連載 モードの思想
第1回:手仕事は「エシカル」なのか 前編
レポート
2026.04.21
ファッション|FASHION

連載 モードの思想
第1回:手仕事は「エシカル」なのか 前編

『物語化批判の哲学』(講談社、2025年)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)、『性的であるとはどのようなことか』(光文社、2025年)、『批判的日常美学について』(晶文社、2026年)と、話題作を次々と刊行する美学者・難波優輝さんによる、ファッションをめぐる思索、分析の連載がスタートします(『ACROSS』編集室・大西)。

はじめに

この連載の目論見は、モードの目的地を明らかにすることだ。

ファッションはどこかに向かおうとしている、と感じる。けれど、どこかに向かおうとしているか、そのどこかは誰も分かっていない。もちろんファッションデザイナーたちやファッションを楽しむ人たちが「ここに行くぞ」と目的地を決めていくようなものではない。 モードは様々な方向へと飛び出していく。そのモードの運動の総体を捉えるために、様々なモードそのものを分析すること。無数のモードのヴェクトルを足し合わせていくと、いったいどこに向かうことになるのか。まったくの無になってしまうのか、それとも、おおまかにせよ、モードは方向と大きさを持っているのか。

モードはどこに向かうのか。存在しない目的地を探す旅を始めよう。

手仕事礼賛


さいきん、あらゆるブランドが
——歴史あるビッグメゾンから、国内外の 若手ブランドまで——「手仕事」への敬意を払っている。「産地との創造的なコラボレーション」「職人技へのリスペクト」に類するフレーズは、いまや無数に繰り返され、表明されるものとなった。 手仕事。一つ一つ丁寧に、職人たちがプライドを持って、過去から伝えられた技=アートを現代に再解釈して、蘇らせる。 手仕事は、実は振り返ってみると、西洋では長らく軽視されてきた。西洋文化の一つの源流とみなされる古代ギリシア人たちは、ある時から、技術や医学は奴隷の仕事だとみなして、頭と手を分離して、考えることの方が手を動かすことよりも偉いものだとみなすようになった(Senett 2008)。

こうした流れは時代がずっと下っていっても変わらない。十九世紀にはじめてアーティストたちが独立した仕事として認められ始めた時、アーティストたちは、自分たちを「アルチザン(職人)」とは違う、独自の表現者である、とアピールした(Kristelar 1951)。つまり、芸術が称賛されるためには、手仕事から切り離される必要があった。ここにいたってもまだ手仕事は文化においては重要なものとはみなされていなかった。 これに対して、手仕事が評価されはじめたきっかけは、近代デザインの創始者のウィリアム・モリスだった。モリスは、質の悪い工業製品に対して職人の手仕事によるインテリア・日用品の重要性を訴え、それによって生活を改善することを目指したのだ。

モリスの時代から随分たった今、改めてなされる手仕事への注目は、工業化社会への反対表明であったり、よりよい生活への方向転換の提案であったり、非西洋地域の人々の文化へのリスペクトだったり、労働環境の改善だったりする。とりわけ、ファッションにおいては、手仕事を礼賛する表明や提案やコレクションは、とてもいいことにみえる。これまで無視されてきたり、軽く扱われてきたけれど、実際は私たちの生活を支えている大切な手仕事へのリスペクトが生まれているのだから。なんの批判もしようがない、非の打ち所がないメッセージにも思える。 けれども、一歩引いて考えてみたい。手仕事を褒め称えることは、ほんとうによいことなのだろうか。

ストリートにも、手仕事、あるいは手仕事風のデザインがあふれている(写真:ACROSS編集室「定点観測」より)。

反逆の精神?

手仕事的なアプローチに基づいたファッション実践が近年になって突然登場したわけではない。たとえば2000年代にはPaul HarndenやCAROL CHRISTISN POELLといった文字通りの「アルチザン系」ブランドが一定の支持を得ていたりもした。

ただしそれは、コングロマリット型の広告・拡張戦略というより、むしろ商業主義に対する批評的実践として機能していた。

そこで、今から私が問題にしたいのは、個々人のデザイナーが素材や技術に抱く敬意それ自体ではない。それは、尊重されるべき敬意のようにみえる。むしろ、コングロマリット的なファッション・システムが、「手仕事」というラベルを都合よく用いる実情である。

いまや、「手仕事」は様々な不協和をマスキングするためのフレーズとなっている。デザイナーたちが手仕事や素材に払うピュアな敬意としての「手仕事」という言葉は汚れ始めている。「手仕事」という言葉は、供給や労働の現場での搾取をかき消しつつ、過剰な価格設定を文化的な価値として正当化するための道具になっているように映る。

手仕事の再評価は、もっぱら非西洋の手仕事の再評価である。 褒め称えられる対象の手仕事は、西洋のものだけには限られなくなった。西洋的権威(クチュール、アーカイブ、正統性)を保ったまま、そこに非西洋の発見を追加する仕方で新規性を調達している。西洋の優位は温存され、その上に非西洋の発見の物語が上乗せされる。

こうした西洋の伝統につながることだけではない仕方で、ブランドの物語に新たな魅力を付け加えようとしている。 いまコレクションに要請されているのは、つねに更新されているという感触=新鮮さである。だが、新鮮さはもはや枯れ始めている。成熟とアップデート——アーカイブの再解釈や、メゾンの正当性の継承、クリエイティブ・ディレクターの交代
——によってなんとか新鮮さを生み出そうとしている。

そこで「手仕事」である。メゾンは非西洋の手仕事を評価することで、新鮮さを生み出そうとする。特定の伝統(たとえば日本)をモチーフにした展示空間やパビリオン(オリエンタリズムそのものであるが)を設えたり、周縁的な地域の若手デザイナーを育成・支援することで、「新たに発見された伝統」を礼賛する。

クラフトマンシップの象徴的なアイテムであるレザーバッグ(写真:ACROSS編集室「定点観測」より)。
手仕事礼賛は、「本物」の伝統という夢をみさせる。 手仕事を褒めることで、私たちは、手仕事を行う人々を、西洋的なテクノロジーに汚されていない、純粋で純真、オーセンティック、つまり混じり気のないものだ、とみなすことがよくある。 手仕事を褒めることは、素朴さを持ち上げることであり、素朴さは「発展途上」「後進性」「純粋さ」と結びつけられがちだ。ここが怪しい。

ここで見逃してはならないことがある。それは、非西洋の手仕事の再評価は、オリエンタリズムである、ということだ。 オリエンタリズムとは何か。私の理解では、西洋の立場に立ち、その目線から、「素朴」「謎めいた」「純粋な」「異なる伝統を持つ」といった仕方で非西洋を味わう美的な態度、それがオリエンタリズムである。オリエンタリズムとは、いっけん非西洋を持ち上げている。

だが、オリエンタリズムとは、結局は西洋の技術や思考が「進んでいる」という観点を崩すことはない。西洋の技術は合理的であり、有用であり、便利である。それを手放すことは私たちにはもはやできない。だが、非西洋の人々は、非合理だったり、不便だったりする習俗を生きていて、そのエキゾチックな雰囲気や世界観に、観光するようにちょっと触れて味わってみる。それがオリエンタリズム的態度である。

メゾンがやりたいのは、他のメゾンのコレクションよりも自分たちのファッションが魅力的である、と人々に感じてもらうことだ。そのための方策として、かつては、反逆性が輝いていた。醜いとされるもの、ダサいとされるもの、古いとされるものを、魅力的なものとして評価する態度が人々を魅了した。

けれども、反逆の身振りは、モードの歴史のなかに回収されてしまう。表立っての反逆精神は、むしろ時代遅れになったのかもしれない。それゆえ、デザイナーズブランドやビッグメゾンに求められているのは、より洗練された、力みのない、行儀のよいシニカルさかもしれない。しばしばエシカルで、サステナブルで、地域性や手仕事への敬意を備えたものとして演出される。今日のモードにおいて価値を持つのは、反逆の熱さではなく、洗練されたエシカルさに思われる。

表立っての粗野な反逆がトレンドにならなくなったぶん、行儀のよいシニカルさは、ファッションの制度の外部に出ることを目指さなくなったとも言える。行儀のよいシニカルさによって、ラグジュアリー産業の内部で高く評価される。非西洋の手仕事や伝統へのまなざしは、西洋中心主義への批判として提示されながらも、本質的にはそこまでの速度をもってはいないようにみえる。その行儀のよいシニカルさは、コングロマリット的なファッションの産業に、手頃なシニカルさを発見されることそれ自体が目的となっている。

いま、世界に対する批判的なモードとは、エシカルであること、サステナブルであること、肩の力が抜けていることだ。もはや反逆は、シュッとしている。今日の反逆性は、過去の熱い反逆ではなく、手触りのよいエシカルさにある。

こうしたシュッとした反逆を求めるとき、そのどれもを同時に叶えてくれるものがある。そう、非西洋の手仕事を再評価することだ。実際、手仕事を評価するファッションアイテムを購入し身につけることは、購入者にとってもうれしいことばかりだ。それは、自分たちの美徳を表現することができる。同時に、クールさを表現することもできる。エシカルでクール。最高じゃないか?

とはいえもちろん、本当にエシカルなのか、サステナブルなのか、どうオルタナティブなのか、どうアンチ西洋テクノロジーなのかという疑問がある。後編ではこの点についてさらに論じたい。

レースや刺繍等も手仕事を想起させるアイテム(写真:ACROSS編集室「定点観測」より)。
【文:難波優輝】

Profiel:1994年生まれ。美学者、会社員。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、慶應義塾大学 サイエンスフィクション研究開発・実装センター 訪問研究員。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。近著に『批判的日常美学について』(晶文社、2026年)、『性的であるとはどのようなことか』(光文社、2025年)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)、『物語化批判の哲学』(講談社、2025年)。
 


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