■京都で過ごす9月最後の一日。弟のアパートから歩いて7、8分くらいのところになか卯がありそこでカツ丼食う、なか卯の上はネットカフェになっていた、そこで2時間半過ごす。昨日の酒がぜんぜん抜けてなくて身体から変な汗が出てきて気持ち悪い。もう酒飲むのやめようと心底思う。■バイトに行っていた弟が、チャリを盗まれて帰ってきた。なぐさめる。■夜、旧友と飲む。てへ。新婚旅行で九州に行った話など聞く。僕はこれから船で沖縄へ行く。もうちょい節制してちゃんとした旅行者になろうと思う。8月9月はなんだかわけのわからない日々を送ってしまった。なんだかわけのわからない日々の記録を読んでくださった方々ありがとうございました。今後どこかでお会いしたときは何卒よろしくお願いします。
■松本発10時19分の電車、京都に向かう。もちろん乗車券のみで。中津川、名古屋の手前の金山、大垣、米原。昨日あまり眠っていないので車内で目を閉じていたがなかなか寝られなかった。女子高生がうるさかった。名古屋弁で。どの電車でみたのか忘れたが、小さな女の子を連れた若いお母さんの腰に蒼い炎のタトゥー。屈む度にTシャツのすそとベルトの間に見え隠れする。別にだからどうこうというわけではないのだけどなんかそれが一番印象に残った。■京都駅着が夕方4時40分くらい、神戸からやってきたエド君と落ち合う。彼もまた旅のスタート時一緒だったのであった。つまり最初はボブとエドと僕の3人で旅をしていたというわけで。ボブもエドも仮名だがボブはアメリカ人でエドは日本人である。■再会を祝して赤ちょうちんで一杯やる。そのあと2人で弟の部屋に転がり込む。弟は京都で学生をやっている。弟も交えて焼酎をがばがばあおって酩酊してそのまま寝た。
■9時過ぎ、キャンピングカー屋さんをあとに。松本に戻る。■なんのかんのしているうちに西日が地上の物々の影を長くし、やがて日が暮れた。日が暮れると元気が出てくる。日が暮れると何かをやろうという気になってくる。それで湯に浸かりにいく。身を清めたところで飲みに出かける。酔い惑い夜が更ける。
■朝ボブがジョギングに行った。そして帰ってきてすぐテニスしに行った。なにかに目覚めたみたいだ。なにになりたいんだろう。■テニス終わりの人たちとランチ行く。ガスト。やくざの会合らしきものが開かれていた。なぜガストで。組長や若頭のドリンクバーを取りに行くために車で待機していた若い衆がケイタイで呼び出され、任務を終えるとまた外に出た。それにしても僕が注文した山盛りポテトフライがずいぶん攻撃的な盛り具合だったので困惑した。結局テイクアウトした。■車を買ったキャンピングカー屋さんに出向く。長野県の松川というところ。旅のスタートでも立ち寄って焼肉を食わせていただいたり、その後も車の不具合の相談に乗ってもらったりと、ずいぶんお世話になっている。今宵はBBQをご馳走になった。BBQの前に出てきたアブラガニが美味だった。稚内のものをネットオークションで落としたのだという。あと肉。あとビール。焼酎も。いろいろと話した。夜は更け顔面は紅潮し吐息は湿り気を帯びてゆく。
■11時、長野行きの高速バス。隣の席が空いていたので好機、とばかりに身体を伸長する。眠ったり眠らなかったり。本を読んだり読まなかったり。米山SAで休憩があり、長野駅前着が14時20分。雨ふり。■長野から今度は電車で南下、松本をちょっと過ぎたところにある広丘という駅で下車。けっこう寒い。リュックから長袖を引っ張り出す。■ボブが迎えにきてくれていた。この旅を一緒にスタートした仲間である。約4ヶ月間、ボブともう一人の男と僕の3人で日本を巡った。3人は札幌で別れ、それぞれの旅を続けたのだった。■2ヶ月ぶりの再会。彼は若干痩せていた。■3人のときは共同購入した車で巡っていたのだが、その車はボブが乗り続けていて、彼は苫小牧から船で八戸に渡り、太平洋岸をずっと下ってきた。車とも2ヶ月ぶり。若干くたびれていた。■互いの旅の話などする。車内で眠る。
■妹の車を拝借して新潟をぶらつく。FMはいつでも陽気。天気が相変わらずいいがときたま吹く風が肌寒い。■新潟名物イタリアンを買って母方の祖母の家へ出向いてみる。イタリアンを食べながら縁側で庭をながめた。いろいろな花が咲いていて、いい庭だった。祖母はこれからのガーデニングプランを聞かせてくれた。この庭が自分の生きがいなのだと言った。
■鼻水。起きぬけから一日中ずっと鼻水が出て止まらない、涙(なだ)もそうそうである。たぶんブタクサの花粉のせいだと思う。ティシューが足りない。ホクシィが足りてない。ブタクサはスギよりもタチが悪い。雑草だからね。とにかくどくどくどくどくと流れ出てきて辛い。このままでは身体中の水分が枯渇してしまいそうだったので薬で強引にとめた。■未明、チーズとぶどうと魚肉ソーセージとビールを嗜みながらまたDVD映画みる。
■今日も新潟は好天、たとえば青空、たとえば草、たとえばアスファルト、ここそこに陽光の恩恵を賜った物々。屁をこいたらすぐに分解されて空気中に溶けた。■ツタヤでDVDを借りて観た。「ホテル・ビーナス」。韓国語で白黒だったのでムカついたが、ガイのことを格好いいと思ったしソーダは可愛いと思った。ビーナスのことは謎に包まれたままだった。
■新潟の免許センターに運転免許の更新にゆく。更新手数料(優良ドライバー価格)2800円を支払う、視力検査をノーめがねで奇跡的にパスする、優良ドライバーとしての威厳を演出しつつも自然体で写真をとられる。講習は30分。優良なので。新しい免許受け取ってみたら写真がタイ人みたいだった。タイ人の優良ドライバーみたいだった。「普通車はAT車に限る」という特記事項あり。この特記事項のおかげでまわりに、だせえ、だっせえ、格好わるいなどとさんざん言われてきたのだけど、人を、マニュアル車運転できるかできないかで判断するのは良くないと僕は思う。少なくとも僕は人をマニュアル車が運転できるかできないかで差別しない。そんなことは瑣末なことだ。たとえば僕はマニュアル車は運転できないがマリオカートはかなり強い。■夕方、母方の祖母を祖父が入院している介護施設へ送ってゆく。久しぶりに祖父の顔をみた。目はほとんど開いていなくて言葉もなかったが、祖父は僕を見て2回ほど微笑んでくれた。気がする。祖母は祖父にジュースを飲ませながらずっと語りかけていた。反応はなくても言葉の切れ目ができないようにずっと語りかけていた。あんた最近いい男になったよー、と言って祖父の頭と顔を撫で回した。ずっと撫でていた。そういえば、観光地によくあるご利益のある地蔵みたいに祖父の肌はつるつるだった。
■夜行バスはサービスエリアに2度停車した。深夜のSA、静まり返っているが営業はしている。そば食っている人もいる。■ただでさえ狭いスペース、前のおっさんがリクライニングをおもいっきり倒してくるのできゅうきゅうとした。おまけに車内は予想以上に寒い。そんなこんなで苦悶しながらも半覚醒でうつらうつら、6時前に新潟駅に着いた。■実家。午前中眠る。■本読んだりDVDみたり祖母とスーパーに買い物に行ってきて料理したりする。あとビール飲む。
■1時に散髪に行く。この旅のスタートのときにバリカンで坊主にして以来ずっと伸びるにまかせていた髪を切る。髪の毛を洗ってもらって気持ちよかった。美容師さんと旅のお金のことについて話して暗澹とした気分になる。■赤羽ぶらつく。ミスタードーナツでコーヒーを3杯。■夜、缶ビールを2本かっくらって荷造り。11時に新宿に出て夜行バスののりばへ。新潟行きの夜行バスに乗る。夜行なのに普通のバスとかわらず座席のスペースは狭い。高速にのると車内の照明が消え、しばらくすると寝息が其処彼処からきこえてくる。
■ゆっくり眠って起きる。ここは島でなくて東京。■これからの旅の筆記用にPDAを求めて秋葉原に出る。店を回っているうちに中古のノートパソコンでけっこう安いのがあることが分かり、方針を変える。結局4万円でノートパソコンを買った。軽くていい。■池袋。雨の池袋。日雇いのバイト代受け取ってちょっとほくほくする。
■早朝周囲がばたばたしている。エマージェンシーな雰囲気が漂っていたので起きて事情をきいてみると、飛行機の1便が欠航になってしまったということだった。我々が予約しているのは3便だったのだが、飛ぶか飛ばないか見通しがたたないため、今日確実に帰りたい人は船に切り替えなければならない。13人中6人が船、僕を含め7人が飛行機がとぶことに賭けてみる、という選択をした。■皆で港へ行き、船組を見送る。宿のマスターが紙テープを持ってきて、例のヤツをやった。思ったより綺麗で、今生の別れみたいな感じがしてちょっと泣きそうになった。■残った7人。飛行機2便がとんだという情報が入って歓喜する。余裕が出る。只今建設中の新しいサッカーコートを見学にいく。予想以上にすばらしいものだった。海沿いで広くて芝で。八丈はいずれサッカーの島になりそうだ。裏見ヶ滝という滝に打たれ煩悩を洗い流し業を清めてから、滝の近くにある無料温泉に浸かる。お土産を買い、空港で八丈サッカー協会会長の家族と飲み食いする。結局飛行機はとんだ。5時すぎくらいに羽田に着いた。帰りの電車で疲労感が一気に押し寄せる。■いったん帰ってシャワーを浴び、赤羽で反省会と称して飲む。
■二日酔いちょうつらい。僕の二日酔いは偏頭痛。皆に起きろてめえ起きろよもう、と言われるみたいだが懸命に布団にしがみついている。■グランドへ。サッカー。リーグ戦残りの一試合。鼻のトラウマがあってボールも人も怖かった。2002年の宮本の気持ちが分かる。■終わって昼メシをそのままグランドで食べる。ビールも飲む。風が吹き抜けて気持ちよい。このまま眠りたい。極上の夢をみられるだろう。■温泉いく。みはらしの湯、その名の通りの絶景が露天風呂から眺められた。すぐそこが断崖、一面の海と山。みはらしを堪能しながら、おじさん方のフェティッシュな裸身に囲まれる。なるべく遠くをみるようにした。■夜、宴2日目。今宵は「南国」という飲み屋。雰囲気とてもよかった。ビールに島酒にくさや。くさや。くさや。島焼酎「八重椿」は途中から水みたいになった。手足の末端にまで浸透していった。
■男子9名女子4名の総勢13名で八丈島に行く。平均年齢38歳くらい。オヤジフェチの僕にとってはたまらないシチュエーションであります。■実は去年の夏にもこのサッカーチームのメンバーで八丈遠征を行っている。メンバーの一人に八丈島のサッカー協会とコネクションがある者がいて実現したものだった。昼はサッカー、夜は島民と入り乱れての宴、怒涛の3日間を過ごした。行きの機内で思い出を反芻し、そこから押し寄せる多様な感情が身体をゾクゾクさせる。それは歓びにも恐怖にも似ている。■40分ほどのフライトで八丈空港に着く。出迎えの「おじゃりやれ」は沖縄でいう「めんそーれ」みたいなものだとおもう。宿にチェックインしてすぐにグランドへ。芝のグランドだった。今回は島チームと我々の他にも横浜のチームと東京地検のチームが参加していて4チームのリーグ戦となっていた。といっても横浜も地検もウチより永いことこの八丈遠征をやり続けてきたのだそうだ。我々がいちばんぺーぺーだ。■2試合目の立ち上がりに相手選手の頭突きかエルボーを喰らって鼻血がどばーと出た。それはもう大量に噴出した。折れてるかもしれないから、ということで病院に連れて行ってもらう。レントゲンはとらず触診のみだったが「折れてない」との太鼓判をおされた。とりあえず今日は風呂と酒は控えろ、と言われる。■宿に戻ってシャワーを浴び、BBQ会場へ。スコールが降るので倉庫の中で。魚や肉を焼くうまそうな煙がもくもくと立ち込めるなかに島、横浜、地検、それからウチという各チームの人間が入り乱れる。この宴は入り乱れ感が一番のミソである。だれがどこの人なのかわからないけれども一緒に騒いでとにかく愉しい。刺身、肉塊をはじめ、フグ、くさや、ウミカメ汁とか次々珍味が登場する。ビールと焼酎は無尽蔵にある。■島太鼓がはじまる。太鼓の男気溢るるビートが酔いを促しテンションを増大させる。太鼓に合わせて島ダンスを皆で踊る。万能感に包まれる。■解散したあと宿に戻ってウチのチームだけでさらに飲んだ。うひょひょ。うひょひょ。
■カレーうどんを食って昼からジョブ。五反田、昨日と同じ現場。今日からセールが始まるらしい。また水着売り場に配置されてしまった。そんなに水着顔なのか。とにかくがんばって水着を売ってみた。■帰りに売り場で一緒になった社員の青年と軽く飲みいく。ビールを2杯。つらつらと語って帰宅。■明日から2泊3日で八丈島ー。サッカーして酒を飲んでくる。
■五反田でジョブ。スポーツメーカーのアパレルセールの準備。服とかをがっと搬入して各売り場に出す。水着売り場に配置され、水着をせっせとたたみサイズ毎に分けつつハンガーにかけていく。珍妙な光景になってしまった。それにしてもオトコものはともかく、オンナものの水着にこれほど堂々と触れ、弄び、嬲ったのは初めての経験だった。オンナというものを少し理解した気がする。という錯覚に陥ったほどだった。■夜、赤羽に飲みに行く。これほどまでに水着に触れた日には、赤羽で飲むべきなのだ。赤羽はいつものように一本気な臭気を放っていて心休まった。アルカリ性に偏り過ぎた身体が徐々に酸化してゆき僕は平静を取り戻す。弱酸性のビオレのように赤羽はマイボディに馴染んだ。たまたま居合わせた師匠の御友人がおごってくれるというハピネスもあった。■11時半頃来て閉店までずっと眠っていたT氏に帰り際、「ちょ、ちょ、ちょっといこう」と言われついていった。もう一軒行くのかと思ったらT氏の自宅に行った。家に着いてさあ飲もうと思ったら、T氏は、まさかとは思ったが、いきなり寝た。そこで夫人とペンタゴンの話をした。
■ジョブ。昨日と同じ現場同じ雨の池袋。比較的ヒマ。一緒に動いた人と談笑する。新宿生まれ新宿育ちということなので、ゴールデン街やしょんべん横丁など新宿情報をきいたりもする。■日雇いでこういう仕事をしてみて実感したことは、当然と言えば当然のことなのだが、いろいろなものが人の手によって作られ準備されているということ。例えば今回3日間でやったのはある展示会の設営だったわけだが、最初は何もなかった部屋に、壁や照明やテーブルやイスや棚やホワイトボードやらマイクスタンドやらをひとつひとつ運び込んで、組み立てて、設置していく。こういうことはなにも展示会に限ったことではなく世のあらゆる空間にあてはまることで、恥ずかしながらいままで僕はそういうことをあまり意識せずに生きてきた。背景の物々ははじめからそこに在るものだと漠然と思っていたのかもしれない。だが自分の手で一個一個イスを運んできれいに並べて拭いていて、あるいは数人で協力して大きな板に看板を取り付けたりしていて、ものごとの成り立ちのようなものをふいに感じられた。それで例えば言葉というものは、ものごとの成り立ちを確認したあとに出てこなければならない道具なのだと思う。
■ジョブ。昨日と同じ現場。日雇い仕事は同じ現場でも毎日人が変わる。■雨の池袋。情緒がある。不安定でも情緒は情緒。■いっちょまえに頭にタオルを巻いて軍手して、それっぽい格好をするものの、心ここに在らずで働く。雨の池袋。しとしととメインストリートを濡らすレイン。じわじわと僕の気力を奪うペイン。靴擦れ。6時に労働終了。ふたたび雨の池袋。家路を急ぐ。僕は池袋があまり好きではないが雨の池袋はちょっと好きだ。語感が。とりわけ「袋」のあたりが好きだ。
■911。■池袋で肉体労働。そろそろ肉体労働も板についてきた。わけもなく。相変わらず泣きそう。■ひたすら黙々と物を運ぶ。上の人の何人かが持ってる無線のトランシーバーみたいのがかっこいい。■終わってちょっとビックカメラをのぞいて電車に乗って帰る。メシ食ってビール飲む。早めに眠くなる。
■今日もまたJリーグの係員。炎天。■警備会社のチーフの人がいてその人が我々人夫にいろいろと指示を出す。動け。動くな。しゃべれ。しゃべるな。走れ。走らせるな。無視しろ。無視するな。笑え。笑うな。メシを食え。服を脱げ。両手を上にあげろ。右さげないで左あげない。など多種多様の命令が我々人夫には下ってくる。■帰りに労働者仲間の一人と話する。年のころ30代後半くらい。彼の会社の取引先の取引先が今回日雇い人夫を派遣している会社である、という理由で、上司に、いってこい、と言われ今日日曜日をつぶしてやって来た、と語った。しかも明日は本業の方が、4時半始業であると言う。ちなみに今日の仕事終わりは夜の10時半。なんたる暴虐。なんてこったい。なんて骨体。ちゃま語もとびだすほどの暴虐ぶりでありますよ。世の中には逆風に耐えてがんばっている人がごまんといる。■それにしても帰ってからのビアーがなにしろうまい。
■そしてまた小銭稼ぎに奔走する。今日から八丈島出発の日までがっつりと肉体労働する予定である。■今日は午後からJリーグの係員のバイト。メガホンを使ってなんかいろいろとがなって疲れた。■不思議なことにこういう労働のあと本を読むと言葉がすうっと入ってくる。
■8時12分の電車で紀伊田辺をあとに。旅を終えたらまた来ることを約束する。アランさんと夜な夜な語り合った1週間であった。ほんとに色々な話を聞けたしいい刺激をもらった。■うとうとしつつ座って居る。前の席の人が『ユダヤ人の富豪の教え』という本を読んでいる。ロスチャイルド家が彼に静かに語りかけている。■和歌山、天王寺、大阪、米原。かつて来た道をちょろちょろと逆走。■大垣駅前で飯屋を探すがいい処がない。あまり時間もなかったので来たときと同じくロッテリアに入ってしまった。そして同じ店員に注文をとってもらった。■時空を超えようと思って缶ビールを買い車内で飲む。豊橋、浜松、熱海、品川、大崎。また東京に戻ってきた。なにやってるんだ、と思われる向きもおありでしょうが、ええとエクスキューズとしましては、今週末八丈島へ行く約束があるので、戻ってきたのです。てへへ。
■昨晩は激しい雨と断続的な雷であまりよく眠れなかった。古い日本家屋は打ちつける雨音をもろに伝える。犬は落ち着かないで部屋の中を動き回り何度も小便をもらした。■朝になるとほどよく晴れていた。ニュースは昨夜和歌山県が記録的な豪雨に見舞われたと伝えていた。ちょうどピンポイントで記録的な豪雨を体験してしまったみたいだ。そういえば先月房総半島にいたときもピンポイントで台風に直撃された。いつかピンポイントで雷にうたれて死ぬかもしれない。聞いた話なので信憑性はぜんぜんないですが、雷にうたれた人は、見た感じはそのままなのに身体の内部はすべて焼き尽くされて空っぽになり、入口と出口である頭と足の裏に黒い穴が開くのだそうです。僕はそんなドラスティックな死に方はしたくないです。これでは犬死にです。僕はボールを追いかけて道路に飛び出した子供の身代わりになって車に轢かれたり、逆上したストーカーに銃を向けられた美女の身代わりになって撃たれたり、そういうふうにして死にたいのです。■今宵はゲストハウスでの最後の晩餐。子猫と身悶えるような別れ。1匹に名前をつけていいとありがたい申し出があったので、熟考の末「かまぼこ」とした。
■曇天模様のなかカサを持ってぶらつく。毎日界隈をぶらついてばかりいる。他のお客さんはアグレッシブに白浜とか出かけている。しかし僕は犬や猫と遊んだり、笑っていいともをみたり、近場をうろついたり、ビールを飲んだりするくらいで、旅行者としての覇気が全然ない。どうしたものかとも思うが、これが一番心地がいいのだから仕方がない。■夕方シャワーを浴びたあと、冷蔵庫に残っていた豚肉とキャベツを炒めて、宿にあった文庫本を読みながらビールを飲む。『フィジーの小人』というSMポルノである。もっとトロピカルでフレッシュな話を想像して手に取ったのに、実際はぬちゃぬちゃとしたポルノだった。たまに気持ち悪くなって、豚肉やビールが別の物質に思えたりもしたが、途中で止められないで最後まで読んだ。■イエメン戦を皆でみた。高地でのサッカーは想像以上に大変そうだった。それにしても田中マルクス選手には惚れ惚れする。一定以上の精神の強靭さというのは、外から形としてはっきりと見えるものなのだなあと思った。
■アランさん夫妻に、森の中の喫茶店に連れてってもらう。奥さんが運転、助手席にあたし、後ろにアランさんとベイビー、それと子猫が3匹入った段ボール箱。30分かからないくらいで到着。熊野古道の入口。■おじいさんが一人で居た。庭の芝生の上にイスとテーブルを出してコーヒーをいただく。濃くてうまかった。正直コーヒーの味には疎いのだがうまいと分かった。庭から山々、森が一望できた。とても涼しく、静かで、空気は澄んでいた。子猫たちを放して遊ばせる。1匹は敷いてあった布の上で小便をし、1匹はベイビーにまとわりつき、1匹はあぐらをかく僕の股間で眠った。■夕方、女性がやって来て、子猫を1匹引き取っていった。残った2匹にミルクをあげた。おもちゃの注射器にミルクを入れて小さな口に注入する。■夜はアランさんと語りあう。3時くらいまで。
■昼過ぎ、アランさんの奥さんが子猫を3匹連れてきた。道端のダンボールに入れられていたのを拾ってきたそうだ。3匹ともものすごく小さくてつぶらな瞳をしていた。見つめられるとぼくはとろける。わたしはずかしい。子猫たちは飼い犬のアンちゃんをお母さんだと思ってお乳を吸おうとしたりしてた。出かけようとしていたのだけど結局1時間くらい子猫たちと遊んだ。■新たなお客さんがチェックインしてきた。茨城で焼き物をやっている人だった。ビールとか焼酎とか飲みながら話する。自家製の梅酒もいただく。うめかった。■近所のそば屋のご主人が飲みに来ていて、帰りがけに、うまい太刀魚もってきたるわ、と言い残していったのだが、10分後くらいにほんとに戻ってきて太刀魚のたたきを置いていった。そしてほんとに旨かった。もうちょっと飲んでしまった。
■まだ残っていたカレーを食って、海パンをはいて歩いて5分のビーチに行く。日曜日だというのに人はまばら。ビーチバレーに興じるグループが一組。砂浜に銀マットを敷いて寝転ぶ。日差しはけっこう強い。■とりあえず水に浸かってみる。水温はまだまだ高かった。ぷかぷか浮かんどく。気持ちよい。■本読んだりものを想ったりシエスタしたりして日がな過ごす。寝て起きたら波打ち際にきらきら光る物体があって、よく見てみたら内蔵をえぐり出された魚の亡骸だった。鳥の仕業だと思うが、なんかこれ以上海に入る気分ではなくなったので、水道で簡単に身体を洗ってゲストハウスに帰る。■シャワー浴びて中庭でゆで卵を食いながらビール飲む。■夜、アランさんとビクトルと飲んでると、近所に住むマジシャンのおじいさんがアイスコーヒーを飲みに来た。多様なマジックを見せてくれた。どれも本物で鮮やかだった。ミスター・マリックやナポレオンズも教えていたというそのおじいさんは、「マジックは指先のテクニックだ」と言った。特に薬指と小指が大事なんだと語った。たしかにおじいさんの指先はエロかった。■サウジアラビア戦をみようと2時半くらいまでアランさんと粘って起きていたのだが、テレビ和歌山では放送しないということが判明し2人愕然とした。代わりにテレビではプロレスをやっていて、ボノ・タイガーという覆面レスラーがマスクを剥ぎ取られていた。ボノ・タイガーの正体は曙だった。
■ゲストハウスの朝。昨日のカレーの残り食う。ごはんはあたためて、カレーは冷たいままで。これがうまーい。■アランさんに書いてもらった地図をみながら界隈を散歩する。古本屋に2軒行ってみたけどどちらもしょぼかった。今日は暑かった。帰りがけミスタードーナツでアイスコーヒー飲む。■ぷらぷらと帰ってくる。お客がチェックインしていた。ペルー人のビクトル。ちょっと日本語が話せるみたいだったのであいさつして少し言葉を交わす。アランさんはスペイン語で話してた。すげ。■ごはんとサラダと、あと鶏肉を焼いて食う。ビクトルは飲みに来てたおじいちゃんに飲み屋に連れてかれたらしい。飲みつつゆっくり過ごす。
■朝6時にマンガ喫茶から追い出されてみるとまだ雨が降っていた。テンションが否応なく下がる。軒先、自販機の前におあつらえ向きなベンチがあった。屋根とベンチはいつも旅人の味方だ。マットを広げて寝袋を引っ張りだしくるまって眠りの続きを。zzz。■気付くと10時。雨も止んでいたのでとぽとぽと歩き出す。駅前まできてドムドムバーガーに入る。貼り紙があって、9月26日をもちまして閉店いたします、と書かれていた。ドムドムはいつも寂寥感に包まれている。それでも甘辛バーガーとポテトはおいしかった。■1時、ゲストハウスにチェックインする。1階が喫茶部になっていて、お茶を飲むお客さんが2人いた。奥から管理人と思われるお兄さんが出てきて案内してくれた。今のところぼく以外に泊り客はいないらしく、1室を一人で広々と使えた。もちろん他の客が来ればここは相部屋となり、旅人どうしが肩を寄せ合って暮らす空間になる。■シャワーを浴び、庭で洗濯する。だんだん宿の感じが分かってくる。雰囲気のあるところだった。リビングには仏像とか数珠とかアジアンな物々がきれいに陳列されているし、暖簾とか、絵とか、そういうところに趣味が表れていた。とても落ち着いた。■近くのスーパーに食材や酒を買出しに行って、共用のキッチンでカレーを作った。その間に、管理人アランさんの奥さんと産まれて13ヶ月の子供が来て夕方に帰っていった。カレーを食って酒を飲みながら、アランさんと話をした。ゲストハウスを開いたいきさつ、その前の仕事の話、旅の話、それから世界遺産に登録された紀伊山地、熊野古道のこと、熊野の森を守った南方熊楠のこと。南方熊楠は日本で初めて自然保護運動をやった人で、この近くに住んでいたのだそうだ。とにかく話は尽きなくておもしろかった。12時過ぎに寝た。
1980年10月2日
血液型 :A
身長 :184cm 体重:75kg
居住地 :旅中につき不定(新潟県出身) 安宿or野宿
給与収入:0万円(貯金でやりくり)
アルバイト収入:
仕送り:
親からの小遣い:
家賃:-
自由になる金額:?万円
ファッション代:?万円
長野スタートで、京都、神戸、四国、中国、北陸、東北、北海道、といった感じでめぐっていました。
現在京都です。
このあと船で沖縄へ向かい、働きながら1ヶ月くらい滞在したあと、国外に逃亡する予定です。金と精神力の続く限り旅を続けようと思います。