■都市のコード論:NYC編  vol.04 
レポート
2015.07.24
カルチャー|CULTURE

■都市のコード論:NYC編 vol.04 "Coffee Shop"の分布からみる都市の構造とライフスタイル

在NYC10年以上のビジネスコンサルタント、Yoshiさんによるまち・ひと・ものとビジネスの考察を「都市のコード論:NYC編」と題し、不定期連載しています。

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凡例:オレンジがマンハッタン、ライトブルーがブルックリン、イエローがクィーンズ

ここ数年、コーヒーの話をよく耳にする。ニューヨークではコーヒーハウスがあちこちでオープンしており、そのなかのいくつかは日本にも出店し、話題となっている。書店でコーヒーが飲めるのは当たり前になり、コーヒーを出すアパレルの店舗も少なくない。

フード・ジャーナリズムとでもいうべきGrub Street(www.grubstreet.com/)は、いつもコーヒーの情報が紹介されている。厳選したコーヒーハウスを集めたアプリもある。だがコーヒーハウス全体のロケーション分布についてはほとんど目にすることがない。そこでマップをつくってみた。

ニューヨーク市保健精神衛生局による市内の全飲食店を対象とした例年の衛生検査の結果が、オープン・データ (https://nycopendata.socrata.com/) として公開されている。

49万行から成るデータセットから「コーヒーハウス」と考えられる店舗を抽出した結果、2015年時点で市内には1,804件の「コーヒーハウス (一部お茶を含む)」 があることがわかった。

市の人口は8.5百万人だ。住民約4,700人あたりに1件のコーヒーハウスがあることになる。ニューヨーク市は5つのボロウ (区) から成り立っている。ボロウ別にみると、コーヒーハウスの半数近くがマンハッタンに集中していることがわかる。 

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https://fafsp.cartodb.com/viz/f282ca08-1c7d-11e5-8c3a-0e8dde98a187/public_map


<表1. コーヒーハウスの店舗数>
マンハッタン  865件
ブルックリン  429件
クイーンズ   344件
ブロンクス 116件
スタテン島    50件    
------------------------------         
ニューヨーク市 1,804件

人口あたりでみると、最も簡単にコーヒーにありつけるのはマンハッタンで、最も苦労するのはブロンクスだ。人口あたりのマンハッタンのコーヒーハウスの数はブロンクスの6.5倍になる。

マンハッタンは市の中心だ。そこに住んでいなくても、仕事や学校で毎日マンハッタンに通う人は多い。コーヒーハウスの密度が高いのも当然かもしれない。
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ニューヨーク・ミッドタウンは“歩き飲み族“が多い。
 
独立系のコーヒーハウスが増える理由

近年増えているのはインディペンデント (独立系) のコーヒーハウスだ。大規模な展開を行うチェーンとは違い、「クラフト・コーヒー」を標榜し、メニューから店舗のつくりまで、新しい試みに取り組むところが多い。

コーヒーといえばスターバックスを連想する人もいるかもしれないが、ずいぶん前からスタバはコモディティ化しており、“スタバに行かない人”という消費行動グループのマーケティング分析も盛んになっている。その結果、ニューヨーク市ではコーヒーハウスの過半数 (56%) を独立系が占めるようになったともいえる。

イスを置かないイースト・ビレッジのアブラソ (http://www.abraconyc.com/) 」や、缶入りのラテを始めるラ・コロンビ (http://www.lacolombe.com/) 」などは人気のコーヒーハウスだ。

ボロウ別にみると、マンハッタンでの独立系の比率は59%ブルックリンは66%と高い。一方ブロンクスは32%スタテン島は28%と独立系が減り、チェーン比率が一気に高まる。

<表2. 独立系コーヒーハウスの比率>
マンハッタン 59%
ブルックリン 66%
クイーンズ 50%
ブロンクス 32%
スタテン島 28%
---------------------------
ニューヨーク市 56%

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https://fafsp.cartodb.com/viz/53477c06-1c8f-11e5-bea1-0e5e07bb5d8a/public_map


ニューヨーク市内のコーヒーのチェーン店の98%はスタバとダンキンドーナツが占めている。そこで、今度はスタバダンキンに限定してその分布をみてみよう。

すると、マンハッタンではスタバがチェーン店の60%ダンキンは38%を占めていることがわかった。ところがブルックリンではダンキンの比率が79%に逆転し、クイーンズでは82%、ブロンクスではさらに92%まで高まる。マンハッタン以外のチェーンはほぼダンキンといっていいだろう。同じチェーンとはいっても、ダンキンと比べるとスタバは依然高価なブランドだ。マンハッタン以外で「ダンキン比率」が一気に高まる理由のひとつには、当たり前だが、住民の所得が関係しているのだろう。

<表3. チェーン店舗に占めるダンキンの比率>
マンハッタン 38%
ブルックリン 79%
クイーンズ 82%
ブロンクス 92%
スタテン島 81%
----------------------------
ニューヨーク市 62%
 
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https://fafsp.cartodb.com/viz/dd14d58a-1c91-11e5-8d6f-0e6e1df11cbf/public_map

 
 

コーヒーハウスが語る街のボーダー

次にそれぞれのボロウ内での分布をみてみよう。同じボロウの中でもそのロケーションや分布は大きく異なる。

マンハッタンは全域でコーヒーハウスが多いが、ダウンタウンはそれぞれ個性のある独立系の店が多く、ミッドタウンはチェーンの比率が高いことがわかる。

高層のオフィスタワーが林立するミッドタウンと、低層中心でスタートアップやデザイン・ビジネスが増えているダウンタウンの性格を反映しているといえるだろう。タイムズ・スクエアやグラウンド・ゼロ近辺のロウワー・マンハッタンなど、観光客が多い場所にはスタバが密集している。なにしろニューヨークには世界中から1年に54百万人が訪れる。いまやグローバル企業であるスタバにとっても大きな商機のはずだ。

ブルックリンはイースト・リバーの東のウォーターフロントで密度が高く、その多くは独立系の店だ。近年さかんに伝えられるブルックリンのイメージと合致するだろう。

ブルックリンの後を追うかのようににわかに注目されるクイーンズも、ロング・アイランド・シティやアストリアなどのイースト・リバー近くに独立系のコーヒーハウスがみられる。

だがブルックリンやクイーンズでは、ウォーターフロントからさらに東へ行くにつれてコーヒーハウスの数は少なくなり、代わりにチェーン店が増えてくる。

趣向をこらした独立系のコーヒーには個性があるが価格は高い。ジェントリフィケーションが加速する一方で、ブルックリンの東部は依然貧しく、生活水準はむしろ悪化しているのが現状だ。独立系店舗とダンキンへの二極化が、ふたつに引き裂かれる今日のブルックリンを示している。

独立系の店舗は互いにひきよせ合うようにクラスターを形成していることが多い。だがブルックリンやクイーンズの東部では、大きな道路沿いにダンキンが一定の間隔をおいて点在する。

ニューヨークは米国で最も自動車に依存しない都市だ。マンハッタンでは世帯の23%しか自動車を保有していない。だがマンハッタンから離れるにつれて自動車の保有率は高くなる。

<表4. 自動車保有率>
マンハッタン 23%
ブルックリン 44%
クイーンズ 64%
ブロンクス 46%
スタテン島 84%
----------------------------------
ニューヨーク市 44%


そして、同じブルックリンやクイーンズの中でも、東に行くほど自動車の保有率が高くなることが統計でわかっている。マンハッタンから離れるほど、自動車中心の「アメリカ」に近づく

チェーン店と自動車には密接な関係があるようだ。「ウォーカブル」なマンハッタンやブルックリンのウォーターフロントに独立系が多いこともそれを示唆している。

「ニューヨーク市内の郊外」といわれるスタテン島にチェーンのコーヒーハウスが多いのも不思議ではない。
 
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<NYCのコーヒーハウスの分布:店舗数とブランド(資本)の関係>凡例:キミドリが1店舗のみ、イエローが2〜5店舗展開、ホワイトが6~9店舗、ブルーが10〜199店舗、赤が200店舗。詳しくは本文にあるmapのリンク先へ。
“88%が独立系“というNYCのコーヒーハウスビジネス

コーヒーハウスの分布が教えてくれることはロケーションだけではない。

市内の1,804件のコーヒーハウスは、818種類のブランド/ビジネスが経営している。平均すると、1ブランドあたり2.2件の店舗を展開していることになる。

ところが実際には、1,804件のうち723件は1店舗のみ運営するコーヒーハウスだ。市内に存在する818種類のコーヒー・ブランドのうち、88%は1店舗経営ということになる。

その一方で、スタバとダンキンの2社だけで775店舗を展開し、市内のコーヒーハウスの43%を占める。

市内に展開する店舗数別にブランドの数をみてみると、店舗数が減るにつれて、それを運営するブランドの数が急速に増えていくことがわかる。

<表5. 展開店舗数別のブランドの数>
491店舗    1 (ダンキン)
284店舗    1 (スタバ)
14店舗    1 (バーンズ・アンド・ノーブル)
12店舗    2
 9店舗   1
 7店舗   2
 5店舗   6
 4店舗   9
 3店舗   15
 2店舗   53
 1店舗   723

 
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ソーホーとブルックリンに計3店舗運営している“Gimme! coffee”は、毎朝〜夕方まで地元の人で賑わっている。

「多様性と偏り」 が示す、都市生活者(メトロポリタン)像


圧倒的多数のスモール・ビジネスがひしめく一方で、一握りの巨大なプレーヤーが市場の大多数を支配する。

ウェブサイトのアクセス数や投資のリターンなど、およそ社会とよばれるあらゆる局面でこのことは観察されている。ニューヨークのコーヒーハウスにもよく似たことが起きている。

ニューヨークには平均が存在しないとよくいう。「平均的なニューヨーカー」ほど想像しづらいものはない。

もちろん多くの都市で同様の傾向はみられるだろう。だが多くの点で、ニューヨークはその偏りがとりわけ大きい。「多様性と偏り」。これほどニューヨークを適切に表す言葉はないだろう。

個人の富から住民の人種、土地のロットのサイズまで、平均値が意味をなさないのがニューヨークだ。コーヒーハウスの分布も同様の「ニューヨークのふるまい」をみせている。

東京にも同じ傾向がみられるのだろうか。パリはどうだろう。ほかの都市も気になってくる。分布や偏りの特徴に、それぞれの都市の個性をみることができるのかもしれない。
 


 
  
●NYCのCOFFEE SHOPシーンを知るためのガイド
 
The New York Coffee Guide 
(NYCにあるコンサルティング会社Allegra STRATEGIESによるコーヒーガイド。16.99ドルでコーヒーハンドブック2016年版も販売している)

NEW YORK EATER: “25 Outstanding Coffee Shops in New York City”
(NYの食文化関係の情報サイトの特集ページ:NYCは独立系のコーヒーショッップがたくさんあるので、どこがいいのかを探すのが難しい人のためのベスト25ガイド)


 
THRILLIST:”Best 30 Coffee Shops in NYC”
(THEILLISTメディアグループが世界各国約15百万人に対して配信しているニューズレター・メディア(ECも行っている)で、NYCのベスト30のコーヒーショップを紹介している)


“ZAGAT”:“10 Hottest Coffee Shops in NYC”
(ガイドブック“ZAGAT”でも今イケてるコーヒーショップベスト10を紹介)している

 

 

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未来を顧りみれば
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未来を顧りみれば

米国の中高生が大学に行くよりも、手に職をつけることを選ぼうとしている。進学よりも電気工や溶接技師といった現場仕事を望む十代が増えているのだという。 たしかに大学の授業料は手に負えない高騰ぶりだし、仮に学費をどうにかして大学を出たところで、いい仕事どころか定職に就けるかどうかも怪しいときている。多額の学資ローンを抱えてバイトに明け暮れるその日暮らしが関の山なら、高校を出てすぐに働ける準備をしたり、学校といっても大学ではない職業に特化したトレーニングを選ぶ方が理に敵っているというべきかもしれない。 中高生を対象とした最近の調査結果はその傾向を明瞭に示している 。高校卒業後に大学進学を考えている人は45%のみで、2018年調査時の73%から大きく落ち込んでいる。他方、職業訓練学校や見習いを考えている中高生は38%で、2018年時の12%から大幅に増えた。面白いことに、都市部に住む十代の間で大学を避ける傾向が最も強い。 製造や建設関連の技術を教える高校の「ショップ・クラス」を希望する生徒も増えている。ショップ・クラスは木工や溶接といった技術を教えるいわば手工クラスであり、以前はほとんどの生徒が進学準備のクラスに向かったため閑散としていたが、ここ数年で参加希望者が再び急増していて、学校側もショップ・クラスの設備投資を急ぎ、今の時代にふさわしいコンピュータ制御の工作機械などへのアップデートを進めているという。 手や身体を使う仕事の需要は強く、賃金も新卒では会計などよりも建設関連の方が上回る傾向が続いている。オンラインでは「ブルー・カラーを再びクールに」と訴えるインフルエンサーが現れて、こうした仕事は決して低賃金の単純労働ではないとイメージの回復を訴えている。実際今日のブルー・カラーは再生可能エネルギーやテクノロジーと分かち難く結びついていることが多いのも事実である。そうした働きかけも奏功しているのか、米国内では配管工や大工などの平均年齢が下がってきている。 さらに足下の統計を見ると、大学を出て間もない人たちの失業率が高水準に達していて、大卒の失業率が高卒のそれを上回る逆転傾向に転じたことが、にわかにエコノミストの関心を集めている。「大学は出たけれど」の状態は、米国だけでなく英国でも同様だという。 少し前に「約束された未来」が喧伝されたSTEMといえば、「役に立たない」などど言われた歴史や哲学専攻の新卒よりも今や失業率がずっと高くなっている有様だから、「何を学んだところでこの世の中に確かなことなど何もない」と若い世代が達観するのも無理はない。それなら自分にとって大事なことを学びたいというわけで、ニューヨーク市内の大学ではアート・スクールのプログラムに志願者が殺到している。 中高生は大学を敬遠しつつあるが、その親は進学を薦めることが多いのだという。大卒の恩恵を享受できた時代の体験を抜け出せない親世代と、ずっと現実的な今日の子供たちとの温度差というべきか。 新聞雑誌が伝える大学に行かない十代の言い分を見てみると、パンデミック期に両親が一日中家でスクリーンに向かっている姿を見て自分はそうなりたくはないと思ったという冷徹な観察を伝えていたり、現場作業にはキリがいいところで手仕舞いをして毎日の達成感を確認できる充足感があるといった意見もある。自分で決める余地があることも大きな要因のようだ。親方や雇用主はいるにしろ、必ずしもあれこれ指図されるわけではなく、段取りなどを自分でさばくところなども魅力らしく、どうも算盤勘定だけではないらしい。 「知識労働の終わりの始まり」が早速囁かれたりもしているが、目先にとらわれ過ぎてもいけない。予測をしているわけではないし、長期的な潮の変わり目は事後的にしかわからないもの。足下のことは一度忘れて、長い目で見るために、200年ほど遡ってみてはどうだろう。 近年ラッダイト運動が再び注目されている。ラッダイトといえば、19世紀初めに機械の導入によって仕事を失うことを恐れたイギリスの織物工たちが機械を打ち壊した一連の騒動として記憶している人も多いだろう。今日でも誰かを「ラッダイト」と名指しするとき、そこには前進を拒む後ろ向きな人だと非難する含みがある。 しかし近年の研究者やジャーナリストたちが主張するところによると、「機械を拒んだ時代錯誤のラッダイト」は史実を正確に反映したものではなく、ラッダイトたちの攻撃対象は機械そのものではなく、雇用主の機械導入目的やその利用の仕方だったとの見方でほぼ一致している。 織工よりも安く早く大量生産できる工業機械を、企業家たちは導入した。機械生産の織布は低品質だったが、何より低コストで、工場主の利益は大きかった。そして工業機械導入に伴い、長年の訓練を積んだ織工ではなく、技能のない人たち、特に子供を雇い始めた。そのやり方に対して、高品質の生産を行う機械を要求し、見習い経験のある熟練者がその機械を扱うこと、そして適正な賃金を求めたのがラッダイトだったのだという。今日のビジネス言語でいうなら、工場主のプラクティスに反対したということになる。 工場主が工業機械に利益を見たことは容易に理解しうる。しかし働く者にとっては、それは、工程を画一化して反復作業に細分化し、かつては自ら作業をとり仕切っていた織工の自発性を奪い、管理を工場主に集中することを意味した。 手に職をもつ熟練者は、誰かが監視しているからではなく、いいものをつくることが自分にとって大事だから、そうするものだ。そこに働くことの楽しみもある。必ずしも日銭目的のためだけに働くわけではなく、道具を自分流に使いこなしたり改造したりと創意工夫を重ね、それによって出来栄えが変わるところに面白味がある。一種の腕比べのようなものである。 工場主はそこに価値を見なかった。使用人たちに「規則正しく」と口を酸っぱくして繰り返し、「熟練者は不規則に働きがちだから現場から外す必要がある」と漏らしていたところに、機械化の企図を見てとることができる。それは熟練的働き方を無効にする「ディスキル化 (deskill)」をもたらした。 今日に至るまで、職人的な人たちには独立心が強く、気ままなところがあるが、当時組織化されつつあった産業資本はそれを好ましく思わなかったらしく、異なるやり方で労働を再編した。 工業機械導入前の織工は家内工業で、自宅で自分の都合に合わせて働きたい時に働く出来高払いの生産者だったが、工場では予め決まった時間に使用人として働くことになり、労働時間も長くなった。そして一様の規律が強いられて、序列と階層が派生した。それは今日私たちが知っている「仕事 (job) 」に近いものである。職人的な技能よりも集団行動が重視されるようになり、従順さなどの異なる資質が求められた。機械導入は働くことを根本的に変えた。 最近発表された英国の調査は、1990年代以降、オフィス職で「タスクの裁量権」が一貫して失われる傾向にあることを伝えている。 毎日の仕事において、どのタスクを、どのように行うかを自分で決めることができるかどうかに関して大きな裁量権をもつと答えた人は、1992年には62%いたのに対して、2024年には34%へと大きく減少している。以前は低給のオフィス職で減少傾向が顕著だったが、2017年から2024年にかけては、プロフェッショナルや高スキルの人たちの間で裁量権が縮小している。 デジタル・テクノロジーの浸透によって、ホワイト・カラーの仕事の生産性がリアルタイムでトラック可能になり、新しいやり方を試したり、より良い方法を提案しうる余地が減っているのだという。 アマゾンのエンジニアが、AIの導入によって、仕事がコードを書くことからAIが書いたコードを読むことに変わり、「倉庫で働いているようだ」と漏らしている記事を最近目にした。AIの利用を命じることで、雇用主はより早く、より多くのアウトプットを要求する。従業員にとっては、コードを書くことは楽しくもあるはずなのだが、AIが書いたコードを読むのは楽しいとはいえない作業だ。倉庫で働く人たちの一挙一動が細かく監視モニターされていることはよく知られているが、その点に関しては、オフィス職もさほど変わりはないようである。 2020年にパンデミックでオフィス勤務者が自宅で働くようになった。その後オフィスに戻す企業が徐々に増えてきて、2025年第二四半期には、フォーチュン500社のうち従業員に週5日オフィスに戻ることを命ずるRTOポリシー (return-to-office) を採択している企業が初めて過半数を占めるに至ったという。 多くの調査結果はリモート勤務の生産性がオフィス勤務と遜色ないことを示しているにもかかわらず、それでも雇用主はRTOを求め、それを一種の踏み絵としている(「出社しないなら辞めろ」)。一方従業員はそれに抵抗し、出社を迫られた挙句に別のリモート職へと移る人も少なくない。そこで続いている綱引きは、おそらく自宅とオフィスの生産性や利便性などとは別のものであり、200年前に工場主が何よりも一律の規則性を強いて、それに織工たちが抵抗したことと、どこか重なってみえてくるのである。 一般に人がコントロールをとりもどす最善の方法は、自分の手を使って何かをすることだという。最近多くの人たちが熱心にzineをつくっているのも、そうしたことと関係しているのかもしれない。自分が思うものを、ソーシャルメディアのように横槍が入る心配なく、プラットフォーム領主が強いるお作法に阿ることも、「いいね」を集める必要もなく、自分の判断と責任において好きにつくり、自分で考えたやり方で流通させる。それは仕事ではない。だから時間と労力と工夫を惜しみなく投じて取り組んでいるのだと思う。 仕事であっても違う働き方はありうる。たとえばソーラー・パネルの設置に携わる人たちがビジネスを共同所有し、そのポリシーやプラクティスを自分たちで決めて働くなど、手を使う仕事の人たちのコレクティヴの例は数多くある。働く日や時間を自分で選ぶことができるし、取引先や顧客の選定についても意見し、意思決定できる。株主に急成長を強いられることもない。同じ職種の大企業で働くよりも収入は少なくなりがちだが、それよりも自分にとって大事なことはある。職工は人に命令されることを拒むが、命令する側に立つことも好まないことが多い。 産業革命に続く19世紀後半には、様々な空想的未来構想が小説の形をとって現れた。そのひとつの2000年のボストンを舞台とした未来小説では、機械利用を増やして労働時間が大きく減り、どこかアマゾンを思わせる著しい集約的効率性を通じて人は必要なモノを苦もなく得られる世の中が描かれた。それに対して、理想は労働を最小限に減らすことではなく、労働の苦痛を最小限に減らすことにあると批判し、自らの未来像を手工世界として著した人があったことはよく知られている。それを機械を忌避する後退的ラッダイトと非難した人たちもいた。しかしそれは、働くことを貧しくすることに抵抗したラッダイトだというべきである。 先の歴史が教えるところによると、今後また様々な空想的未来構想が出てくるのかもしれない。資本集中、テクノクラートの重用、技術・エリート信仰、トップダウンの集権化など、よく似た条件が準備されつつある。そうしたことを考えると、手に職をつけることを考えている米国の十代は、世の中を実によく見据えていて、職人的な未来へと向かっているようにも思えてくるのである。 (おわり)

yoshiさん


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