2005.11.26
その他|OTHERS

田淵寛子/TABUCHI HIROKO インタビュー

有限会社Linkage代表取締役社長/青山学院大学5年生

1981年4月15日大阪市生まれ。血液型A型。私立四天王寺高校卒業後、青山学院大学経営学部に入学。大学1年生のときに某大手芸能事務所に所属し、バラエティタレントとしても活動。その後、5年在学中の2005年7月に起業。学生と企業を繋ぐ仕事を柱とし、幅広く営業中。
10月23日に行われた大学生主催の出版企画コンペ「出版甲子園」に出場。「<女子大生が書いた>日本一簡単な起業の本 〜女子大生がとりあえず会社作っちゃいました」で第2位を受賞。現在数社からのオファーがあり、来春には上梓の予定。

なんかいろいろ空気で感じましたね。

父親が公認会計士なんで、将来は会計士になるんだろうなって漠然と思っていました。幼稚園ぐらいのときはケーキ屋さんとか言ってましたけど。あとは、映画が好きだったんで、映像系にいきたいって思った時期もありました。

大学入学のために上京したのをきっかけに、お笑い系で芸能事務所に「預かり」で入ったんですが、本当はお笑いがやりたかったわけじゃなくて、映画がやりたかったんです。大きい事務所だったので「将来的には出来るよ」って言われて、じゃあやってみようみたいな。預かりって言うのは、契約はしてないけど、そこの所属みたいなイメージです。

映画に対して、高校生の頃から漠然と憧れてました。大学に受かったんだから好きなことやってもいいでしょ、と偶然知った事務所に入ったのが最初です。月1万5,000円支払って、週1回のボイトレとか演技レッスンとかダンスレッスンとかが付いてくる。ひと通りやったんですけど、将来像が見えなかったんでみんなで辞めようかってなって、3、4ヵ月で辞めました。

その後、たまたま某大手事務所が「お笑い部門・女子のみ、大学生なら尚可」という募集を見つけて、いけるじゃん、みたいな軽いノリで受けたら受かっちゃった。私は映画、相方は歌手を将来的にやりたいですって言って、じゃあおまえら入れってなったんです。

コンビで「M-1グランプリ」の予選とか、テレビとかにも出たし、ストリートアーティストの出る番組とか、MXテレビとかにも出てましたよ。ネタは自分たちで作っていました。お笑いって大阪人的に言うと、おもしろい人が一番、みたいなのがあるんですが、面白い上に賢くないと出来ないと私は思うんですよ。そう考えると、私にはお笑いのセンスはないなーって思いました。好きに喋るのは得意なんですけどね。MCはできるけど、一発芸は無理でした…。女性陣はMCなどの立ち位置を狙えって言われたんですけどなかなか厳しい。オーディションとか舞台とかもおまえら行って来いって言わるんですけど、やっぱり女の子ってお飾りっぽいのも多かったし、事務所の力で押し込まれるっていう感じもありますからね。なんか空気で、いろいろ感じましたね。

そんなこんなでいろいろあって結果的には辞めちゃった。でも今も、先輩や後輩が何組か残ってるんじゃないですか。そうそう、この前オンエアバトルでオンエアされてた先輩もいました。

今も昔もまとめ役

小学校は公立、中学・高校は女子高で私立。しかも大阪で一番って言っても過言ではないぐらいの進学校で、私はそのなかの落ちこぼれでした。でも、落ちこぼれていたからこそ今があるっていう感じです。

小さい頃から今と変わらずまとめ役で、仕切るつもりはないんですけど、気づくとまとめてさせられてる、先生からまとめといてって言われてました。みんなそれに従ってくれるって言ったらおかしいけど、ありがたいことに、ついてきてくれてましたね。学級委員とか小学校からずっとやってましたし、集会委員会で委員長とか代表委員とか、代表委員の集まりの中の実行委員長とか、もういかにもって感じのことは全部やってました。

実はうち、父も母も引っ張れる人なんですよ。私はひとりっ子なんですが、3人が3人とも自分以外の家族の方が引っ張ってくのがうまいと思ってる(笑)。仲いいんですよ、うちの家族。

小学校は学年で300人。一時日本一になったぐらい大きい小学校で、ほぼ全員がマンション住まい。1学年300人、全校で1,900人ぐらいいて、小学6年生のときは集会委員長をしていたんで、その1,900人に向かって司会したりして飛び回ってました。まあ、目立ちたがりですね(笑)。

スポーツとかは全くやっていませんでした。むしろ、運動音痴なんです。ボールを持ったら突き指します。卓球の球に追いつけないです。バトミントンも打てません。なので、部活は、中学・高校とお琴をやってました。そこでも部長したり副部長したりでした(笑)。

高校のときにプライドは捨てました、成績悪すぎて。

小さい頃から学校と塾の毎日だったので、ハチャメチャな遊びをしたっていう記憶がないんです。小学生のときも、友だちはいっぱいいたんですけど、みんな一歩引いてて、寛子ちゃんてすごいよね、とかいう感じでしたね。だから友達の相談を受けてばかりいました。何々君が好きなんだけど、とか。ある日、私は誰に相談したらいいんだろうって思って、親に泣きついたこともありましたね。それが小学4年生のとき。しっかり者の寛子ちゃんだったんで、弱音吐けなかったんですよ。その性格は今も変わってませんね。

基本いい子で、悪いことは本当にしたことがなくて、しても信号無視ぐらい。反抗期でも、某アイドルの追っかけをするくらいでした(笑)。といってもコンサートがあったら行くとか、ファンのちょっと強いやつっていうぐらい。部屋にはポスターとか貼ってましたけど(笑)。王道ですが、木村拓哉から入りました。イケメンとお笑い好きなんです。でも付き合うんだったら、さま〜ずの大竹さんがいい。

高校も上の方になってくると、コンサートにも行かなくなりました。もともと体が弱くて、喘息持ちだし、アレルギーもいっぱい持ってた。風邪ひいてふつうに3日とか学校休んだりして、久しぶりに学校行くと、身内の子たちは風邪だって知ってるんですけど、そうじゃない子たちからは『どこに遊びに行ってたの?』って言われたりして。病院に点滴打ちに行ってたって言っても、またまたーとか言われて。

あるとき、真面目な子から田淵さんて経験豊富なんでしょと言われたんです。経験豊富って、何の経験?ないないないっていう感じ。ボーイフレンドもぜんぜんいなかったですし。たぶん友だちに、真面目な子からおもしろい子、遊んでる子まで、多種多様にめちゃめちゃ多かったんで、派手な人って勘違いされていたのかもしれません。

一番上のコースだったので、東大、京大、医学部と、エリートコースに進もうっていう友だちがいっぱいいるわけですよ、周りに。その人たちにすごいコンプレックスを感じてたのと、ちょっと違う環境に行きたいなっていうのもあって、上京することを選びました。

「青学ベンチャーラボ」との運命的な出会い

で、1年間の浪人生活を経て青学に受かり、すぐに自分で芸能事務所を見つけて入るんですが、そこは先に言った通り辞めて、たまたま募集していた某大手のお笑い部門に入ったわけです。

でも、そこも、自分たちがやりたいことはいつ出来るんだろう、っていう感じで。もうすぐみんなクビになるかもっていうときに、大学の友に「青学でミスターコンテストやるんだけど、MCやらない?」って誘われ、2年連続してMCをやりました。1年目は任意団体のイベントだったんですけど、2年目は「Sparkle」っていうミスター青山のためのサークル組織をつくり、何故か私が代表になってました(笑)。スタッフはみんなキャピキャピした感じの女の子で、私は600人ぐらいの前でMCをやった。おもしろかったですね。

「Sparkle」をつくってイベントやったときに、通称「青学ベンチャーラボ(以下、AVL)」っていう、青学のベンチャーを志す学生のサークルとコラボレーションしようっていう話になったんです。大学3年生の8月か9月ぐらい。2003年のことです。そこで私は初めて、「青学ベンチャーラボ」っていう存在を知るわけです。

その頃は会計士になるため大学院に行こうと思って地味に勉強しつつ、「Sparkle」を2003年のイベントが終わった時点で下の世代に移したところで、2004年の5月の試験をもってちょっと休憩して、しばらくは大学生らしいことをしてみようと思っていた時期でした。

それが、たまたま6月2日にニュービジネス協議会っていう社団法人が主催する講演会で、『ぴあ』の副社長さんの学生起業したっていう話を聞いて衝撃を受けたんです。その後の懇親会に行ったら、アツイ学生がいっぱい居過ぎて、なんだこいつら!?ってものすごく驚きました。

今まで周りにはそういう友だちがいなかったんです。ダブルスクールしていた会計士の学校は、みんな会計士になるために真面目に勉強しようっていう感じでしたし、大学ではイベントサークルとかで楽しもう、勉強しようっていう学生はいるけど、所詮、何かありきの自分、勉強ありきの自分、イベントありきの自分じゃないですか。何かを自分で創ろうっていう人たちに会ったのは初めてだったのでとても刺激的でした。

それからです。私はそれまでベンチャーとか意識してなかったんですが、AVLやそういった交流会での学生たちと積極的に話すようになり、そうしたらビジネスプランがいくつも出てくるんですよ。なんか出来そうじゃない?って。そのときいちばん盛り上がったのは合コンビジネスいけるだろうっていう話です(笑)。ほんとアホでしょ?

仕掛けられるより、仕掛ける側になりたい!

青学には「ベンチャーラボ」の大人団体で教授や起業家のOB・OGの人たちによる「青学ベンチャーネットワーク(AVN)」っていうのがあって、サイバーエージェントの藤田さんとか、在学中に(株)電脳隊を立ち上げ、その後(株)ヤフーにバイアウトした川邊さんとか、そうそうたるメンバーが来て講演してくれる授業があるんです。みなさん、年が離れた先輩という感じで、親まではいかないけど30代で、私たち学生は後輩として可愛がってもらってます。

ぴあの講演会の翌週にAVNの定例会があり、1つ上の先輩に「来れば?」って言われて、そこですごい魅力的な女の子に出会ったんです。彼女も同じ5年生で、すぐに意気投合。彼女がやりたい企画があるんだけどっていう話にすぐ乗っかり、そこからもうずっといっしょにいますね。

最初に2人でつくったのは、『青学のトリセツ』っていうフリーペーパーです。AVLの活動のなかに「社長インタビュー」っていうのがあって、それまではメールマガジンで配信していただけだったんですが、もったいないということで、それを紙にまとめたっていうようなものです。新たにインタビューしたのはサイバーエージェント藤田さん、YAHOO!の川邉さん、そしてGREEの田中さん。彼女が編集全般を担当し、私が営業の真似事を。彼女の従兄弟がデザイナーをやっているので、素人っぽくなくてこれがなかなか好評でした。

7月も定例会に参加し、8月にはその彼女の紹介で、「とあるプロジェクトがあるんだけど、そのスタッフを募集する説明会があるから行かない?」って言われて、なんだかわかんないけど、「行くなら行くよ」って行ったわけです、8月19日に。その内容が、「1リーグ制阻止のためのスタッフ募集」だったんです。そのときに、1週間で10時間しか寝ないっていう生活をしたんです、仲間10人くらいで。慶応とか早稲田とかいろんな大学の子がいて。デモ行進もしましたよ。私、やくみつるさんの隣で横断幕を持ってデモ行進したんです。「Yahooニュース」にも取り上げられたりして。阪神のユニフォーム着てました、阪神ファンだし(笑)。あのときにビラ配りの真髄を極めましたね。

こういう風に、いろんなことが動いてくんだなって知って、衝撃でしたね。それこそ流行とかも仕掛けられてるわけじゃないですか。それを知らずにああそうなんだって思って購買してるのがふつうの人。私は、仕掛けられるより仕掛ける方になりたい、とそのとき強く思いました。

そして、今まで私は本気で頑張ったことがなかったなあってつくづく思ったんです。全部中途半端だった。1週間で10時間睡眠とかもそうですけど、ある意味、体力的な限界まで頑張った結果、私でも出来るんだっていうのが分かり、とても自信になりました。そこが大きいですね。いろんな活動を通して起業家の先輩方にも多く知り合ったので、そこですね、起業、私やりたいかもって思ったのは。

学生で起業するということ。

「起業=楽しそう、充実してそう」っていうような短絡的なイメージしかないレベルだったので、最初は大学院に行きながら起業しようと思ってました。でも、会計専門職大学院はそんなに甘くない。どうしようって言っているうちに、やっぱり「学生」という立場が欲しいから留年しようという結論に。学生だと会ってくれる方って多いし、許されることも多いじゃないですか、これはすごく甘い考えなんですけど、事実としてありますよね。社会人です、会ってくださいって言っても社長さんとかも会ってくれない。学生という立場のゆるい感じで会いに行って、人脈作れたらいいな、みたいな。でもそれが仇となって、学生だからって甘く見られるときもあったので、まぁ、それは今思えば当然なんですが、早く起業したい、法人化したい、っていう思いも強くなりましたね。

10月からは、企業でインターンとして事務をやったりもしましたが、突然社会人の先輩方からの呼び出しがかかったりして休むこともあるから迷惑がかかってしまうので、結局半年で辞めました。そして、6月のイベントで刺激を受け、このプロジェクトに参加し自信を付けた私は、野球のプロジェクトに参加した青学5人組の中の1人といっしょに起業することになりました。

資本金は500万円。親から借りました。1人娘の甘えです。本当に恵まれていると思います。当時、仕送りは20万円ぐらい。うち家賃は9万5,000円で、それの他にも会計士の専門学校のお金とかも払ってもらっていたので、ほんとうにごめんなさい!っていう感じです。今になって、やっと自分でお金稼ぐのがいかに大変かっていうのがわかりました。親に足向けては絶対に眠れません。

私たちの仕事は学生に「気づき?」を与えてあげることなんです。

事業内容は企業と学生を繋げる仕事。アイデアとしてはいっぱいあったんですけど、結局今出来ることは何だろうって突き詰めてったら、そこに立ち戻りました。いわゆる就職活動のマッチングです。1年半ぐらいかけて知り合った社長さんたちがたくさんいるので、そういった社長さんたちのご意向をお聞きした上で、おもしろい学生も多くいるので紹介する。社長に直接か、役員直接かのどちらかで面接をしてもらえるようセッティングをするのが仕事です。

費用は企業からいただき、学生からはほとんどもらいません。学生には最初、弊社主催のセミナーに参加してもらうんですけど、ふつうセミナーっていうと講師がいて上から下に向かって教えるっていう感じですが、私は同世代なので、少人数で、「ねえねえどうなの最近」っていう、本音を話せて、もっと身近なところで就職について話し合えるゼミみたいな感じでしょうか。イベントで知って来る学生さんもいるし、私のブログを見て来る学生さんもいます。あとは友だちの後輩とか、面倒みてやってよという紹介とか。

今の時代、求人状況はそれほど悪くないじゃないですか。とはいえ、企業が欲しい人たちってある程度決まってるから、そういう子たちをいかにマッチする企業に紹介するかがポイントです。マネージャーみたいな感じですね。

私たちが機会を得たのは野球のプロジェクトでしたけど、「気づき?」を与えるのであれば、別にそういうジャンルじゃなくても、例えば、就職活動でも、パーティでもイベントでも下手すりゃ合コンでもいいかもって思いますね(笑)。

この前高校の同窓会に行ってきたんですが、社会人だったり、大学院生だったり、医学部だったら5年生とか6年生、早く結婚しちゃった子もいて、面白かったです。でも、当時はものすごくプライドが高くて尖がってた人たちがなんだか丸くなってたのにびっくりしました。そんななかで、「あ、私は私らしい道を歩んでるな」って思いましたね。今は、会社っていう子供を産んじゃったので、1人で歩けるよう成長するまでは結婚は考えていませんね。でも、好きな人はいますよ、よく聞かれますが社長じゃないです(笑)



[取材場所:有限会社リンケージ・会議室/インタビュー・文:高野公三子]


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