2003.09.06
その他|OTHERS

高橋歩/TAKAHASHI AYUMU インタビュー

自由人/島プロジェクト代表

PROFILE:1972年8月26日、東京港区生まれ。血液型B型。自由人。(有)アイランドプロジェクト、(有)A-Works代表取締役。20歳のとき、映画『カクテル』に憧れ、大学を中退し、借金だらけで仲間とアメリカンバー「ROCKWELL'S」を開店。2年間で4店舗に広がる。店の仲間を中心に「サークルHEAVEN」を設立。「死んだらごめんツアー」と呼ばれるギリギリのイベントを多数開催するが、運良く、死なず。23歳のとき、自伝を出すために仲間とサンクチュアリ出版を設立。自伝『毎日が冒険』がベストセラーに。26歳で結婚。すべての肩書きをリセットし、ふたりで世界大冒険に出かける。約2年間で北極から南極まで、世界数十カ国を放浪の末、帰国。そして2000年12月、沖縄へ移住。仲間と「〜カフェバー&海辺の宿〜ビーチロックハウス」をオープン。現在は、その店をアジトにして、沖縄の美しい島々から、生きることの素晴しさを世界中に発信していくプロジェクト「島プロジェクト」に燃焼中。執筆活動や全国でのトークライブ(講演)も行い、大勢の若者たちのカリスマとして慕われている。現在、読谷村に愛するさやかさんと11ヵ月の海(うみ)君の3人暮らし。

生きる空気みたいなものは、オヤジから教わったような気がしますね。

オヤジは昔からとっても器用な人で、今も小学校の先生をやってるんですが、人を楽しませるのが上手な人でしたね。

たとえば、魚を採る時、魚が入ったら出られなくなるヤツがあるじゃない。それをつくるところからやる。しょうゆの瓶を使って。虫を採るっていっても、ふつうの虫採り用のアミじゃなくって、段ボールでつくった虫採り器で蝉を採ってくれたり。キャンプとか行っても、ほら、青の地面に敷くシートとかあるじゃん。気がついたら、それでテントとかつくってるの(笑)。でも、決して押し付けがましくないんですよね。いつも必ず横にいて、結果を出してくれていたっていう感じですね。

オヤジも、若い頃は、働きながら島を転々としていたみたいで、おふくろとは23歳の時に式根島で出会ったらしいんですよ。そうそう、小さい頃、よく式根島に拉致られましたよ。あんたたちの思い出につき合わされたくないぜって思いましたね(笑)。

オヤジとは、たまにいっしょに飲むんですが、自分がトークライブで話していることと同じことを言ったりしているからびっくりしますよね。その時、ああ、俺は、完全にこの人のこの感覚を、自分の体験から再現してただけなんだなあ、と思います。生きる空気みたいなもの、とでも言うんでしょうか。基本的なことは、小学校までにすべて教わったような気がしますね。

自分探しの旅のはじまり

中学生になると、俺はヤンキーになっちゃったんで、オヤジには怒られることはあっても、いっしょに遊びに行くようなことはなくなりました。でも、ヤンキーやりながら、家では進研ゼミをやってる子で、毎晩7時には家族で食卓を囲むという高橋家のルールがあったんですが、それだけは守ってました。

高校は学区でいちばんの進学校だったんですが、2年の時に音楽とサーフィンに目覚めた。友達とバンドを組み、ライブもやったりして。とにかく学校生活をエンジョイしてたんです。

そうしたら、3年生になったある日、「おまえ、卒業したらどうする?」と、突然先生が進路を聞いてきた。そこに即答できない自分がいたんですよ。それまでは、どんな質問をされても必ずなんらかの答えを出せたのに、「将来どうする?」と聞かれて、自分の欲求がわからないことに気がついたんです。

なんとなく世の中の「やらされワールド」のようなものに嫌悪感を感じ、尾崎豊とかブルーハーツとか、長渕剛とか、生き方系のCDとか聴いたりして、自分の欲求を探していた時期でもあった。リクルートの100の仕事集とかを見ても、やりたいことが何もない。音楽は好きだったけど、それで一生食っていけるだけの実力があるとは思わないし。そうこうしているうちに、あっという間に浪人生になっちゃった。自分探しが続くわけですよ。
「今でもオレの代表作といわれ
ている1冊。25年分の自伝」。

カウボーイ編

「熱くなったら本屋へGO!」って今でも言ってるんですが、小さい頃から、何か閃いたら、気が変わらないうちに本屋に調べに行くクセがついていたんです。将来なりたいものがわからないなりにも、ビッグになりたいとは漠然と思っていたので、そうだ! ビッグな人の自伝を読もう、と思ったんです。彼らが自分と同じ歳の頃は何考えていたんだろう、って。

100冊くらいは読んだんじゃないかなあ。さすがにそれだけ読むと、ある種パターン化されていることがわかってくる。好きなことに熱中していただけだった。

そこで、よーし、「好きなこと」を見つけよう、とアンテナを張りはじめた。そして一気にダッシュ! クラウチングスタートのようにね(笑)。それが、カウボーイになるためにアメリカに行くことだったんです。きっかけはマルボロのCF。オモテ向きは英語の勉強で、もちろん家族会議にもかけましたよ。愛されていきたいからね(笑)。許可が出たので、即行コンビニの夜勤バイト。やっと稼いだ20万円ほど持って旅に出た。イメージはリーバイスですよ(笑)。途中、親戚のおばさんの家にお世話になった他は、足はヒッチハイク、宿は教会に行って泊めてくれそうな人を探してお願いしたり。結局、憧れていたカウボーイは、今のアメリカでは見つけられなかったですけどね(笑)。
仲間とバーをオープンし、インド
の山奥でサイババに出会ったり、
の若さ爆発の処女作。

カフェバー経営編

英語の勉強にはなったけど、「好きなこと」はまた分からなくなり、帰国後、千葉の大学に入学。またバンド活動とかをしてました。八千代台の駅前で路上ライブ。毎日やってるうちに、だんだん人が集まってくるようになり、ライブの後はその売上げをはたいて飲み会、という大学生ライフ。毎日テキトーに楽しいし、授業も出ていない。ヤバイ状態でしたね。


ある日、社会人になったサークルの先輩が学校に来たんですよ。それを見ていて、ヤベー、俺もこうなるな、これはまずいぞ、と思いましたね。そこで、当時大ヒットしていた映画『カクテル』のトム・クルーズに憧れて、バーテンになろう、と大学を中退。時給470円でバーでバイトをはじめたんですが、パシリじゃん、と即辞めて、仲間と借金して千葉にアメリカンバー「ROCKWELL'S」を開店しちゃいました。そうしたら、2年間で4店舗。全店合わせると年間で億を売上げるようになったんです。

出版社経営編

いつもそうなんですが、ものごとがいったん上手くいってしまうと、ワクワクしなくなっちゃうんです。飽きっぽいんですかね。

もちろん、昔はビッグになりたい、金持ちになりたい、女にモテたい、って思ってましたけど、実際にそういう状態になってみたら、何も満たされていなかった。それより、もっと自分自身が成長したい、と思ったんです。俺の場合は、何もないところから、気の合う仲間といっしょに、多少の失敗があってもメゲずに夢を実現するまでの「プロセス」がいちばん成長しているんだ、ということに気づいたんです。

ソニーで高い給料をもらっていた優秀な人が、定年を前に盲導犬協会の仕事に転職をしたっていう話を聞いたんです。給料は半分以下になったけど本人はすごくHAPPY。家族もみんなそんなお父さんを尊敬していてPEACE。俺もそういう生き方をしたいな、と思いましたね。そして、軌道に乗った出版社を仲間に譲り、さやか(愛妻)といっしょに世界一周旅行に出かけることにしたんです。またゼロからの出発です。
沖縄・読谷にオープンした「BEACH 69 HOUSE」。
連日予約で満員だとか。
今夏、ZEPP TOKYOで開催されたトーク
ライブ、という名の1000人級飲み会(!)
トークライブは、年間約30回以上、
全国各地で開催している。

ゼロから1にすることにこだわりたい。

北極から南極まで、約2年ほどかけて世界数十カ国を旅しました。そこで、はっきりとわかったことは、海が好き、ということ。帰国後は、「日本の何処に住むかツアー」ということで、国内を北から南まで旅をして沖縄に辿りついた。子どもを育てるんだったらここだなあ、と愛するさやかと移住することを決心した。そして、翌2001年、読谷村に仲間と「カフェバー&海辺の宿〜ビーチロックハウス」をオープンしたんです。

ライブハウスもあって、風力発電やソーラーシステムとかエコにも工夫をこらした「楽園」です、けっこう年間を通して予約でいっぱいなんですよね。

今は、そこをアジトにして、本島から少し離れたところにある池間島っていう離島から、生きることの素晴しさを世界中に発信していくプロジェクト「島プロジェクト」に取り組んでます。不登校の若者とか、一芸に秀でた才能ある若者のためのフリースクール。っていうか、基本的には、自給自足の生活をしながら生きることを考える、なんでも学校です。

開校の目標は来春。行政はすべてOKが取れていて、(社)日本青少年育成協会とか文部科学省とかの応援ももらっているので、あとは住民の人たちが心から許可してくれるかどうかですね。やっぱりやるんだったら、おじいとかおばあとかの了解を得たいじゃないですか。そうでなければ意味がない。それも含めて、ゼロから1にできるかどうか、今が勝負のしどころですね。


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