かわいい労働
それゆえ、かわいいは諸刃の剣だ。
かわいいを手に入れることで、私たちはたんに「カッコいい」とか「イカつい」といった美的性質の一種類を手に入れるだけではない。特有の仕方で対人関係をコントロールする美的力も得る。自分を庇護させるように要求できる。
だが、そのかわいい美的力は、対人関係の問題のすべてを解決してくれるわけではない。相手からのヘイトをうまく管理できなくなるかもしれないし、相手からの侵害を誘発してしまうかもしれない。そして、その相手からのキュートアグレッションは、思ったよりも人間を蝕むのではないか。
いま、アイドルを始めとして、少なくない女性たちは「かわいい労働」を強いられているのではないか。 社会学者のガブリエラ・ルカーチは、1998年から2004年の「ネットアイドル」現象——自分の写真や日記をウェブサイトに掲載し、ファンと交流しながら人気を獲得しようとした実践——を「かわいさ」から分析する(Lukács 2020)。ルカーチは、彼女らネットアイドルたちが、様々な仕方で自分なりのかわいさを表現することで、新しい自己肯定のかたちを探求していたと評価しつつも、同時に、ファンへの返信、日記更新、撮影とアップロード、自己演出、ランキング投票の呼びかけ、ファンに対する感情的ケアといった膨大な作業に飲み込まれっていったことを指摘する。
彼女たちは、新しい仕方での感情労働、すなわち「かわいい労働」へと引きずり込まれていった。ルカーチの分析は今なお古びてはいない。過去のネットアイドルたちが行っていた労働は、様々なSNSで活動するアイドルやインフルエンサーへと受け継がれていく。現代の少なくない人々もまた「かわいい労働」に参加することで承認や対価を得ることになる。
もちろん、誰もがインフルエンサーたちのように、かわいいを直接の商品として販売して日々の生活費を稼いでいるわけではない。だが、少なくとも、冒頭で述べたように、かわいいが自分たちのエンパワメントになりうる、と歌う歌がこれほどまでに流行している現在、かわいい労働をSNS以外の場面でもしているのではないだろうか。家庭の中での労働が、見えない仕事「シャドウ・ワーク」として概念化できるように、日々の生活の中で、かわいいによって様々なハラスメントやジェンダー不平等と渡り合おうとすることもまた、見えないかわいい仕事、すなわち「シャドウ・かわいい・ワーク」なのではないか。
ここで言いたいのは、かわいい労働というものを、お金を稼ぐためだけではなく、日常的な対人関係を安全に、円滑にいくように、うまく切り抜けるためのジェンダー化された技法として捉え直したいのだ。例えば外見・表情・リアクションに気を配ること。「感じがいい」「女の子らしい」「愛嬌がある」姿を作り上げること。「怖い」「不機嫌そう」と言われないようにしなければならない圧力を調整すること。あるいは、しつこいメッセージや嬉しくない誘いに対して、相手(主に男性)の面子を潰さないように「また今度」「ちょっと難しくて」「ありがとうございます、でも……」と攻撃的ではない仕方で拒絶をしなければならないこと。
現在の少なくない女性たちは、日々シャドウ・かわいい・ワークを強いられているのではないだろうか。自分のかわいいに時間やお金や精神を使っている。かわいい格好をしよう、かわいい振る舞い・仕草をしよう、とポジティブにエンパワメントされるだけではなく、そうしなければ生きて行けない、という切迫感を感じもするのだ(もちろん、かわいいだけではなく、カッコよさや強さでもってこの世界を渡り歩いていこうというコンセプトもありうる。けれど、そうしたテーマでさえもかわいいからは逃れられていないようには思える。「カッコかわいい」のであり、「かわいくて強い」ものが称賛されているようにも思えている。この点に関してはまた別の議論が必要そうだ)。
もちろん、こうしたシャドウ・かわいい・ワークからかわいいを取り戻すために、かわいいエンパワメントを目指す実践が、とりわけロリータのモードを代表に日々繰り広げられているようにも思う。
実際、ロリータ・ファッションの実践者たちは、かわいいを他人から求められるものではなく、自分たち自身で楽しむものへと作り替え、ある意味で独占しようとしている。社会学者のジャイーシュウ・ジャオとイーメイ・ジューは、中国のロリータ・ファッションの実践者53名へのインタビューを通じて、彼女たちがロリータという装いを通じて独自のコミュニティを形成していることを明らかにする(Zhao and Zhu 2025)。ロリータの実践者たちは、自分たち以外の人々を「地球人(Di Qiu Ren)」と呼ぶ。
多くの部外者は、私たちの服装が誇張されすぎていて、まるで宇宙人のようだとよく言います。だから、私たちは「そう、私たちはロリータ星(Lolita Planet)から来た『ロ・エイリアン(Lo aliens)』よ」と答えるだけ。(回答者9、女性、24歳、ジュエリーデザイナー)
かわいい服を着ることによって、一般社会から距離をとり、自分たちを切断し、いわば別の星に住まおうとする。SNSで自分たちの装いを共有し、互いのかわいさを称賛しあう。
けれども、実際は、かわいくならなければならない、そうすることが、生きていく際に実際的な利益をもたらしてくれる、というかわいい・ワーク思想は広く行き渡っている。例えば、一例として、メイクについてもかわいいが作られ続けている。涙袋メイクを始めとして、カラコンも含めて、いずれも、大人っぽさやクールさの方向というよりも、かわいい、幼い動物的な愛らしさを演出し、生み出すような技法が探求され実践されているように思える。うるうるとした涙のモチーフ、黒目を強調し、白目の部分を減らす。あるいは、「中顔面短縮」メイクやメガネを使った顔の見せ方など、いずれにしても、愛くるしさをデザインしようというトレンドがある。こうしたトレンドがただちにとりわけ女性に負担をかけるものだとは考えづらい。
だが、強調したいのは、かわいいモードのファッション実践が、すべての場合において、私たちをエンパワメントするものではないということだ。どのような間柄をその装いをまなざす者と作り上げるのかが重要である。かわいいを押し付けることで、抵抗するという方向になるのか、それとも、かわいいを用いて、庇護を求め、同時に攻撃の危険も発生させるのか。かわいいが私たちを救い出してくれるかどうかは、そのかわいいの種類や状況によって大いに異なってくる。
2024〜2026年にかけ、現代的な解釈によるロリータや森ガールテイストのスタイルがストリートには散見される(左:2025年、右:2024年撮影)
かわいいを超えて
かわいいを求めることは、「単純に、かわいいからかわいくなりたいのだ」と反論があるかもしれない。だが、美的性質というのは、完全に対人関係から切り離された無色透明ではありえない。つねに、対人関係に何らかの影響を与えざるを得ない。それゆえ、かわいくなることは、単にかわいくなりたいだけだと感じていたとしても、それ以外のいろいろな対人関係の要素を引き連れて発生させてしまう。それを避けることはできないのだ。シャドウ・かわいい・ワークにいつの間にか巻き込まれ、時間やお金や精神を費やすことになってしまっているかもしれない。
かわいいだけじゃだめなのか。だめかもしれない。様々な世界の不平等と向き合うためには、かわいいだけではない、様々な力と知恵を駆使していかなければならない。しかし、同時にかわいいは、まだまだ可能性を秘めているようにも予感する。かわいいの力が、さらに探求されるべき未開の地として広がっている。もしかすると、すべての不平等が撤廃された時、そのときにはじめて、私たちは、純粋にかわいいを享受できるのかもしれない。だが、そのときまでは、かわいいだけではなく、かわいい以外の力も必要だ。そのために、私たちはさらに別のモードも探求していこう。
参考文献
有田亘.2013.「「視線革命」 としてのロリータ・ファッションへむけて」『国際研究論叢: 大阪国際大学紀要』26.3 (2013): 1-20.
ACROSS. 2026a. 「渋谷 10017 22歳 女性 / 大学4年生(ファッションデザイン)」https://www.web-across.com/observe/mino5u0000008gqf.html ACROSS. 2026b.
「原宿 10036 21歳 女性 / 大学4年生 服飾」https://www.web-across.com/observe/trkkfk0000009rta.html
Harris, Daniel. 2001. Cute, Quaint, Hungry and Romantic: The Aesthetics of Consumerism. Da Capo.
Ivy, Marilyn. 2010. The art of cute little things: Nara Yoshitomo’s parapolitics. Mechademia 5: 3–29.
Lukács, Gabriella. 2020. "The Labor of Cute: Net idols, Cute Culture, and the Digital Economy in Contemporary Japan." In Invisibility by design: women and labor in Japan's digital economy. Duke University Press. 57–80.
Merish, Lori. 1996. Cuteness and commodity aesthetics: Tom Thumb and Shirley Temple. In Freakery: Cultural Spectacles of the Extraordinary Body NEEDS SPACE. Thomson RG. ed. New York University Press. 185–203.
Ngai Sianne . 2005. The cuteness of the avant-garde. Critical Inquiry 31: 811–847.
Plourde, Lorraine. 2018. "Babymetal and the Ambivalence of Cuteness." International Journal of Cultural Studies 21(3): 293-307.
Zhao, Jiayixiu and Yimei Zhu. 2025. “Need for Belonging: Exploring Subcultural Identity in the Chinese Lolita Online Community.” European Journal of Cultural Studies, 28(4): 1000–1020.
Profiel:1994年生まれ。美学者、会社員。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、慶應義塾大学 サイエンスフィクション研究開発・実装センター 訪問研究員。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。近著に『批判的日常美学について』(晶文社、2026年)、『性的であるとはどのようなことか』(光文社、2025年)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)、『物語化批判の哲学』(講談社、2025年)。