「産地の学校」主催・“服ができるまで”講座
レポート
2019.05.03
ファッション|FASHION

「産地の学校」主催・“服ができるまで”講座

産地で働く・産地を知る。
播州産地で生まれたブランド「hatsutoki」


産地の学校を運営する株式会社糸編による特別講座「服ができるまで」の第1回目が青山のスパイラルにて開催された。初の東京での連続講座ということで、どのような視点で講義が進められていくのか、またどのような参加者が来場するのか興味深く、取材した。当日、会場には学生の他、アパレルや繊維業界の関係者など40名強が参加し、9階スパイラルルームに並べられた座席は満席だった。

季節に沿ったアイテムをテーマに、産地で「服ができるまで」の過程を学ぶ

本講座は、春服の回(3月1日)、夏服の回(5月17日)、秋服の回(8月30日)、冬服の回(11月15日)の全4回。各回とも宮浦晋哉さん(株式会社糸編代表)がコーディネートし産地から招かれた講師によって講義が行われ、産地が抱える課題やそこでもの作りをすることの魅力が語られる通常土日に開催される「産地の学校」の講座を受けられない人も参加できるようにと、日程は全て金曜日の夜に設定されている。学生料金も設けられ、学生枠はあっと言う間に定員に達したという。4回通しでの受講はもちろん、単発での参加も可能。季節に沿ったアイテムを取り上げ、そのアイテムがどのように作られるのかを素材の原料まで遡って学ぶ。川上である原料の部分からスタートする「産地の学校」の講義とは逆の流れになっているのがおもしろい。完成するアイテムが決まっていることで説明すべき工程が絞られ、1つ1つの工程をより細かく、分かりやすく学ぶことができるのが特徴だ。対象は特に設けず、服飾業界・繊維業界の関係者・志望者はもちろん、別の業界からの参加や漠然と「もの作りに興味がある」という人も受け入れている。

講座の前には、「ご飯を食べ損ねてお腹が空いている人もいるんじゃないかと思って」と宮浦さんの気遣いでお菓子が参加者に配られ、和やかな雰囲気の中スタートした。

兵庫県西脇市・播州織物産地のブランド「hatsutoki」

第1回目の講師は、兵庫県西脇市の播州織物産地で「hatsutoki」のデザイナーを務める村田裕樹さん東京で生まれ東京で育った村田さんが西脇に移住したのは2012年。「hatsutoki」は産元商社である島田製織株式会社の社内オリジナルブランドで、伝統的な播州織の技術から発想を得た美しく新しい生地が特徴だ。

「hatsutoki」デザイナー・村田裕樹さん。
村田さんは大学生の頃から服作りを始めた。デザイナーズブランドなどでアシスタントをしたり東京で服を作るなかで気になったのが、“生地”だ。若手のうちはなかなか良い生地が使えず、結果的にどのデザイナーも同じような素材になるため、パターンやプリントで差をつけるようにしていたのだそうだ。

そうしているうちに、「生地作りから関わることができればもっとおもしろいものが作れるのでは」と考えるようになり、自分でアポイントを取って産地へ足を運ぶようになったと話す。

実際に産地の機屋を巡ると、これまで見たことのないような生地とたくさん出会った。倉庫に眠っていた先代が作ったものなど、今では機械の都合上作るのが難しかったり、素材が採れなくなってしまったものもあったが、村田さんの創作意欲を刺激するものばかりだった。産地で作られた生地は、現代の価値観に合うようにデザインされていないためそのまま使うことは難しいが、だからこそ、自分の手でその原石をアップデートできる可能性を感じたのだそうだ

漁師町でレストランをするのに似ている。すごく極端な表現だが、東京の魚は冷凍の切り身になってしまう。出回っている生地は大量に在庫を抱えた売れ線の生地ばかりで、どれも似通ったもの。もちろんそれは安くて使いやすくて安定しているという良さもありますが、漁師さんと一緒に漁に出て、市場に出回っていない素材をもらって料理するような、産地ではそういう楽しさがあります」(村田さん)。

産地の技術と新しいアイデアが生み出した生地「影織」

講座では「hatsutoki」で使われる生地が出来上がるまでの具体的な工程が、播州産地で働く職人の方々の写真、村田さんが実際に目の当たりにした問題、創作アイデアの元となった出来事と共に説明された。

紹介された中でも、産地のブランド「hatsutoki」ならではの生地が「影織」だ。織りの密度の変化によって作られた模様が浮かび上がり、光が当たると影になって現れる。播州織の製織工場「小円織物」の先代が生み出した「よろけ織り」という技術に「hatsutoki」のアイデアが加わり、完成された新しい生地だ。

「影織」の生地を使って作られた日傘。光が透けて模様が現れる。
「現場で、職人さんと機械の前で話していたときに思い付いた。机の上で絵を描いているだけでは思いつかないアイデアだと思います。目の前で新しい生地が出来上がる様子にわくわくしました」(村田さん)。

「よろけ織り」は経糸(タテ糸)のテンションを部分部分で変え、そこに緯糸(ヨコ糸)を入れて織ることでうねりが出て模様になるといったもの。近年ではコンピューターで制御できるようになり、複雑な模様を作ること・同じ模様を再現することができるようになった。アップデートされた技術と新しいアイデアによって新たに「影織」として生まれ変わったのだ。

うねるような模様が特徴の「よろけ織り」。
「小円織物の3代目社長は、同世代。そんな同世代の職人との服作りは面白い。この先30年付き合って60代になったら、もっとレベルの高いものが作れるだろうなと今からわくわくしている」(村田さん)。

参加者の中には、実際にこれから産地へ行って服作りをする予定の美大生も。 工芸学科に通うキミコさん(写真右)とアズサさん(写真左)に終了後、感想を伺った。

(写真左から)美大の工芸学科に通うアズサさんとキミコさん。
卒業したら、山形の産地に行って服作りをする予定です。村田さんのように、実際に産地を巡り、産地に入って仕事をしている方のリアルな話が聞きたかった。あとは、“服ができるまで”という題名と、作るプロセスを学べるという内容に惹かれて参加しました。
学校でももちろん作品として服は作ってはいますが、製品として出来上がるまでの生の声を知りたくて。講義の中で一番興味を持ったのは影織。実際に産地に入ってリアルな産地の技術を見たからこそ思いつくアイデアとデザインだなと。産地の課題なども聞けて、卸だけじゃやっていけない、他の産地と地域を越えてのものづくりもできるんだとか、新しい発見があり、自分の今後にも活かしていきたいと思いました」(キミコさん)。

「布ができるまでの流れは学校でも工場に行ったりと学ぶ機会はありますが、それを大勢に伝える・発信していくことが不足していると思っていました。今回村田さんのお話を伺って、産地の現状とどういう風に向きあって、どういう風に伝えるかを知ることができました。播州織だけど他の産地のものを入れたり(「hatsutoki」では播州織と尾州のウール加工を組み合わせた生地の開発もされている)と、可能性を広げるやり方も知れてよかったです」(アズサさん)。

制作中の「hatsutoki」の未発表の生地も、完成に至るまでの過程と共に特別に公開された。
印象的だったのは、参加者の熱心な姿だった。サンプルとして見せられた生地を身を乗り出して写真に収めたり、終了後には村田さんに声をかけ質問や感想を話す人が絶えなかった。

「とても熱心に聞いてくださり、驚きました。産地のものづくりの話は、とてもマニアックですし、日常の中ですぐに役に立つような話ではないと思うのですが、それでも、皆様が普段お仕事や生活をされていて、何かしらの問題意識や、未来への可能性をものづくりの話から得られるのでは、と感じて来てくださったのだと思います。あんなにたくさんの方々が、産地に関心を向けられているということにとても驚きましたし、嬉しくも思いました」(村田さん)。

モデレーターとして当日も参加していた糸編の宮浦さんは、講座の冒頭や途中で、何度か「一方通行な授業にはしたくない」と、質問の時間を設けたり、噛み砕いた分かりやすい言葉を使って専門的な用語を確認していた。 今回の講座を開催するにあたり、「窓口的な役割を担いたいので、産地を知って興味を持ってもらえたら嬉しい。そして実際に産地に行く時の手がかりやとっかかりになればいいなと思っています。繊維産業って専門的で難しい、となってほしくない内容が100%分からなくても、話が面白かったなと、それで興味が湧いて産地に行ってもらえたらいいですね。単発の企画を4回やるようなイメージなので、1回1回がきっかけになるようにと思っています」(宮浦さん)と話す。

そもそも、本講座の元になっている、レギュラー開催の「産地の学校」を立ち上げたきっかけは何だったのか。糸編の本社でもある「セコリ荘」にて改めて話を伺った。

月島の古民家を改装した「セコリ荘」。「産地の学校」の説明会や体験授業も行われる。

産地の課題と向き合い、産地で働くことの魅力を伝える

「産地の学校を立ち上げたのは、繊維業界って参入が難しいというか専門性が高いので、それを少しでも噛み砕いて、興味のある学生さんの窓口になったり就職活動の手がかりとなったり、若いデザイナーにとって産地や生産のことを体系的に学ぶ場所を作りたかったからです」(宮浦さん)。

月島にある「セコリ荘」は、古民家を改装したコミュニティスペースとして2013年にオープン。当時は1階でおでん屋としての営業を行い(金土日のみ)、2階が住居だった。週末の飲食店で得た収入で産地へ行き、生地を買い込んで戻る。そんな生活を続けて1年で約5,000もの生地サンプルが集まった。その後、2013年にも『ACROSS』で取材させていただいたが、自費で『Secori Book vol.1』を出版し、徐々に雑誌の連載などの仕事が入るようになったという。

株式会社糸編代表・宮浦晋哉さん。
「本当はその頃の話が一番おもしろい。でもそれだと『服ができるまで講座』じゃなくて『糸編ができるまで講座』になっちゃうので(笑)。仕事が入るようになったのは2014年くらい。産地の技術とデザイナーが求めていることを橋渡しするというところに、自分の役割を感じるようになりました。セコリ荘という場所がテキスタイルの見本を見ることのできる場所としてちょっとずつ知ってもらえるようになって、デザイナーに生産ノウハウを伝えたり、産地で作られた世に出ていない素材をマーケットに乗せたり。素材と人をつなぐようなイメージですね」(宮浦さん)。

今では2階がテキスタイルの資料部屋となり、「産地の学校」の学生の自習スペースにもなっている。講座自体は蔵前の会場、そして講座後の相談や質問は「セコリ荘」で受けている。宮浦さんは、学生の産地への就職のサポートなどにも熱心で、日々忙しい。今回の「服ができるまで」講座も、「やって終わりでは自己満足になってしまう」と、後日のオフ会や参加者限定のQ&Aページの開設などのアフターケアも行なっている。

2階の資料部屋には宮浦さんご自身で集めた大量の生地のサンプルが。
「(「服ができるまで」講座は)単純にめちゃめちゃ楽しくて勉強になる講座だと思います。もっと早くやればよかった。本やウェブメディアを作ったり、ずっと産地の魅力を発信し続けていますが、今こそこういう学びの場が求められていると実感しました。一つのアプローチとして、完成されたかっこいい服があって、その背景の産地があって、時に産地のおっちゃんの渋い部分が見え隠れして、またそういう産地の魅力を20〜30代の若い同世代の人たちが話してくれると伝わりやすいですよね」(宮浦さん)。

若い人達の産地への関心が高まりつつある今でも、業界の衰退は進んでいる。講座の中ではそういった産地の課題と、そこにどう向き合っていくべきかも度々話に上がっていた。播州織は80年代に生産量のピークを迎え、西脇市内の工場では価格競争が激化した。他の工場に勝ち仕事をもらうためには、利益を薄くし、いかに安く仕事を受けるかが重視され、お互いの首を絞め合うという状況が続き産地は縮小していったという。

そろそろ体制を変えていかなければと、価格競争から付加価値の競争になっていきました。それまでは発注された生地をいかに精巧に安く作るかというのが西脇の仕事でした。これからやっていかないといけないのはそんな受け身の仕事から、こちらから発信するような仕事への転換。産元商社もこれまでは営業と生産管理の機能しかなかったが、ここ10年くらいは、そこに企画という機能がつきました。企画提案型の独自性が求められ、だからいま、西脇には新しい提案のできる若いデザイナーが必要とされているんです」(村田さん)。

村田さんが普段一緒にものづくりをしている産地の職人の方々の写真がエピソードと共に紹介された。

“一着の服が、使い手の元に届くまで”。

西脇市では市内でデザイナーを目指す人に対する支援補助金や起業にあたっての助成金の制度がある。また、古くから女性の労働者を全国で募集し受け入れていた歴史もあり、移住者に対して寛容な文化が根付いているという。

「産地に興味を持つ若い方が増えていて、西脇市もバックアップしているということもあり、ここ数年で20数名の若手の方々が移住してきています。小さい工場に、デザインができてマーケット感覚がある若い世代が入ることで売上が増えているという例は少なくありません。共通言語がなく噛み合わなくて苦労することもありますが、デザインソフトが使えない社長にソフトの使い方を教えたり、なあなあになっていたお客さんとの付き合いがちゃんと締まったりと、大きな貢献になっていると思います」(宮浦さん)。

ただ移住者を増やすだけでは産地の活性化には繋がりにくい。最終的には新しい手法を受け入れることのできる産地の柔軟な体制と、若いデザイナーの学習意欲や発信力が必要とされる。都度発生する問題を解決していくことは、結果的に双方の学びや発見につながるため、噛み合わないことを恐れずお互いの要望や技術を共有していくことが大事だ。

「新しいものを作ろうとするとき、経験が浅いと何が問題になるのかわからないことが問題だったりします。問題を予測するのは経験値の積み重ね、つまり今までどれだけ失敗したか、だと思いますので、いつも先輩に相談しっぱなしです」(村田さん)。

倉庫で発見したジャガードの生地から発送を得た「金木犀のドビー」(写真左)と、他の産地の技術を掛け合わせた「先染め×本藍染めシリーズ」(写真右)。
今回の講座を通して受講者に伝えたいことを村田さんに伺うと、以下のように話してくださった。

一着の服が、使い手の元に届くまでに、どんな道のりがあるのか。そこには、沢山の人の手があり、思いが込められていて、そういった仕事の積み重なりがあって初めて原料から服が出来上がる。そういった事を、私自身の産地での体験を通して生まれた言葉や考えでお伝えし、今の、そしてこれからの物の価値の在り方を考えるきっかけになれば」(村田さん)。

講座「服ができるまで」のグラフィックは、「産地の学校」と同じく𠮷田勝信さんが手がけている。不揃いな形と線で作られた文字、実は人の手がモチーフになっている。産地の職人の手のシワを実際に集め、それを組み合わせて作っているのだそう。ポップな色と無骨な職人の手が合わせられたデザインは服のようにも見えるし植物や風景のようにも見える。産地の風景や気候、歴史、技術、そこでの人と人の繋がりを学ぶ今回の講座にぴったりだ。産地で働くことを学ぶのは、職種関係なく、自身の働き方や生活を振り返るきっかけにもなるのではないだろうか。

「服ができるまで」パンフレット。一見何かの模様に見えるが、よく見ると文字になっている。
次回「夏服の回」は大阪・泉州産地でTシャツブランド「EIJI」を立ち上げた三木健さんを迎えて5月17日に開催される。


【取材・文:堀坂有紀(『ACROSS』編集)





講義終了後は、「hatsutoki」の商品を自由に触れる時間に。
「セコリ荘」2階の資料部屋。4月からは、土日限定で洋服屋「糸と研究」がオープン。
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講座「服ができるまで
<開講日>
第2回:2019年5月17日(金)「EIJI/三木健」-泉州産地-
第3回:2019年8月30日(金)「KNITOLOGY/鬼久保綾子」-福島産地-
第4回:2019年11月15日(金)「blanket/彦坂雄大」-尾州産地-
<会場>
スパイラルルーム(スパイラル9F / 東京都港区南青山5-6-23)
<受講料>
各回一般 ¥ 3,500(税込)/ 学生 ¥2,500(税込)
※ご予約・お問い合わせは「産地の学校」HPをご確認ください。



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