道路を横切る人ではなく、そこに道路をつくったことだというわけだ。ネイバーフッドの真ん中に幹線道路を走らせて、地区を真っぷたつに分断した場合でも、住民はひき続きその道路を横切ろうとする。新たな道路ができても、住民にはそこにネイバーフッドが残っている。 プランナーの名誉のためにつけ加えておくと、特定の経路を通行禁止にしたり、ある区域を立ち入りができないようにするのにはたいてい理由がある。安全の確保であったり、野生保護地区に人が近づくのを禁止する場合もある。 アーキテクトのリッカルド・マリーニは、ロンドンのリージェント・ストリートのゴミ箱設置場所を決定する際に助言を求められて、その通りを自分で実際に歩き、煙草の吸殻とガムがどこに落ちているのかを調べてマップを作成した。吸殻やガムが多いのは人がそこに立ち止まっている徴であり、そうした人が集まるインフォーマルな場所は人のニーズを満たしていない可能性が高い。技術的な専門知識よりも、人の慣習に耳を傾けるアプローチとして注目された。 フィンランドでは積雪によりその年初めて銀世界になると、公園内に残された足跡を探し、人がどこを歩いているのかを調査して記録するのだという。雪により公式の歩道が隠された白紙状態で、人がどこをどのように歩くのかを参考にして歩行経路に活かすためのものだ。プランナーと市井の人は、同じ場所に異なるものを見るらしい。 ペンシルベニア駅の構内でダンスをしている人たちがいる。マンハッタンのミッドタウンにある通称ペン駅は、地下鉄のほかに長距離列車アムトラックなど多くの路線が乗り入れる一大ハブ駅だが、ロング・アイランド鉄道の乗車口からモイニハン・ホールへと至る、通勤客が多く行き交うそのコンコースで踊っている人たちがいる。アトラクションではなく、駅のホールを即席のダンス・スタジオに見立てて、ヒップホップ、K-pop、サルサ、ズークなどをグループで練習する人たちである。 たしかに踊るにはお誂え向きである。広々としていて、滑らかな床があり、主要駅だけにメンバーが集まるには都合がよい。反射するガラス窓は鏡にもなり、公共のトイレがあり、なにより無料である。ダンスを観て喜ぶ聴衆=通勤客・観光客の波が絶えることもない。そのホールにダンサーたちが集まり、数時間踊り、その日の練習が終わると、片付けてそれぞれ家路に着く。ニューヨーク都市圏交通公社によると、「ペン駅はまず何よりも移動のハブ。しかしそのスペース利用のルールと規制を守り、プラットフォームを塞いだり、乗客の流れを邪魔しない限り、そこで行われていることに問題はない」という。 これはリパーパスや近年よくいうアダプティヴ・ユースではない。市や施設所有者がその利用方法を正式に変更するものではなく、利用方法の変更を求めるのでもなく、そこにある場所を、一時的に、意図されたこととは別のことに人が利用し始めるものだ。ダンサーたちが駅のホールで踊り始めたことは、交通公社の意図を超えた一種のハプニングである。 駅のホールがある時間帯に別の場所になり、また元に戻る。それは当初意図した用途からの解放である。解放といっても好き勝手な「なんでもアリ」とは違い、そこにはルールと秩序がある。日常のルールや秩序とは異なるだけだ。与えられた規範を一歩踏み出して、それ独自の規律やルールのあり方を探るものである。 ニューヨークには食料品やトイレットペーパーなどの日用品を売る「ボデガ」と呼ばれる小さな小売店があちこちにある。24時間営業で家族経営のところが多く、近所の住民には頼もしい存在である。たいていの人には毎日のように立ち寄る馴染みの「自分のボデガ」があるはずだ。そのボデガをある夜突然クラブにするインフォーマルな集まりがある。踊り明かしたその翌朝そこはまたボデガに戻る。クラブに化けるボデガは毎回変わり、一夜限りの間に合わせのヴェニューは参加者に直前に通知される仕組みだ。 与えられた規範をとびこえる点において、こうしたハプニングには災害時と似たところがある。突然襲いかかる災害は、否応なく即興的に対応することを強いる。見通しがきかないところで自分の判断と責任において、自分にできることをするしかない。 今年の4月28日にスペイン全土におよぶ大規模な停電があった。10時間電話もインターネットも使えず、移動手段には大きな混乱が生じたものの、世の中が不安定化することはなかった。むしろ人は助け合い、立ち往生した電車の乗客に近くの住民たちが水や食料を自発的に届けたりしたことが伝えられた。 ハリケーン、山火事、疫病といった不幸な出来事に、日常とは異なる光景が立ち現れることが頻繁に記録されている。世の中の当たり前とされるあり方が機能不全に陥り、その代わりに人びとの草の根のネットワークが立ち上がり、人は助け合い、利他的な行動が前景化するのが常である。繰り返し現れるそのパターンは、世の中の規範は人が思っている以上に変わりうるし、しかも素早く移行が可能なことを教えてくれる。人は本来的に利己的で、個人主義的な競争によって世界は進歩すると日常では教えているのだが、他人や周囲のことを考えることが災害時にしか通用しないというなら、日常こそ継続的惨事というべきではないか。 スペインの大停電のさなかにユーモアが散見されて、その危機に喜びさえ見出したと記した人がいたことは記憶しておきたい。災害はもちろん惨事だが、そこに解放や希望、さらには世直しさえ見る人が多いのも事実である。 ある精神科医によると、統合失調症のなによりの特徴は生活におけるハプニングの無さにあるという。クリスマスや祝日といったものは偶発事が起きるためのものだ。偶発事ばかりでも困るが、必然だけではやっていけない。そう考えると、災害は文字通りハプニングであるし、たとえば祭りなども、変わらぬ日常のなかで同様の役目を担うものかもしれない。世の中の規律やルールが一時的に入れ替わり、人は事もなく対応して、何もなかったようにまた元に戻る。気をつけてみてみると、私たちは束の間の逸脱を当たり前のように繰り返し、日常とは異質な秩序を行きつ戻りつしながら暮らしている。 パンデミック期にニューヨークを含む諸都市で、一部の通りの自動車通行を禁止する取り組みが広がった。十分な距離を保ちつつ人が行き交うことができるよう道路を開放しようと、住民が通行止めにする場所を決めて、自ら実行管理を担った。その地区のニーズや慣習を最もよく知っているのは住民である。週末だけ歩行者専用になった通りも多く、人は自動車が消えた通りの真ん中に椅子をもち出して座り、路上で誕生日パーティーを開いたりし始めた。しかし疫病のトンネルを後にするにつれて、そうした取り組みへの風当たりは次第に強くなり、早く終結させようとする声が各方面で大きくなっている。「ノーマルに戻ろう」というかけ声が示す通り、早く日常へと戻し、鍵をかけようとする力は常に働く。 大雪の日には日常の交通ルールが停止する。信号は平常通り動き続けていても、公式のルールは事実上停止して、雪で埋れた歩道を避ける歩行者たちが車道の真ん中をわが者顔で歩くことになっても、自動車もそれを受け入れて、車道の人をよけて徐行する。文句を言う人はまずいない。ルールが変わるわけでも政府が通達を出すわけでもなく、自主的に日常のルールを上書きし、それぞれの安全性を確保する。それでたいてい問題はない。逆にそうした状況でルールを厳守しようとすると問題が起きやすい。そして大雪の夜にはどこか愉快な楽しさがつきものである。大雪の夜にはバーはたいてい近所の人たちで朝方まで大賑わいになるものだ。 問題はむしろルールそのものにあるとさえいえる。信号や一時停止などの交通標識に満ちた道路よりも、信号も標識も何もない道路の方が安全になりうることを示したのはハンス・モンデルマンである。1980-90年代にオランダで行われた一連の実験で、信号や制限速度などの標識をすべてとり去ることで、事故が減り、交通渋滞も減ることを示した。信号や指示標識がないと人は注意深く運転するようになり、周囲の状況に気を配るようになる。信号を守ってさえいればいいというわけにはいかない。 ルールの不在によって、人は常識を使い、当たり前のことに注意を払うようになる。日常と異なる状況になって初めて常識が発動するのもおかしなことだが、そのおかしさが私たちの日常のありようを示しているというべきかもしれない。公式のルールが存在しなくても、常識という異質のルールが存在する。ルールさえ守っていれば「なんでもアリ」の日常とは異なる規範である。 それにしても、駅のホールで踊ったり、ボデガが神出鬼没のクラブになったり、車道で誕生日パーティーをしたりすることの愉快な面白さはどこからくるものだろう。そこには混濁した意識に清涼な感覚が戻るようなところがある。 ペン駅で踊っているのはアマチュアのダンサーたちだ。技量の水準のことではなく、専門化していないという意味である。そもそもプロのダンサーには練習場所があり、それは踊ることを目的につくられた専用の場所である。プロにとって踊ることは遊びではない。 厳格なルールや組織的な訓練の下で競うところに、遊びの要素は失われる。プロとはその練習の周りに生活を再編成した人のことであり、可能な限り効果的なメニューをこなし、その目的に合わないものを取り去ろうとするだろう。 遊びは記録や勝敗よりも、むしろ新たなルールを考え出したり、境界をおしやり、別の遊びをつくり出すところに本領がある。駅で踊るダンサーたちは意図しない目的に場所を使う一種の遊びであり、ボデガのクラブも同様だ。1970年代の南カルフォルニアでは、旱魃の水不足により水を抜いたプールの壁を垂直に滑ったことからスケートボードが爆発的に広がった。そこにあるありふれた場所を利用する遊びが制度の溝に繁茂する。与えられたものへの人びとの応答に都市的なものは現れるものだ。 遊びは二次的なもので娯楽のことだと思いがちな昨今だが、各種道具や実用的なものなど、たいていのものはもともと遊びから生まれたといわれる。遊びが先にあった。遊びこそ根源的で、様々なものを生み出す有用なものだ。 幸いなことに、今日でもハプニングはまだあちこちにある。クリスマスでは日常の利己主義をその日だけ棚上げして、別人のように他人にプレゼントを配ってみたりする。今日の祭りは華やかな見せ物的非日常だが、それは日頃蔑まれた者をも含む有象無象の者が表に出てくる日ではなかったか。寺院に足を踏み入れると人はおのずと面もちが改まる。そこに外界と異なる原則が働いていることは、知識よりも生活に埋め込まれた習慣である。異質な世界はあちこちに繰り返し現れる。ペン駅で踊る人たちは一時的な領域のドアを開ける人たちである。 (おわり)

yoshiさん


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