改装日。便利屋さんに出動要請し、天井はがしを依頼する。電動カッターで材を切り取り外していた。自分たちがやったときはバールで無理やりやるから埃が舞うわけだ。正しい手順というものは何事にもある。その後、一階部分を三人のメンバーで徹底的に掃除をした。桜は満開であった。気がついたら2006年度が終わった。消費生活も終わった。現状は野宿してるみたいな住居だし、体調にも痛手を負ったが変化を狙い続けることは続けていきたい。
ホメオパシーという代替医療の講義見学を行う。面白い。一日話を聞いたが非常に勉強になった。今流行っているものではなくて、こういう未来の感じられる方向性に自分の時間をできるだけ使いたい。
フリーのネットができる場所へ行く。途中で蕎麦屋をみつけて入る。いまだにソロバンで勘定している店で好印象であった。洗濯などをして、そして夜に太極拳に行った。
朝から息抜きの副業。映像実験である。裸眼視力が2.0以上あるので貴重なサンプルらしい。終わったと思って帰ったら電話で呼び戻された。実験し忘れがあったということで、移動が多くて困った。桜が満開である。
水道管工事を夜中じゅうやっているため早朝4時半まで眠れない。これはきびしい。朝なんとか起きてPCのある環境へ行く。あと営業資料の作成。ネットカフェにて写真のキャプションをいっきに書いて、都会と農業についてのフォーラムに向かう。自分も企画を考えているからだ。自分でサイトを立ち上げたり朝市を企画したりと行動している人の話を聞くと刺激になってよい。
営業に向かうがひじょうに体がきつい。おそるべしネズミ。あまりにも無防備であったことが悔やまれるが仕方あるまい。営業後に原稿の修正と撮影した写真の選定を行う。生老病死、人生はフルタイムである。
雨が降っていた。改装作業を休み、原稿を書く。アレルギーはけっこうなもんで全身が燃えている。恐ろしいことだが治癒反応なのでやむをえない。家にネットがないので思わずネットカフェで作業するが、時間が経費に変わるのが明確なので進みが速かった。
自営の打ち合わせを終日行う。スーパーで取材したことのあるしろたまり醤油を見かけたので購入。手作り餃子に使った。
どうも体の様子がおかしい。どうやら先日の天井はがしのときにねずみアレルギーになったようである。溶鉱炉を泳いだようなかんじで全身がぴりぴりする。活動停止に近い状態だが区に転入届を出した。夜ネットカフェで原稿を書いた。
本日は各種手続きをまとめて行う。郵便転送届け、住民票の転居、不要物の売却、隣近所への挨拶。とくに改装を行うので近所への礼儀はトラブルのリスクを下げるために大事だ。そして夜は太極拳。
本日は祝日である。ゆえに改装を行った。己の仕事および活動において天井突破を目指して家を借りたので、一階の天井をぶち抜いた。天井は構造上まったく不要のもので単に電気系統の工事跡を隠すためとからしい。そんなものはいらない。天井はずしは想像以上にすさまじいものであった。おびただしい塵芥と丸いものが落ちて来る。バリ土産の笠が役立った。一気にはずした瞬間に、一気にホコリが落ちて来て部屋の視界がゼロになった。とにかく大変だったが妙な自信がついたし、部屋の天井が高くなって達成感がある。
家の引渡しのための掃除を午後4時まで行う。一抹の寂しさがあるが、気温が寒い家だったと思う。夏は天国だが、冬は外より寒い天然冷蔵庫。夕方はホメオパシーという代替医療のカウンセリングを受ける。生物学と免疫学の面からみてケミカル薬での医療はむしろ病気の原因でいかんと思うからである。まぁ保険が利かないので高い。とはいえ、ふだん受けている保険治療も支払額は安いが実際の費用は同じくらい高い。だから安易に受けてしまうと思う。
徹夜と引越しのため午前は療養する。午後は家にネット環境がなくなったので、ネットカフェを探して渋谷へいき、価格コム経由で光ファイバーの契約を申し込む。niftyにした。その後、執筆の仕事をカフェで遂行する。やはり場所を変えると一気にすすむ。
眠らずに朝が来てふらつきながら、引越し当日を迎えた。会社で引越し部を結成したという奇特な友人と待ち合わせる。部員は2名らしい。そしてレンタカー屋に向かう。免許証を見せ手続きを行う。午前中で終わるやろと思ったていたが、そこに用意されていたのは、MT車軽トラック。マニュアルの運転は、1年ぶりであるが東京の道に対応できるのか。やってみると、半クラッチの感覚がわからずエンストしまくりで、迎えた坂道交差点では坂道発進が、まったくできず渋滞を引き起こした。「免許もってないんか!」「ケイサツ呼んだほうがいいんちゃか」などと、後ろの老人福祉施設の車の中年男性に、野次を飛ばされ心臓が破裂しそうなほどの緊張感が走るが、車は後退するばかりでサイドブレーキで停止するのが精一杯であった。見かねたおじさんが、突然やってきて、代わりに運転して平地に避難してくれた。東京にも親切な人はいると思うと同時に、徹夜あけの眠気は消去された。引越し部一同MT車で免許は持っているが、運転経験が少なすぎて誰も坂道発進は難しい。レンタカーを交換してもらうことになった。これは好判断であったが、その後も狭い道を行ったりきたりで非常に疲れた。モノを持つことはほんとうに恐ろしいことだ、とスナフキンが言っていたが、そのとおりと思う。お金を稼いでモノを買う。人生の多くの時間は仕事に費やされるのだが、こんなモノのために働いているのか、では自分の人生はいったい何なのか。引越しのたびに自問自答してしまう。2年前の引越しでは冷蔵庫も洗濯機も捨ててだいぶマシになったがまだまだだと思う。
ぜんぜん引越し準備が終わらんが新しい家の改装もせんといかん。この切迫感はなんともいえずスリリングだ。昼間ひたすら壁と向き合う。分かったことは壁をはがすのはややしんどいが、塗るのは愉しいと言うことだ。寒いと物思うことが増える。思考は確実に気候と気温の影響を受ける。
金曜日、どういうわけか明け方5時まで一睡もできず。気候の変化についていけていない。夕方外での仕事をすませて夜自分のsmallビジネスの打ち合わせを行う。野菜を蒸して食べながら。
確定申告の書類を郵送しなけらばならない。あわただしく終わらせて、引越しの準備を行った。すすまない。
持病がこの季節だけ表面化する。毎年2,3月は何かと考えさせられる出来事がよく起こるので冬は忍耐の季節だ。明日が確定申告の〆切りなので急ぎで処理を行う。
早朝歯医者に行き、その後本の制作を行う。長期的に一番重要な仕事から行うのは非常によい。夜は野菜を蒸して食べたが、サツマイモがこれまでで最も旨かった。夜は長電話した。
引越し準備などする。あと営業。食材を調達する。春この時期は非常に体調が不安定で難しい。寒いときから暖かいときにはホルモンバランスが変化するためだと聞いた。
本日はいよいよ引越し先の改装である。こんなご時世に都心で土間がある家に住むのは非常に価値を感じる。お金を使えばできる贅沢というものに対して最近ますます興味が減退していていかんなと思う。のべ11人が参加し交代で壁のボードをはがし、現れた土壁に漆喰を塗っていくのははまるとやめられなくなる人が続出し、休憩の合図を無視する人もいた。色々な友達が集まって塗って楽しんで行ってくれたのでいい日だった。そして、昼過ぎにひょうが降った。今年のトウキョウは雪が降らずに雹(ひょう)が降った。こんな状況なので血圧を上げて熱くなって世の中を変えたいとはとくに思わない、否が応でも変わらざるを得ない状況に追い込まれるだろうからそのときに合わせて準備しておくまでである。
なぜかうなされた。起きて家を改装するための資材調達に仲間と向かう。が、中野の資材屋さんが第二土曜だけ休み。衝撃。急遽、車を出して横田基地近くにあるジョイフルホンダという巨大資材展示販売場に向かう。いきなり休日のドライブである。ジョイフルはすさまじく巨大で、角材が999円から売っていた。鍬や木槌など農具も売っていてなんでもそろう。「家が建つなー」と思っていたら通りがかった客も同じことをいっていた。椎茸の木やはてはカマドも売っていた。米軍基地は文字通りで通り沿いにアメリカンなお店が立ち並び異空間であった。
京都を離れ出稼ぎ先のトウキョウへ戻る。今度借りる家の改装作業のため。京都の建物はいい雰囲気のものがたくさんある。移動中の電車の中では思いがけず仕事がはかどり異常に進んだ。
身辺整理。仕事を進めるつもりが友人と人生について語る。午後は髪をかなり短く切る。その後、京都在住の工芸品ギャラリーをしているドイツ人に会う。ホメオパシーという代替医療の医師でもあるらしく今度東京に工芸品のお店と診療所を作るらしく、その場で予約を入れた。会社員時代の激務(1日14時間労働+α事業立ち上げのストレス)のせいか東京の空気のせいか、いまいち体調が全快にならないのでこりゃいかんと思っていた。それにしても激動の日々である。
ネットと資料があれば場所を問わずに仕事ができることが分かった。仕事の合間昼ごはん時に友人に会ったら、本業の傍ら畑仕事をして野菜を地元スーパーに出荷しているらしい。副業で出荷できるというのは面白いことで新鮮であった。いずれにしても京都は空が広いのが救われる。
午前から午後半ばまで仕事をする。昼下がりからタイル作家の個展を見に祇園に行く。モザイクタイルでカバンをつくったり鯉をつくったりしている。タイルの素材感はナチュラルすぎずしかしプラスチックのような磨耗する消費物感もなくて好きだ。その後、友人に会う。いろいろな仕事をしつつホメオパシーという代替医療を勉強している。面白そうで自分も習いたいと思った。さらにその後友人に会う。民藝運動に関心のある人物である。最近は革靴づくりに興味があり何足か実作している。個人で仕事ができていろいろな生き方ができるような世の中がいいなと思う。
京都で仕事をする。合間に友人に会う。企業ではなく個人の店が多いので安心する。偶然に友人に出くわすこと2回。第六感が冴えてきていることを実感する。首都を出ると仕事もはかどるのでよい。
早朝、熊野を出て京都へ向かう。熊野からはバスで紀伊田辺に抜けてJRに乗る。合計で5時間かかるという海外よりも遠い場所である。京都では自分が企画した大学時代の後輩の送別会に出るためである。場所は、市内北の山エリアにある田舎。友人が開店した週末オーガニックレストランである。春というか初夏の陽気で風が快適である。となりの畑でとれた焼き野菜が甘く、いささか興奮した。ゆっくり食事した後に畑に連れて行ってもらい、大根とかもらってしまった。ちょっとした遠足気分で後輩も喜んでいたのでよかった。
熊野入りして2日目、携帯は圏外。そして懸賞論文の口頭発表と表彰式と宴会がある。午前から準備をして午後13時開始。アカデミック論文ではなく、どんだけ本気か、己の頭で考えたかが問われるのでパソコンを使うプレゼンテーションは禁止である。声の調子とか身振りなどを駆使するという素晴らしい形式である。が、はじめてみると質問も聴衆からほぼ無制限に受け付けるので1人あたり30分かかることがわかった。しかし、本気の質問が多く、いままでにない濃い発表会であった。人が体験し調査して考えてきたことについて真剣に話す場というのはなかなかない。終わったのが夜8時半であった。審査は困難を極めたが、なんとか結果を出して表彰した。そして講評をする。えらそーにはできんが謙虚すぎても失礼であるので、自分のことばでそれぞれの秀逸だった点を話した。その後、薪ストーブのある部屋(元教室)で懇親会、あらゆる料理がうますぎて幸せであった。発表者と話ができたのもよかった。
論文の審査という大役のため審査会場の熊野へ向かうそのバスは、学生がバスにのって1ヶ月間一週間ごとに地方を回って町おこしをするという企画のバスであった。懸賞論文を主催しているNPOの地域に行くらしいので便乗させてもらった。面白い仕組みだが、やはりマイクロバスの移動は辛い。しかし、日の出を見ることができた。疲れをとるため、温泉に入る。山奥である。源泉100%の薬湯に迷わず入るが、これがひじょうに温まる。その後午前のうちに審査を依頼されたNPOの拠点の元小学校へ行く。木造の趣のある建物だ。校庭にカマドをつくり週末だけパン屋をしている。NPOの代表の方は百姓である。昼ごはんは皆で協力して作るわけだが野菜も赤米(+玄米)もうまく、特にねぎ味噌がすばらしい。味噌を含めすべて自給されておる。午後は論文を最後もう一度読み、自分の基準で一応点をつける。夕ご飯はお好み焼きであった。二年前にこのNPOの懸賞論文に応募して来たことがあるので二年ぶりに会う人が多く懐かしい気分である。
午前中から営業を2件、同時に夕方一軒家を借りるため区役所で住民票など取得して不動産屋へ向かう。契約書一枚だったので口頭によりいろいろ確認。証拠のために携帯で動画とってやろうかと思ったが無理であった。19:30にとある懸賞論文の審査員をするために熊野へ向かうバスが都庁を出るとの事でギリギリ自宅へ戻り用意をして出発。
1979年7月21日
血液型 :B
身長 :164cm 体重:50.8kg
居住地 :東京都目黒区(香川県出身) 1人暮らし
給与収入:月約10〜15万円
アルバイト収入:
仕送り:
親からの小遣い:
家賃:月5万円(風呂無し2部屋アパート)
自由になる金額:約5万円
ファッション代:約0.2万円
お金とは何か、それも一緒に考えたい。
支出には固定費と変動費があるが、変動費もけっこう固定的に存在する。
引越しとか。春は臨時支出が多い。