連載 渋谷の街と音楽
レポート
2026.10.29
カルチャー|CULTURE

連載 渋谷の街と音楽

第1回:<DJ> Mars89(マーズエイティーナイン)

ライター二木信による、渋谷の街と音楽の現在を都市の風景や人々の営みから見つめなおす短期連載。第1回目はDJ Mars89を招いてインタビューを行った。

1964年の東京オリンピックを契機とした都市整備、東急と西武による消費文化の形成、渋谷PARCOの誕生。そうした街の変化とともに、渋谷は若者文化の発信地として発展し、特に独自の音楽文化を作り上げてきた。たとえば、70年代の百軒店の喫茶BYG、道玄坂沿いにあったヤマハ渋谷店を舞台に展開したロック/ポップス、90年代の渋谷系、そして世界有数のレコード街として賑わった宇田川町。時代ごとに異なる音楽文化を育んできた街が、いま再び大きく姿を変えようとしている。
駅周辺では「100年に1度」と謳われる大規模な再開発が続き、ジェントリフィケーションへの懸念もある。インバウンドの増加によって街の風景も大きく変わった。2026年9月には、58年の歴史を持つ西武渋谷店が閉店した。「渋谷がつまらなくなった」、そんな声を近年よく耳にするようになった。
しかし一方で、クラブやライヴ・ハウスには多くの人が集まり、そこで新しい音楽やコミュニティが生まれている。かつて日本の音楽文化を牽引してきた渋谷は、いまも「音楽の街」であり、文化の発信拠点なのだろうか。いまの「渋谷と音楽」はどうなっているのか。短期連載「渋谷の街と音楽」では、街と音楽の関係を、そこで活動する人たちの言葉などを通して考えていく。 
第1回は、2008年に東京へ移り、DJ/プロデューサーとして渋谷のクラブ・シーンに深く関わってきたMars89。幡ヶ谷のFORESTLIMIT(フォレストリミット)から道玄坂の大箱、ハチ公前で展開してきたPROTEST RAVE(プロテストレイヴ)まで、Mars89の経験を辿りながら、昼間とは異なる「夜の渋谷」の姿を聞いた。

個人商店の多さと多国籍が都会らしさ

ーー渋谷や東京にどんなイメージを持っていました?
Mars89:特定の都市、新宿とか渋谷に対するイメージができるほど東京のことを知らなかったですね。ただ、地元の周辺に不良がめちゃくちゃ多かったから、東京とかでかい都市に行ったら、不良がもっとたくさんいるんだと思っていました(笑)。

ーー地元はどこですか?
Mars89:兵庫県伊丹市出身で、ある時期に川西市に引っ越しました。大阪や神戸に仕事に行く人が住んでいるベットタウンで何もない行き止まりみたいな場所でしたね。同じ形をした家、それとイオンがある典型的な郊外都市です。その地元がつまらなくて、嫌で、大きな都市に出たくて東京に来たんです。それで文化服装学院に通い始めて。それが2008年ですね。

ーー最初はどこに住みましたか?
Mars89:最初は東京の地理がわからなくて、新宿まで一本だし、家賃も安いということで京王線の調布に住んでいたんですけど、調布も住宅街じゃないですか。風景が地元と変わらないし、満員電車も本当に嫌で。それで学校の裏の初台、幡ヶ谷のあたりに引っ越してからはずっとそこに住んでいます。

ーーということは、渋谷区の住民ということですね。初台、幡ヶ谷のどういうところが好きですか?
Mars89:個人商店が多いのが好きなところですね。個人商店がヴァリエーション豊かにあって、いろんな国籍の人がいるのが居心地良かったですね。そういうのが都会らしさであり、都市の良さだと思うので。

ーー幡ヶ谷のクラブと言えば、FORESTLIMITがありますよね。
Mars89:FORESTLIMITはめっちゃ行っていましたし、いまでも遊びに行きますね。初台と幡ヶ谷のあいだにあるニューマタンゴというバーも面白いですね。私はお酒を飲まないんですけど、人が集まって音楽がかかっている場所は好きですから。春ぐらいに、三宿にあった
リスニング・バー PINKNOIZ(ピンクノイズ)が幡ヶ谷に引っ越してきたんですが、さっそくハマってディープリスニングのDJをしたり、イベントを企画したりしています。

ーー渋谷とクラブで真っ先にイメージされるのは、円山町や道玄坂、神宮前とか、渋谷駅近くのクラブでしょうけど、幡ヶ谷も渋谷区です。
Mars89: むしろ観光客や海外から来る人のほうが、住所の表記を見てFORESTLIMITを「渋谷のクラブ」として捉えている気がします。渋谷駅周辺とはまた違う環境ですよね。隣の笹塚駅周辺はいままた再開発されていて、ショッピングモールもできて、タワマンも建設中で、チェーン店も多い。ただ、幡ヶ谷は絶妙にアクセスが悪いし、個人商店も多い。それが開発され切らないことにもつながっていると思いますね。遊びに来る友だちからもたまに「どこで降りるの? 京王新線って何?」って聞かれるんですよ(笑)。渋谷の中心からそんなに遠くないけど、そういうわかりにくさが利点だと思います。例えば、お金もない20代前半の若い子たちがおもしろいことを思いついても、渋谷駅周辺のクラブを借りるとなると、採算面でハードルが高いですよね。でもFORESTLIMITであれば、比較的気軽に実験的なことができる。それは新宿のSPACE(新宿5丁目のビルの地下にあったクラブ。2026年6月に閉店)にもあった雰囲気だと思います。あとなにより、FORESTLIMITは、カトーさんが毎週水曜日にK/A/T/O M/A/S/S/A/C/R/E(カトーマサカー)で面白いことをやり続けていることが重要ですよね。

直近に行われた幡ヶ谷でのパーティーのフライヤー。K/A/T/O M/A/S/S/A/C/R/Eとのコラボイベント「ノクターナルマサカー」も。
ファッションとの接点もあるMars89。渋谷PARCOのORIMI店舗ではレセプションでDJを務めた。

渋谷のTSUTAYAとBack To Chill

ーーMars89さんは渋谷の中心部のクラブでもDJをしていますよね。
Mars89:渋谷を拠点に活動している意識はないですけど、箱が集中しているので、渋谷でDJする機会は多いですね。CONTACT(コンタクト)とSOUND MUSEUM VISION(サウンドミュージアム ヴィジョン)(ともに道玄坂にあった、いわゆる大箱のクラブ。両者とも2022年に閉店)があったときは、もっと頻繁に渋谷でDJしていました。その2つがなくなって以降は、遊び場が新宿や西麻布、中目黒や代官山にばらけた気がします。

ーーCONTACTとSOUND MUSEUM VISIONは、まさに再開発に伴う入居ビルの取り壊しのために閉店しました。道玄坂二丁目南地区が再開発の対象地域ということで。
Mars89:メインフロアが大きかったから、例えば海外の有名なアーティストやDJがメインでやることで、セカンドフロアやサードフロアでより実験的なことができるというのはありました。そこで新たな才能が世に出ていくことができたし、そういう人たちを観ることもできた。ひとつのフロアのみで採算を取らなければいけなくなると攻めたことができなくなる傾向もあると思います。あと、CONTACTの良さは、真っ暗なメインフロアで音を楽しめて、セカンドフロアではおしゃべりもできたことでした。クラブに音楽だけ聴きに行って誰ともしゃべらず帰るというのもちょっと寂しいし、かと言って、おしゃべりだけして音楽がないがしろにされてしまうのも良くない。両方あることで、コミュニティが自然と生まれるし、自分がパーティをやるときもそういう空間を作りたいと考えています。私が学生のころから一番DJしていたのはmodule(モジュール)(宇田川町にあったクラブ。2014年閉店)だったんですけど、あそこも頑張れば3フロア作れるから、一番下のメインフロアでキャリアのあるDJの人がやって、上では若い人がDJしていて、私もけっこう呼んでもらいました。そこにTREKKIE TRAX(トレッキートラックス)のSeimei(セイメイ)もいたし、そのときバーカンに入っていたAKIRAM EN(アキラメン)とも出会ったりしましたね。

ーーMars89さんは渋谷のクラブの現場叩き上げ、ということが伝わってきます。最初に渋谷や東京に特に具体的なイメージはなかったという話をしていましたけど、「渋谷/東京のカルチャー」の何かしらのイメージはありませんでした? 例えば、自分なんかは90年代の渋谷系、宇田川町のレコード文化とヒップホップのように、渋谷と深く結びついた音楽文化やそういうイメージに影響を受けた世代だったので。90年代後半、10代のころに初めて行った東京のクラブはThe Roomでしたし。
Mars89:自分は元々、物心ついたころから音楽は好きで、ニューウェーヴやポスト・パンクなんかも聴いていて。2007年に、神戸にDaft Punk(ダフト パンク)がツアーで来たんですけど、当時の神戸には、PHENOMENON(フェノメノン)やSWAGGER(スワッガー)(両者ともオオスミタケシらが立ち上げたブランド)といった東京のストリート・ブランドを扱う店があって、そこにDaft Punkのポスターも貼られていたんです。DEXPISTOLS(デックスピストルズ)(DJ DARUMAとDJ MAARから成るユニット)も大阪へ頻繁に来ていて、そういうファッション系と音楽のイベントがたくさんありましたね。それで東京の濃い人たちを知って、カッコいいなって。DARUMAさん、JOMMYさん、オオスミさんらが当時DJでかけていた音楽をきっかけに、例えばMGMT、エド・バンガー・レコードやキツネ・メゾンのコンピレーションを聴くようになって。バンド・サウンドとクラブ・ミュージックが混ざったようなものが流行っていた時期だったんですよね。

ーーそこから東京への憧れも強くなった?
Mars89:そうですね。文化服装学院に入ってみたら、けっこうみんなあっさりしていて、「あれ、東京の人ってこんな感じなのかな?」って拍子抜けしたなんてこともありましたけど(笑)。

ーーさきほど挙げてくれた音楽は、いまのMars89さんのサウンド、DJの方向性とはちょっと違いますよね。
Mars89:東京に出てきたころにフレンチ・エレクトロのサウンドが激しくなって、フィジェット・ハウスとか、ちょっと後のEDMの走りみたいなものが出てきた。そのときに自分は「これは違うな」となって。フレンチ・エレクトロがEDMっぽくなってくると、展開とか、シャキシャキした高音域が増えてきて、それが苦手で。その頃にニンジャ・チューンとかにハマって、ザ・バグの『London Zoo』やブリアルの『Untrue』、リアルタイムではないですけど、レフトフィールドの『Leftism』とか聴いて。そんなときに遊びに行ったのが、club asia(クラブ エイジア)(円山町にある大箱)でやっていたダブステップのパーティ、Back To Chill
(バック トゥ チル)でした。あれはもう「低音」じゃないですか。それで「サウンドシステムってこういうものなんだな」とちゃんと楽しみ方がわかって、そこからダブステップを本格的に聴くようになりましたね。

ーーなるほど、そういう流れだったんですね。
Mars89:それこそ、いまはもうない、スクランブル交差点の目の前の渋谷のTSUTAYAで映画もCDもめちゃくちゃ借りまくりました。5枚で1000円のタイミングが来るたびにCDもDVDもたくさん借りて、とにかくたくさん観て、聴いて、ということをやっていました。渋谷のTSUTAYAには恩恵を受けましたね。いまだと観られない映画をたくさん観た気がします。

ーーめちゃわかります。私もまったく同じことしていました(笑)。
Mars89:だから、渋谷が面白かったのはそういう音楽や映画への入口がたくさんあったことですね。同じ箱でも日や週末によって、ぜんぜん違うことをやっているから、フレンチ・エレクトロのパーティで出会った箱のスタッフの人が他のイベントを教えてくれたり。で、行ったら、また別の人が「Back To Chillがヤバいよ」って教えてくれて。そうやっていろんな音楽を知っていきましたね。

DJのみならずライブも敢行しているMars89。

ハチ公前とPROTEST RAVE

ーーさきほど、コロナ禍以降にCONTACTとSOUND MUSEUM VISIONが閉店したことによって、渋谷のクラブの地図もこの数年で変わったということでしたけど、いま渋谷でよくDJする場所はどこですか?
Mars89:ENTER(エンター)で、隔月でBS0xtra(ビーエスゼロエクストラ)というレギュラー・パーティをやっています。スタッフや音響を含めて、ENTER はCONTACTを引き継いでいるところもあるし、やりやすいですね。CONTACTとSOUND MUSEUM VISIONがあったころは、友だちが他のクラブでやっているからハシゴすることもよくありました。いまは渋谷以外のあちこちでいいパーティがやっているから、そういう気軽なハシゴがしにくくなりましたね。一極集中ではない良さはありますけどね。道玄坂には翠月-MITSUKI-(2019年オープン)があって、少し前にリニューアルしてめちゃくちゃいい感じですし、KOARA(コアラ)(神南にあるDJバー)もリニューアルして居心地が良くなりましたね。渋谷から大きめのクラブは無くなりましたが、小箱のカルチャーは進化していってるように思います。

ーーMars89さんが仲間たちと2019年に始めたPROTEST RAVEも最初は渋谷でやっていましたよね。PROTEST RAVEは音楽家やDJが、社会や政治の問題に声を上げる際の緩やかなネットワークのようなものと言えると思いますが、どうやって始まったんですか?
Mars89:もともとのきっかけは、あいちトリエンナーレをめぐる補助金不交付の問題(のちに愛知県の不服申出を経て、文化庁が減額して交付)です。いわゆる表現に対する検閲へのアクションを、音楽の側からもやるべきではないか、というところから始まりました。ただ、私たちが準備を進めているあいだに、その問題に近いアートの人たちや当事者に近い人たちがアクションを起こしていた。それでタイミングもずれてしまった。だったらマルチイシューでやろうと。私たちには音楽関係者やクラブ・コミュニティのコネクションがあるので、そういう人たちをデモというか、路上に引っ張り出すきっかけになればいいなと思ったんです。デモのノウハウを持っている人たちにつなげてもらって、「デモの練習」ではないですけど、プラカードを作るとか、車道を歩くとか、普段あまりやらないことをやろうと。やってみたら、みんな意外と「こういうこともできるんだ」と気付くんじゃないかと。Galaxy 銀河系(原宿と渋谷のあいだ、神宮前にあったレンタルスペース。2023年7月閉店)を集合場所にして、人が集まるまでちょっとしたパーティをして、時間が来たら表に出て、国連大学から表参道のほうへ行って、代々木公園まで行って解散というコースでした。そのあと、Galaxy 銀河系に戻ってアフター・パーティまでやりました(笑)。

ーーその後、デモ行進ではなく、ハチ公前などに場所を固定して、野外パーティのような形のアクションに変わりました。ハチ公という渋谷の駅前の象徴的な場所でやってみてどうでしたか?
Mars89:ハチ公前は全面、広告に囲まれているじゃないですか。全部の広告がバラバラに違うことを言ってくるわけです。ハチ公前は、そういういろんな資本の欲望が向けられる場所。そこで実感するのは、サウンドシステムと低音の力ですね、それによって、あの場所の音響を支配すると、逆に渋谷の広告がただのバックグラウンド、背景と化すことで、そういう反転させた空間を一時的に路上に出現させることができました。それがとても良かったですね。そうやって場所を固定してやり始めてからのほうが、「街でやっている」という感じはします。

ーー最近はハチ公前ではやっていないですね。
Mars89:しばらく渋谷でやっていないのは、ハチ公前の状況が変わってきたからです。自分たちがPROTEST RAVEを始める前からいろんな人がアクションをおこなってきた場所だと思うんですけど、さらに数も増えてきた。さらに例えば、ウクライナ戦争におけるロシア、またはイスラエル支持の人たちの集会もあれば、地下アイドルの勧誘もあるし、近年は海外から来ているYouTuberやTikTokerが猛ダッシュでスクランブルの真ん中に行って、一発かまして去っていく、みたいな光景も見られるようになった。「ダンスは抵抗である」というコンセプトのもと、ハチ公前でパレスチナへの侵攻に対する抗議や、日本政府にまともな気候変動政策を求めるアクションをしてきましたけど、もしいまそれをあそこでやると、「またなんかやってるわ」のひとつになってしまうと思ったんです。すべてがスペクタクルに回収されてしまう。それではPROTEST RAVEの効果を発揮できないと思って、それでいったん渋谷を離れましたね。PROTEST RAVEは街のなかで異質な存在でいなければならないと思うので、常に新しい場所を探していますね。また相応しいタイミングが来たら渋谷でもやると思います。
今年3月29日に新宿駅東南口で行われたProtest Rave「DROP BASS NOT BOMBS」。Photo by Yui Hasegawa

夜の音楽

ーー友人や知人と渋谷の話題になると、「駅前の再開発による街の画一化」と「インバウンドによる物価高」がネガティヴに語られる傾向があって、自分もそれは痛感しているけど、同時に、近年のクラブやライヴ・ハウスの盛り上がりや熱気をポジティヴにも感じていて。だから、一概に「渋谷はつまらなくなった」みたいに言いたくない気持ちがあるんですよね。実際に渋谷で遊んだりDJしたりしていて、どう感じていますか?
Mars89:渋谷はたしかにいま再開発されていますけど、自分にとって渋谷は夜来る場所だから、再開発でできた建物が全部閉まっているんですよ。再開発に伴ってデカい資本の飲食店が増えて個人経営の店が減ったのは悲しいですね。パーティ前に軽くご飯に行ったりする場所って、そういう場所であるべきっていう思いもあって。インバウンドはクラブにもある程度の熱気をもたらしていると思います。だからこそDJやオーガナイザーが試される部分もあるんですが。

ーー大型の商業施設が増えましたね。
Mars89:あんまり施設の内容もさほど変わらないでしょうし、そもそも私はでかいショッピングモールに行かないから生活に影響はあまりないですね。再開発の工事現場を見るたびに「公園にして木を植えろ」って思ってますが。駅前の再開発によって、CIRCUS TOKYOへのアクセスは良くなったとは思います。前は新南口のところは「何口?」って感じだったじゃないですか。自分は自転車なので、あまり変わらないんですけど(笑)。夜動く人と昼動く人によって、再開発されている街の見え方、捉え方は違うと思いますね。

ーーPROTEST RAVEは、そうやって夜動いてクラブで仲良くなったり、知り合った人たちとの関係の延長にあるんですか?
Mars89:そうですね。面と向かって世間話をしたりすることで、その人のパーソナリティがわかる。そういうなかで信頼関係ができて、「あの人を呼びたい」という感じでやってきましたね。わざわざ「コミュニティを作らなきゃ」と言って作れるものでもないから、常にそういったものが生まれる土壌を作ることが大事だと思います。同じ空間にいるだけではダメで、会話もしないと生まれないですし。

ーー今後、Mars89さん周辺のクラブ・シーンにはどうなっていってほしいと思いますか?
Mars89:
自分が例えばmoduleでやっていた頃って、DJの数がいまよりだいぶ少なかったんですよ。だから、いまはぜんぜん違うフィールドで活動している人たちも、当時は音楽性がバラバラだけど一緒にやっていたんです。そんななかで、自分とは違うものを聴いたり、観たりして学んで、それを制作に活かせた。いまはDJが増えたことによって、テクノのなかでもミニマルが好きな人、ハードテクノが好きな人たちと細分化が進んで、そこで完結していてあまり行き来がなくなってしまった。ハウスやテクノ、ヒップホップみたいな大きなジャンルどうしになるとなおさら。

ーー仮に音楽のジャンルでないとしたら、いまいろんな人が集まるためには何が必要だと思いますか?
Mars89:
例えば自分がやっているレーベル=Nocturnal Technology(ノクターナル テクノロジー)には「夜の音楽」というコンセプトがあるんですよね。そういうふうに美学的なコンセプトのもとで色々な音楽が体験できるみたいなのはおもしろいと思います。フロアが複数あればやりやすいですよね。サブカルチャーにとって美学はずっと大事だったし、近年、美学的なところはあまり言われていない気がするので、それについては考えています。ジャンルで分かれているのは、それぞれのスタイルが成熟してきているということでもあるんですけど、複数のフロアで、ぜんぜん違う人たちがやっているみたいなのがあれば、新しい化学反応が観られるんじゃないかな。それぞれのスタイルが成長していると思うし、DJだけでなく、ラッパーもたくさんいるし、混ざらないよりは、混ざったほうが絶対いいと思うので。

Mars89によるレーベル、Nocturnal TechnologyのBandcampページ。自身も積極的に音楽制作も行う。
文:二木 信







Profile:Mars89(マーズエイティナイン)
 “ダンスフロアで奇妙な快楽を感じたなら、DJブースの向こうにはMars89がいる”
Mars89は、妥協のないエレクトロニック・ミュージックで知られ、東京のアンダーグラウンド・クラブシーンにおいて、最も個性的で刺激的な存在の一人となっている。

東京を拠点に、DJ、ライブパフォーマンス、作曲、サウンドデザインを横断する彼の活動は、ひとつのフォーマットの内側に留まらず、それらを一つの実践における互いに繋がった点として行き来している。

その活動は、Contact TokyoでのOpen to Lastのセットから、Ruralをはじめとするフェスティバル、そしてSLICKなどのQueer DIYレイヴへの出演、そしてブリストル、ベルリン、ワルシャワから台北、ソウル、上海にまで及ぶクラブでのギグまで多岐にわたる。さらに、活動は国際的なラジオのネットワークにも広がっており、ブリストルのNoods Radioでのレジデンシーをはじめ、パリのRinse France、ベルリンのMutant Radio、ミラノのRadio Raheem、ソウルのVisla FM、グアダラハラのInternet Public Radioなどにゲストミックスを提供。これらの結節点が各都市をまたぐアンダーグラウンドのネットワークが浮かび上がらせる。それらの現場を通し、セット自体もダンスフロアを強く意識したフィジカルなセットから、よりスローで瞑想的なディープリスニングセッションまで幅広く展開される——それは別々のモードというより、根底にある同じ美意識の異なる表出と言える。

そのサウンドは、初期のインダストリアルやニューウェイヴ、UKダブステップ、ブリストルのベースカルチャーを軸としながら、テクノ、アンビエント、そして映画的な感覚が取り入れられている。彼のDJセットは動的な構築物として組み立てられ、インダストリアル、ダブ、テクノ、そして快楽のダイナミクスのあいだを行き来する。


Profile:二木信(ふたつぎしん)
1981年生まれ。ライター。ヒップホップ/ラップの雑誌『THE CROWD』の編集/監修。『素人の乱』(松本哉との共編著)、単著に『しくじるなよ、ルーディ』、漢 a.k.a. GAMI著『ヒップホップ・ドリーム』の企画・構成など。
 
 


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