Godard Haberdashery(ゴダール ハバダッシェリー)
レポート
2022.06.21
ファッション|FASHION

Godard Haberdashery(ゴダール ハバダッシェリー)

最先端のモードを知る担い手が行き着いた
「紳士洋品店」というスタイル

大規模再開発が進行する「SHIBUYA」はマージナルなエリアが面白い。


国連大学の前から、青山学院の脇を抜け、やがて八幡通りへと繋がるこの道沿いは、青山という地名から想起されるイメージとはちょっと異なる、文教地区の路地裏の趣がある。「ハバダッシェリー=紳士洋品店」を標榜するGodard Haberdashery(ゴダール ハバダッシェリー)は、そのエリアの緩やかなテンションに溶け込むように、存在していた。

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コム デ ギャルソンでファッションに目覚め、音楽や映画に親しみ、パリのエスプリに浸った若き日々

その店名に違わず、店内にはフレンチシネマのスチールなどが数多く飾られている。もっとも、一番多いのは実はセルジュ・ゲンズブール関連なのだが。「ゴダールと店名につけたのは、彼が活躍した時代や、当時の思想的な事柄からの連想で、直接彼の映画を参考にしたというわけではないんです」と語るのは店主の笹子博貴さん

2019年にGodardとして代々木で開店し、その後1年で現在の物件に出合い、早々に移転。代々木時代は「ナマチェコ」などヨーロッパの新進モードブランドやヴィンテージウェアを扱っていたが、この青山の店ではオリジナルのテーラードクロージングや紳士洋品を、主にオーダーメイド(注文生産)で展開している。店舗のスタイルとしては大転換だが、現在の形が、当初から目指していたイメージだったという。

「メンズの服は、結局クラシックなテーラーリングに行き着く。それを自分ひとりで、純度を高くやっていけたら、健康的なお店になるのではと思ったのです」と笹子さんは話す。

そんな彼の、ファッションとの最初の出合いはコム デ ギャルソンだった。

「地元は神奈川の茅ヶ崎で、アメリカが大好きな両親のもとで育ちました。弟はプロサーファーで、両親もマリンスポーツ系だったのですが、僕はひねくれていたので、海からは上がったんです。その頃、中高からですね、コム デ ギャルソンを好きになったのは」。

ファッション、そして映画や音楽などのカルチャーに深く親しむようになり、ヨーロッパ志向を強めた笹子さんは、高校卒業後英国に留学。学校もそこそこに、現地でいわば遊学生活を送る中、次第にパリの魅力の虜に。日本に一時帰国してはまた英欧に戻るという生活は3年程度続いた。完全に帰国したのは22、3歳の頃。

「その期間でさまざま吸収したことが、いまの自分をつくっています。毎日食パンだけで過ごすような生活だったので、大変でしたけど、当時からその感じも悪くないと思っていました。10代でそういう経験をしたことは、日本で大学進学などをしていた人たちよりは、やわらかな感覚を得られたというか、視野が広がったと思います」。

そう語る笹子さん。さぞかし当時のパリの写真や記録などを残しているかと思いきや、それはほとんどないという。

「いまもそうですが、どこかに行って写真を撮ることはなくて、何かを書くこともしないし、記憶の中に残すだけですね。でも記憶の中の映像って、ぼんやりとしていて、その感じが、すごく気に入っています。そのくらいでいいと思っています」。

場所は青山学院大学の脇の道沿い。大規模再開発がゴリゴリ進む渋谷にも程近くでありながら、ちょっと裏通りの雰囲気もある素敵なエリアだ。
スーツでも2ヶ月程度で納品可能だそう(左)/店内にはチャーミングなゲーンズブールが大勢(右)。

ドーバー ストリート マーケットで流行をつくる側に。そこで感じた違和感と、服を売る場としての店の重要性

日本に戻ってきた笹子さんは、セレクトショップでの販売の仕事を経て、2012年に念願のコム デ ギャルソンに入社。そこで、間もなく銀座店がオープン予定だったドーバー ストリート マーケット(DOVER STREET MARKET/以下ドーバー)に配属されたことが、その後の笹子さんの歩みを大きく変えることとなった。

「入るまではコム デ ギャルソンというブランドに強い思いを持っていたのですが、ドーバーの仕事をすることになって、シュプリームを着て、トム ブラウンを着てと、ファッション的にはそこで爆発した感じです」。

当初は店舗のスタッフだったが、やがて海外の買い付けに同行するようになり、店頭に立ちつつバイヤーを務めることになった笹子さん。

「流行を生む仕事だったので、目線は常に1年後。だからバイイングから帰国してお店に立っていても、こんなの買い付けてたっけ、という感じになってしまう。時空の歪みが発生して、すごく不健康でした」と当時を振り返る。自分でも目一杯になり、これではいけないと思っていた時、父親が急逝し、やりたいことをやるべきという気持ちがより強くなったという。ドーバーでの7年間を経て、30歳を機に、独立して店を始めることにした。

「お店というのはやはりいいなと思って。他のこと、例えば新たにブランドをつくるのは、これまで数々のブランドを見てきたこともあって、ちょっと無理かなと。ホールセールなどの事業も違う気がして、前職でバイイングと、VMDも自分でやっていたので、やはりお店づくりだろうと。服を売る上で、お店の力はすごいと思うので」。

日本ではウィメンズがトゥモローランドで取り扱われているフランスのシャツメーカー「BOURRIENNE(ブリエンヌ)」にオーダーできるメンズドレスシャツ。現在オーダー受付中だそう。イメージはミックジャガー!
「うちは、秋冬しか本気でビジネスはしないんです(笑)」という笹子さん。今夏は、以前バカ売れしたオリジナルのスウェットやTシャツなどを7月より同店のみで発売するそう。

モードの底流に感じたテーラーリングの存在、そして至った「ひとりでやる」ものづくりと店づくり

それにしても、最先端のモードを、有名無名問わず買い付けてきた笹子さんが、なぜクラシックなテーラードウェアを扱う店に行き着いたのだろうか。

「前職で扱っていた1205というブランドのデザイナーで、その後ジョンロブのアーティスティックディレクターを務めたパウラ・ジェルバーゼと話して知ったのは、向こうのデザイナーは結構テーラーリングに詳しく、そのバックグラウンドもあるということです。ナマチェコのデザイナーも実はカルーゾ好きだったり、テーラーリングや建築にも詳しい。みんなルーツはここ(テーラーリング)だろうという結論に至ったのです。だからといって、ドレス寄りのものを扱うのは前職とはあまりに畑が違いすぎるので、例えばトム・フォードが手がけていた頃のグッチやサンローランのような感覚でしょうか」。

こう語る笹子さんが、こんな店をやりたかった、と具体的な名前を挙げたのが、イタリア・フィレンツェのタイ・ユア・タイ

フランコ・ミヌッチさんがいた、まだスパーダ通りにあった頃の、こぢんまりとした店。あれが紳士洋品店としては究極の形かなと。だからといってイタリアン・クラシックのスタイルに憧れがあるわけではなく、あくまで気にしているのはミヌッチさん自身とその店なのですが。あの店はいろいろなつくり手にタイ・ユア・タイネームで商品をつくってもらっています。それはほんとうに濃厚なことをしていて、世界でも珍しい。店をやるならそれぐらいやりたいと思っています」。

その言葉通り、多くがメイド・トゥ・オーダー(注文生産)で展開されているゴダール ハバダッシェリーの服は、テーラーやメーカーに店独自のスタイルを依頼して製作され、同店のタグがつけられて販売される。

「服に関しては、まず生地ありきでつくっていて、定番的なデザインがあるわけではありません。つくり手と襟の大きさや角度、ポケットの大きさなど細部まですり合わせていって、オリジナルをつくっています。それぞれの服の企画は、統一感も重要なので、ひとりで考えています。楽しいですね、誰にも怒られないし」。

 こう話しつつも、たまには時代の風も浴びないと、と店舗の傍らファッション関連のさまざまな仕事も請けているという笹子さん。こうしたバランス感覚が、案外同業者をはじめとした服好きたちを惹きつけている秘訣なのかもしれない。

[取材/文:菅原幸裕(「LAST」編集長)/フリーランスエディター]


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