■東京を脱出する。7時38分北赤羽発の電車でスタート。見事にラッシュにぶつかる。人でぎゅうぎゅうの埼京線にでかい荷物と自らを押し込む私。馬鹿か。馬鹿かおれ。恥を知れ。都内にいる間は、申し訳ないという気持ちを表現したくて苦虫を噛み潰した顔をずっとしておいた。■大崎から品川。品川で東海道線に乗り換える。小田原。熱海。静岡。浜松。ロングトリップ。ここで1時前。まだ半分も行っていない。車内は例によって冷房効きすぎ。シャツをはおる。■岐阜県に入って大垣。それから米原。おりてーという気持ちを押し殺しつつ京都を通り過ぎ、ようやく大阪。天王寺にまわりこんで和歌山。男子高校生集団の、「○○からハジマル、リズムニアワセテ」ゲームをBGMに聞きつつ紀伊半島を走る。ヨーチェケラッチョオ!としきりに叫んでいる。やがて御坊。そして目的地紀伊田辺に着いたのが、夜9時15分であった。■出てみたらすごい雨。なんか天気いいとか予報では言ってたのに、これで野宿はムリっぽくなった。とりあえず駅前でラーメンと餃子食う。店員のおばさんにファミレスとかないですか?と訊いたらかなり遠いという答え。排便したローソンで店員にマンガ喫茶とかないですか?と訊いたら、あるけど歩いて50分くらいかかると言われたが、背に腹はかえられねえ、行った。海っぺりを歩いてたぶん30分くらいだったと思う、なんとか着いた。道が暗くて怖かった。マンガ喫茶バージンを喪失。やがて意識も喪失。
■昼過ぎ池袋へ。東口にでてぷらぷらとする。ちょっと小雨が。豚丼を食う。小さな古本屋を見つけてガレージセールで文庫本5冊を210円で買った。それから満を持して労働の給料を受け取りに行った。■池袋から戻って少し買い物して帰る。コーラを飲んでそのあとビールを飲んだら腹がたぷたぷになった。トリビアの泉が面白かった。
■労働も入れていなくて、約束も用事も部活もないので今日はどフリー。起きて氷を入れた水を2杯飲んでから、いろいろと調べものする。■昼すぎ馬場に出る。また馬場。困ったときには馬場。■夕方戻ってきてまた調べものとか。頭の中であれやこれやシミュレーションをして勝手にテンパったりする。あまり情報を集めすぎるのも身体によくないのだけど、不安に駆られてなんでも集めたくなってしまうのが人のサガで。しょうもない。■軽くめし食ってビール飲む。11時に仕事終わりのジャクリーン帰ってくる。ジャポニカロゴスをみる。
■金土日と摂取し続けたアルコールが身体全体にしみわたっていてだるい。倦怠が服を着て歩いている。そして電車に乗ってオババに肘打ちをくらわせられている。倦怠は倦怠ゆえに腹もたたない。■現場。木金と設営したテント等の撤去作業。無常感に包まれながらももくもくと働く。■3日間を通じて3人のおもしろピープルと仲良くなった。バイクでいろんなところを巡ったりしてて来春バイク屋を開業予定の兄さん。ヨーロッパ暮らしの長いロンドンの学生。仕事やめたばかりの同い年の愛媛っこ。仕事終わりに4人明大前で軽く飲む。熱く語る兄さんの姿は格好よかった。自分で自分に対してルールを課してそのルールを守り抜く、というような、そんな類の話をした。字面でみると薄っぺらくてなにをぬかしておられるのですか、と一笑に付されそうなフレーズだけど、一見ありふれているようなその言葉は、既成のものでは全然なくて、濃くて重い、実感のこもった言葉だった。あらゆる言葉は世の中に既に大量に出回っていて、どんな言葉もどこかで聞いたことがあったりする。けど同じ言葉でも違った響き方をすることがあるみたいだ。そして違った響き方をした言葉はそのまま体内に居座り続けるだろう。有事のときもがんとしてそこをどかないだろう。これから旅を再開する上で励みになると思う。
■よろよろと帰る明け方。半覚醒状態でのった電車内、前方に座った女が尻を浮かせて屁をこくのをみる。■昼まで眠ってサッカーしに行く。東京を出る前に所属していたサッカーチームの監督に、人足りないからユー、来ちゃいなよ、と緊急招集されたのだった。試合前整列していると審判に、とりあえずその腕輪外さないと出られへんよ、と言われたのだが、その腕輪がなかなか外れない。結局前半は別の人に出てもらって、僕はシャワーの湯で腕輪を柔らかくして強引に引っこ抜いた。少し哀しい気がした。久しぶりのサッカーは散々で、半分だけだったのに体力がもたなかった。■サッカー終わりでは必ずみんなで酒を飲む。サッカーが終わって酒を飲んでいるのか、酒飲む前に球を蹴っているのか。たぶん後者の感じがしっくりくる。疑いなくこのサッカーチームが3年間のマイ東京ライフの大半を形成していた。ただ単独のチームで閉鎖的にやっているのではなくて、友好チームがたくさんあって、また色々なところから派生していろいろなところに関係が築かれる素敵なところで、僕はこの場所とここに集まってくる人たちが大好きだ。そしてみんなでひたすら破壊的に飲む焼酎も大好きだ。
■酒残りつつも10時に起きて電車のる。今日も労働に従事。でも今日のはJリーグの試合が行われるスタジアム横のサブグランドで子供たちがサッカーするのを仕切るという、とても愉快な仕事内容だった。大量の活発なキッズに囲まれて自分もアドレナリンがどくどく出てくるのを感じた。精神衛生上とてもいい仕事だった。■夜は新宿で前の会社のフレンズと共に飲酒。不夜城新宿副都心にてマイレバーも不眠不休で頑張った。
■今日も昨日と同じ現場で労働。昨日より人数少ない。日雇いのバイトというのはいろんな種類の人がいておもしろい。何人かと仕事の合間に話す。学生。バンドマン。旅人もやっぱりいた。色々な人の色々な人生模様。■5時に仕事が終わって帰路につく。住人ピエレットとジャクリーンは飲み会で不在。潜入してシャワーで汗を流しビール飲む。案の定だ。案の定うまい。疲弊した身体がみるみる癒され精神が昂揚する。■ひとりでふにゃふにゃしていると10時半ころメールがあった。飲んでいるからユーも来ちゃいなよ、と誘われたので出向く。赤羽の師匠ともいえる2人がフライデーナイトの酒をお召しになっているところに合流する。またおごってもらってしまった。2人にはほんとうにお世話になっているので、今後なにかの拍子に出世したりなにかの拍子に大金が手に入ったりしたら、おいしい芋焼酎をたくさんおごってあげたいと思う。
■労働。勤勉なプロレタリアートとして今日を過ごす。6時半に起きて7時に出立する。はやいよ。ちょうはやい。でも電車はふつうに混んでいた。東京の朝のポテンシャルを思い知る。■車内でおにぎりを食っていたらもう現場に到達。25名の猛者が集められて肉体労働に従事する。躍動する四肢。踊る筋肉。ほとばしる汗。血。怒号。人が人をよび怒号が怒号を呼ぶ。そして私のミステイクがさらなる怒号を呼ぶ。肉を切らせて骨も断たれる。絶対に負けられないたたかいがそこにあった。私は負けたくない、いや、この際負けてもいいから早く帰りたい、という如何ともしがたい感覚にとらわれた。しかし事態はあらぬ方向に展開した。定時になり、仕事はまだ残っているという状況でボスがわれら人夫郎党に「残ってもいいという奴」と問うた次の瞬間、私の右手はあろうことか天に向かってピンと突きあがっていたのだった。これは何か。金か?金だった。まぎれもなく金のためだった。ちょっとの残業代ほしさに私の右手は私の脳が命令を下す前に自然と突きあがり、私の身体はそれから1持間の労働というさらなる負荷を負わされることとなった。でもお金もらえるし、まあいいや。
■朝ゆっくりと過ごす。コンピュータでなんのかんのする。■赤羽までチャリで。駅前のカレー屋でカレー食う。カレーはいい。とても安定している。それからいつも通りぷらぷらする。いつも通り本屋をのぞいていつも通り古本屋に潜入して、いつも通りカフェに入ろうか否か迷った挙句入らない。帰って本読んでた。■水曜日はおもしろいテレビがあるなあ。はは。明日朝早いので早く寝ようとするが寝られない。ノンレム睡眠でもいいのでどうかお願いします、と願ってみたけど寝られない。
■2時に新宿で用事があったので行った。帰りにABC-MARTで軽いスニーカーを買った。思ったより安かった。紀伊国屋で7Fに行くのにエレベーターに乗ったらエレベーター・ガールがいた。エレベーター・ガールはエレベーター・ガールらしく眼鏡がよく似合っていた。■今度は池袋で4時、アルバイトの説明を聞きに行く。にわかに仕事づいてきた。今度のはイベント会場の設営と撤去。帰りの埼京線は混んでいた。久々にこういう感じを味わった。■夕刻、ホーム・赤羽を徘徊する。街は活気で溢れている。まるで夏が永遠に続くかのようだ。
■今日は労働した。日雇いバイトを斡旋する事務所に説明を聞きに行ったらこれから早速仕事があるのでやってくれまへんか、と請われたので請われるままに指定された場所に向かった。■向かった先は食品工場でキオスクとかに並んでいる食品を作っているところだった。作業着の上に白い衛生着みたいなのを着て、頭は髪の毛が出ないように帽子を2重に被り、マスクで鼻と口を覆った。露出しているのは目とその周辺のみとなった。工場の中に入ると同じように目だけを露出させた人々がベルトコンベアの両脇に並んで作業したり、歩き回ったり、怒ったり、怒られたりしていた。65パーセントがおばさん、20パーセントがおっさん、15パーセントが若者だった。が、目と動き方だけをもとに判断しなければならないので正確なところはよく分からない。もしかしたら100パおばさんかもしれない。それくらいおばさんの集団のインパクトは強かった。■パンを並べたり、パンを切ったり、物を運んだり、サンドイッチにバターを塗ったり、「新発売」というシールを貼ったり、ハムとチーズを重ね合わせたり、おばさんに甘やかされたり、オババにキレられたりしながら時を過ごした。あふー。だいぶ消耗した。
■TOKYO。例によって暑い。暑いのでとりあえず目玉焼を食べながらいいとも増刊号をみて今日なにしようか思案する。慎重な思案を重ねた結果、高田馬場に行くことにする。まただ。また馬場だ。どんだけ馬場好きなんだという話である。■とりあえずヴィレッジヴァンガードをみてああ、今日もサブカルチャーは健在であるなあ、と安堵する。ベンズ・カフェというストレートなネーミングのカフェでけだるい午後を演出する。店内では景気のよさそうなおばさんが走り回っていて各テーブルで頓狂な声をあげていた。ベンの未亡人かもしれない。ただベンの訃報はまだ耳に届いてはいない。Mrs.ベンにBLTAサンドを注文した。ベーコン、レタス、トマト、そしてAはアボカドのAであった。■池袋でビックカメラに入った。超小型のコンピュータ、PDAというらしいのだけど、とても欲しい。現在持っているノートパソコンがけっこう重いので。思いをめぐらせて、金勘定とかもして、結局今回は見送る。逡巡に彩られた人生。■夕飯に冷やし中華を作ってもらって食べた。10時ころ散歩に出てみる。缶ビールを買ってベンチに座って飲もうと思ったらおっさんが寝ていた。ちょっと離れたところに座って飲む。ことのほか心地がいい。
■新潟駅10時発の電車にのった。とりあえず長岡行き。普通列車での長い旅のスタート。長岡までぐっすりと眠る。おそらくこの上ない阿呆面を世間様に晒してしまったことと思う。■長岡で乗り換えの時間があり、ちょっと駅前をぶらつく。1時間くらいヒマをつぶしてまた電車。越後湯沢まで。■越後湯沢では1時間以上フリータイムがあったので、メシ食おうと思い至った。駅前のラーメン屋に入る。おばさんが一人憮然とした感じでカウンターのところにもたれていた。おばさんにみそラーメンと、あと奮発して餃子も注文する。憮然としながらもおばさんはラーメンと餃子を拵えて運んできて、憮然として去っていった。でもその憮然ぶりはどうしてかあまり不快なものではなかった。帰り際おばさんは、バイトがドタキャンしたと訴えてきたのでそりゃあ大変ですね、と相槌を打っておいた。世界のあらゆる憮然には理由があるのだ。■越後湯沢から水上。水上から高崎。高崎から高崎線で赤羽。6時半に到着。また戻ってきた。そしてまた同じ処にお世話になる。
■昼、祖父と弟を車に乗せて新潟の繁華街、古町へゆく。おととい祖父が弟のタンクトップを見て、もっと上等なのを買ってやる、ミツコシで。という提案をしたからである。駐車場に車をぶち込んで3人ミツコシに入った。紳士洋品売り場を探すがなかなかいい按配のタンクトップはみつからない。暑さで血迷った3人はあろうことか若人の社交場ラフォーレに向かうが目的の品は見つからない。確かムジルシが入っていたような…という曖昧な記憶を頼りに別のビルに行ってみたがムジルシなかった。■とりあえず駅前で食事をし、あらためて出発。そうだ、ユニクロに行こう、ということで車を走らせたがなんとユニクロ移転していて、替わりにブックオフが建っていた。今回ばかりはヘビーユーザー清水くにあきを呪った。結局その先にジャスコがあったのでそこで買った。■宵、従兄弟が遊びに来た。この間結婚した1コ上のダニーの薬指のリングがまぶしい。若干人より毛深いことを気にしているパン職人のケニーはビールばかり飲んで、「脱毛も考えている」と静かに語った。その弟高校1年生のショーンは『男1匹ガキ大将』4巻を持参し周囲のことも省みず読み耽っていたので、制裁の意味も含めてウイニングイレブンで叩きのめした。
■弟と2人で海へ行った。弟と2人で海へ行くというこのイベント、みなさん的にはアリですか?ナシですか?アリですか!そうですか。ありがとうございます。アリという前提で話を進めさせていただきます。■てきとうに車を走らせているとよさげなビーチに辿りついた。考えてみたらここ高校生時分によく来ていた。部活終わりにそのまま飛び込む海はさいこうだった。泳いでいると足が攣ってよく溺れたものだった。■テトラポットまで泳いでいってそこでカニを捕ったりした。それからバレーボールを蹴って遊んだ。しまいには相撲までとってしまった。子供のころには家でよく相撲をとっていた。私がだいたい琴錦、弟は貴闘力を模して激しい取り組みを展開していた。もちろん貴ノ浪になったときには相手の両差しからの逆転を演出し、霧島のときは土俵際でうっちゃりを狙った。■海を十分に堪能した帰り、新潟限定のファーストフード店「みかづき」でみかづき限定フード「イタリアン」を食った。「イタリアン」は「イタリアン」という名前がついてはいるがどこがどうイタリア的なのかは分からない。知る由もない。べつに知りたくもない。「イタリアン」が新潟にしかないと知ったのは高2の夏で、若かったあの頃の僕は大変にショックを受けた。イタリアンは、いま僕が大喜びで食っているこの奇っ怪な食物は、全国区ではない。新潟限定なのにイタリアン。日本の一地方都市でしか食われてないのに名前がイタリアン。その事実はイタリアンをよりリアルに浮き上がらせた。イタリアンのことがもっと好きになった。
■昨晩は調子こきすぎて最後前後不覚になった。饒舌な無職として最後まで君臨してしまった。一人になって寂しくてローソンでしばらく立ち読みしていた気がする。寂しいとどうして立ち読みするのかは分からない。■昼前くらいに布団から這い出て居間に行ってみると、母がおぎやはぎのDVDをみていた。しばらく一緒にみる。矢作もいいが小木もいい。■夜はオシム率いる新生日本代表の2発目。イエメンはみな必死だった。特にキーパー。縦横に跳びはね必要とあらば幾度も苦悶の表情を浮かべピッチに横たわった。でも若きオシムJAPANも気持ちでは負けてないゾ。田中達也選手、田中マルクス選手、気持ちが顔面に出ててすごくいい。田中マルクス選手のゴール前での強靭さ、あれはなんだ。彼が駆けた所跳んだ所には必ずイエメン選手の亡骸が残された。それにアグレッシブな田中マルクスのおかげで(せいで)日本代表のDFラインは10メートルは高くなっているような気がする。
■明け方弟が喘息の発作に見舞われたので吸入器を貸してやった。かくいう僕も実は昨晩発症していて、この喘息キャリアの必携アイテムにお世話になっていた。こんな空気のいい渓谷の山荘で何故と思うが喘息というものは何が要因で引き起こされるのかよく分からないからこわい。今回のケースはおそらく何らかの植物か何らかの建材、あるいは夕食に出てきた山菜とかそういうあたりからきていると思う。なんにせよ、喘息もちというのはこのようにデフォルトで森羅万象に牙を向かれているのです。喘息もちがもしまわりにいましたら、ぜひ優しくしてあげてください。とりあえず、修学旅行などでの枕投げは、喘息に罹患している級友がいないことをよく確かめてから行う、といった基本的なことからはじめてみてください。■夜、高校のときの同級生が集って飲むというので、仲間外れにされないように行くことにした。会場である駅前の居酒屋に行くといきなり級友の女子が現れた。店員の格好をして。彼女はこの店の店長だそうだ。かつての級友が一国の主となって、若い従業員の我が儘や煩雑な計算などと苦闘しながらもがんばって邁進していこうとする姿に僕は心打たれ、早くビールが飲みたくなった。早くビールを飲んで、たくさん飲んで、店長を喜ばせたかった。■席には10数人の年頃の男女が集まっていて、その誰もがかつての級友であるらしかったが、ちょっと記憶が曖昧なところもあって怯えた。特に女子を認識する作業は困難を極めた。話の流れで僕の現在無職であるところがばれ、「なにやってんの」「働きなさいよ。もう26でしょう」などと名も知れない女子に叱咤されてしまった。「働かざる者食うべからず!」といったレトロな正論までとびだす始末。「働きなさい」と言った女子は4月に出産したばかりということで、やはり母ともなると重みのある言葉を吐くのだなあと感じた。旅の話などするとちょっと興味を示してくれたりする人もいて、それに乗じて僕が調子をここうとするとその度母は「無職が」と言って正義の鉄槌を下してくる。
■朝、リュックに荷を詰め車に乗り込む。母の生まれた山村へ出かける。村民のほとんどが同じ姓をもっているとかそんな感じの村。森の中の墓に線香をたて、供え物をした。地面にクワガタムシを発見した。車に乗り込むときドアを開けると虻がたくさん車内に侵入してくる。虻に刺されるとすごく痛いから刺される前に殺生する。正当防衛が成立すると思う。■河原でBBQする。川にオタマジャクシが大量発生していた。オタマジャクシを何匹か捕まえて近くにいた子供にあげようとして話しかけたら無視された。狼狽した。■母の親戚がやっている山荘に泊めてもらう。手作りの露天風呂に入った。聞こえるのは川のせせらぎ。気持ちよかった。山菜や川魚を食し眠る。
■盆。墓参りに行く。祖先の霊魂を鎮めに墓地に出向いてモンクに経をあげてもらった。寺ではセミの鳴く声が殊更大きく響く。その声をききながら両手を合わせて目を閉じた。にわかに信心深い気もちになった。■夜は家族で夕食。祖父に先祖の話をきいた。祖先は誇り高き水汲み農民であったということだった。■弟とナンバー1サッカーゲーム、ウイニングイレブンをする。弟の操るペケルマン・ボーイズになかなか勝てない。
■朝の8時ころ、祖父が「のど渇きにビール飲むけ」とさそうのでびびった。「いやーいいわー」と言って断って眠る。■生家独特の匂いを嗅ぐと脳のしわが10本くらいなくなる。セミが鳴きじゃくっていて田舎の夏の感じを押し付けてくる。油断して眠りすぎた。■昼過ぎ母方の祖母の宅にゆく。あいかわらずよくしゃべるばあちゃんだった。茄子の漬物と桃を食べた。■物置にぶちこまれている自分の物品を整理してみた。太陽と埃の中で僕は汗まみれになった。思えば青春時代、追いかけて、追いかけてもつかめないものばかりであった。いくつかの本や服を引っ張り出してまた別のいくつかの本や服を収納した。■夜、妹を車で飲み屋に送りとどけ、京都から帰省してくる弟を駅に迎えに行った。駅前の飲み屋街ではたくさんの若人たちが真夏の夜を謳歌していた。優しく頼り甲斐のある長兄としての責務を果たし終え、家に戻ってビールを飲んだ。お歳暮のエビスビール。エビスビール久しぶりに飲んだので苦かった。
■荷物をまとめて、9時に出た。青春18きっぷで電車に乗る。駅でポカリスウェットを買って飲んで少しでも内蔵を浄化する。赤羽から高崎線で高崎駅。乗り換えの時間が1時間ほどあったので、うどん屋を探してうどんを食べる。うどんを食べたいと2日前くらいから思っていたのだがその都度カレーやラーメンの強い訴求力に負けていた。JRの駅といううどんの聖地で、いまやっとうどんを食うことができる。うどんはほどよく白く、コシがなかった。天かすや玉子で汁は濁った。汁が濁れば濁るほどうどんの白は輝きを増した。■高崎から水上。水上から長岡。山間の線路を進む。でかい荷物にもたれかかってずっと本を読んでいる。車内は冷房が効きすぎていて時々身震いするほどだった。長岡から新潟。5時半に到着。我が生家。家族の出迎えを受け荷を降ろす。シャワーを浴びる。夕食に大量の刺身。
■もわんもわんとした室内で、なかなか起き上がらない。8月ももう3分の1が過ぎたのだなあなどと思いながら半笑いを浮かべてぜんぜん起床しない。無論家主である勤め人は出ているが、エド君は似たような感じでうだうだとやっている。相乗効果が得られている。■12時出発という努力目標を設定して準備にいそしむ。12時20分に出ることが出来た。想いでの高田馬場へ。高田馬場は僕が初めて、この駅名おもしろい、と感じた場所だ。格闘技界の2大巨頭が共存している。エド氏のたっての希望で有名であるというラーメン屋を探し当て入店、食う。ほどよく発汗し胃ももたれたところで、本屋など徘徊しに行く。やはり便意をもよおした。4時半に赤羽に戻る。■レトロな立ち飲み屋で、店員のおばちゃんにちゃきちゃきとさばかれながら飲む。コの字型カウンター、おっさん達が肩を寄せ合いながらぎゅっと並んで、マグロのぶつ切りを肴にホッピーを飲んでいる。僕らもなじんで冷奴なんぞをつまんでハイボールを飲む。カウンターにひじをついて怒られたりしながら。■部屋に戻ってまた飲んだ。人生ゲームとかしてみた。医者になったら給料が高かった。女児を一人もうけた。久しぶりにやったけどあんまりおもしろくねえ。ジャクリーン、ピエレットと勤め人が帰って来たので、ねーのもうよー、とダメな人っぽくさそった。
■また飲みすぎた。エド君といるとどうも飲みすぎる。うだうだして10時くらいに起きた。宿のおばあさんがチェックアウトはいつでもいいと言ってくれていたのでゆっくりした。ほんとうにいいおばあさんだった。素泊まりなのにごはんを出してくれた。僕とエドはたらふく食った。それぞれ茶碗に3杯ずつごはんを食った。いい心持ちになって昼過ぎに宿を出た。■雨はあがっていてにほいだけがそこはかとなく残っていた。気持ちよかった。でも台風の影響で、よりによって乗らなければならない内房線が止まっていた。ハーーードラック。上総湊というかっこいい名前の駅まで代行バスが出ていて、そこから電車に乗れるということだったので従った。■上総湊から千葉駅へ、千葉駅で京成線に乗り換えて日暮里へ。簡単に言ったけどけっこうな長旅。ちょっと気持ち悪かったし。そしてまた赤羽に戻ってきてしまった。ピエレット&ジャクリーンの部屋に到着したのが7時10分くらい、小柳ゆきの国家斉唱にギリ間に合った。僕もかつては彼女にキスを数えてもらったクチである。感慨に耽った。オシムジャパンの初陣をオンタイムでみることが出来た。エド君、仕事終わりのピエレット君とビールでくだをまきながらいい感じの日本代表をみる。これほどの至福があるだろうか。いや、ない。今宵は反語調で締めくくる。
■夜半、雨に打たれ屋根のあるスペースに命からがら逃げ込んだ。すぐに止むだろうと楽観していた風雨は次第に激しさを増してゆき、天から鋭くナナメに落ちて容赦なく吹きこみ、屋根の存在を無効化する。無力な僕らは少しでも雨に当たらないように色々とポジションを変えてみるがたいして効果はなく、寝袋はすぐにぐっしょりと吸水してしまった。さらに海風は砂も一緒に運んでくるから、身体は濡れている上に砂でざらざらして不快指数は急上昇していった。こうしてほとんど眠れずうつらうつらしているうちに朝が来て、通りすがりのおっさんの「若者よ」という声ではっとした。「若者よ、こんなところで大変だなあ。今日は海には入れねえぞ。台風が来てんだ。2、3日はずっとこんなんだ」おっさんは台風の存在を高らかに謳いあげ去っていった。■8時すぎ、意を決して駅まで歩く。バックパックには防水カバーをかけ、自分は雨にうたれる。案の定だんだんと気持ちよくなってきた。■ずぶ濡れの、迷惑な客として電車に乗る。館山まで行ってみることにした。館山の観光案内所で宿のリストをもらい、安いところから順に電話をかけてゆく。3軒目で一部屋空きがあった。本当は満室だったのだが、花火大会が中止になったのでキャンセルが出たということだった。駅にいるんですけどもう行ってもいいですか、と試しにお願いしてみたら、いいですよと言ってくれた。まだ昼前だった。行ってみるとおばあさんが一人で迎えてくれた。非常に趣のある旅館、4畳半くらいの部屋に2人で入った。布団を敷いて、倒れこんだ。布団、この母なるもの。ほっこりとした安堵の中で眠った。室内できく雨音はヒーリングミュージック。■たっぷり眠って夕方に目覚め、2人してぷらぷら外に出てみた。雨が降っているが今や僕には傘がある。宿に借りたの。てきとうな赤ちょうちんで飲酒。焼鳥をほおばり生ビールと焼酎を注入する。宿に帰ってもまだ飲む。夜更け、若い女性の宿泊客が便所にメガネを落として泣いていて、彼女の肩を抱いて宿のおっさんがなぐさめている、という珍奇な光景をエド氏がじっと見ていたら、おっさん檄昂して「部外者が口を出すな!」と怒鳴った。というエピソードをきいた。
■一旦東京を辞し千葉へ向かう。さらばメトロさらばアスファルトの照り返しさらば布団のある暮らし。千葉駅で旅の同行、エド氏とおち合う。互いにでかいバックパックを持参しているのではにかむ。小学5年の夏休みか。いいおっさんが。内房線にてさらに南下。■木更津で降車。うわさの木更津です。そこかしこに氣志団のポスター。かの有名なタヌキの像を参詣する。駅前の「ニュー東京」という食堂でメシを食った。ここに店を構えて60年、3代目という店主とその奥さんが、タンメンをすする僕と餃子を貪るエドに房総情報を語る。よさそうな海とか。東京に戻る高速バスとか。勧められた日本一長い歩道橋、いっちょう渡ってやろうといって歩き始めたが、10歩くらいのところで思いなおして引き返す。賢明な判断だった、と互いに傷を舐めあい、また電車に乗って、南房総へ向かった。■内房線はとてもよかった。野と海と蝉の声が僕たちを童心に帰した。白いランニングシャツを着てカブトムシを追いたい、と思った。蝉はあいかわらずみんみんみんと鳴く。普遍を感ずる。内房線の終点、安房鴨川というところで降りた。観光案内所で地図をもらいとるものもとりあえず海へ。■海水浴場は開けていて風が気持ちよかった。なんか椰子の木みたいのが点在していて、浜に沿って民宿やバーやマンションが並んでいた。あるマンションにはプールが備え付けられていた。目の前海なのにあえてプール。どういう使い分けをするのか気になった。おれたちどうしようか、とりあえず泳いどくか?話し合ったが、もう夕刻なので無茶を踏みとどまった。後先を冷静に考えた。■駅前のジャスコでビールや安ワインを買って、浜の脇のベンチで飲む。この間購入したレディオががんばって音を出している。周囲では適度な距離をとっていくつものグループが花火に興じている。いい感じになったので調子をこいて、花火と花火に挟まれつつも、設置されていたシャワーを浴びる。思った以上にあたたかだった。まぎれもないここは開放区、夜、半裸で水に打たれながら「波のりジョニー」を唄っても咎められない。■いいあんばい、上機嫌で寝袋にくるまった。台風が接近していた。
■日曜日はおそくまで眠っていてもいいので嬉しい。惰眠を貪る。今日も暑そうだ。一歩外界に出ればちょう強力な紫外線がぼくらを襲うことだろう。■昼すぎにおそるおそる外に出てみた。予想に違わず空気は十分に熱されていた。このような無防備な格好で紫外線に晒されていてはお肌にわるい、今はよくても、齢をとってから痛い目にあうことになる、と思って図書館にしけ込んだ。図書館は冷房ががんがんに効いていてクール。紫外線もカット。日本文学、外国文学、歴史、哲学、パソコン、料理、美術、音楽、エロスなどの書棚が整然と並んでいる。館内は静まり返っていて、読書している人が本の頁を繰る音、勉強している人がノートにペンを走らす音、おっさんがいびきをかく音しか聞こえない。おっさんはびろびろの赤いタンクトップを着て、雑誌のコーナーで昏睡している。館員のお姉さんの生半可なやり方では起きないので、お姉さんは経験豊富なおばさんを呼び、おばさんは見事におっさんを目覚めさせてみせた。格好よかった。■夜はグリーンカリーを食べた。とても辛かったので身体が火照った。火照った身体をシャワーで冷却し、テレビをみながらビールを飲んだ。多幸感に包まれた。
■ふつか酔いが久々に生じた。うつけ者のふつかよい。働かざる者ふつか酔うべからず、とお母様にもよく言われていた。しばらく動けないで、水だけを可能な限り摂取し続けて、昼前くらいにやっと立ち上がることが出来た。■2時に、荒川の河川敷にサッカーをしに行った。以前やっかいになっていたチームの練習に混ぜてもらう。「もう帰ってきたのか」「君はだれだい?」といったあたたかい言葉を頂戴する。それにしても炎天下。天が炎上している。サッカーは冬のスポーツと言われる所以がよく分かる。今日もまた昏倒しそうになった。これでは意識を失うために上京したみたいだ。中学時代の部活動を思い出す。部活が激しすぎるので夏休みが全然うれしくなかった。鬼軍曹のようなカントク。先輩方との間に築かれる強固な上下関係。その中での過酷なトレーニング。しかも当時は練習中に水を飲んではならないという怖ろしいルールがあった。よく死者が出なかったものだと思う。■河川敷でのサッカーが終わると汗と土と砂塵とで身体は黒ずむ。黒土は鼻の中まで入りこむ。思いきって鼻をほじるとある種アーティスティックな鼻糞がとれた。食べることがはばかられるくらいのアートだ。■花火を見に行った。浴衣の女性が多くいた。花火と浴衣で色彩感覚がちょっと豊かになった気がする。こんど色彩検定でも受けてみようと思う。
■10時にまた性懲りもなくチャリで外界にとび出す。昨日にまして殺人的に暑いメトロポリタン。王子駅過ぎたところで池袋方面におれる。ひょいひょいといい調子でペダルを漕いでいたのだが気付くと目は半開き、口の端から涎を垂らし、頭の中でハエがぶんぶんととんでいる。昏倒寸前だった。慌てて目に付いたカフエに入って涼をとり一命をとりとめた。水を5杯飲んだ。■涼をとって復活した僕は何を思ったか漫然と古着屋に入り、したり顔で店内を物色、あろうことかよさげなイージーパンツを買う。完全に調子をこいてしまった。無職の分際でアパレルに金を遣ってよいか。いや、よくない。でも僕はイージーに長ズボンをはきたかったんだ。ジーンズは重いしあつすぎる。現にほら、今だってぐっしょりとしている。これではどうも格好がよくない。最悪、お漏らししている、お漏らしした人が街を歩いている、と人に思われる危険性も高い。そういった種々の理由を積み上げてこの買い物を正当化する。■渋谷で用事。渋谷で15時。用事を済ませ北へ還る。人ごみの間を縫うサイクリングテクニックも身についてきた。■新宿で東急ハンズを見つけ、思い立って必要なものを買う。顔面を蚊からディフェンスするネット。傍から見たらファニーな様子になるかもしれないが、これで野営の際夜眠れるようになると思う。■夜、赤羽、お世話になっていた飲み屋でお世話になっていたおじさまおばさま達と飲酒する。7時の約束だったのにフルーリエ夫妻は7時半に来た。フルーリエ夫人は風邪をおしての参加だったので恐縮するが、ビールのあとすぐに焼酎ロックに移行したところをみると、酒でウィルスを克服しようという強い精神姿勢がうかがえ、健在であるなあと思った。9時を過ぎたころ、お世話になったおじさまたちが次々とお見えになった。無沙汰を詫び、愉快なときを過ごした。
■いいね、布団のある生活。プライスレス。いや実際プライスは有るのですが。ここぞとばかりにしかりと寝て10時ころ起きた。家主は仕事で出払っていた。食べていいよ、と言われていた韓国のインスタントラーメンをゆでてみる。ものすごく辛いからテイクケア、との言付けがあった。ちょっとやそっとの辛さではあたしはまいりませんことよ。液体スープを投入したらごっつい赤くなった。真紅。エロいルージュの色をしている。へっ、見た目には惑わされないぞ。食った。3口目くらいまでは大丈夫だった。こんなものか。所詮は。テーハミング。敵国を応援する余裕もあった。しかし4口目くらいから、あ、やっぱ辛い。と思って5口目でダメかもしれない。となった。スープをすすってみたら人智を超えたレベルの代物だった。なんてこった。すげえかれえよ。気を取り直して慎重に麺のみを口に運んでゆく。あーこれならなんとかいけそう。でも。このスタイルではこのラーメンとちゃんと向き合ったことにはならないのではないか。ラーメンとは麺とスープの愛の結晶である、という言葉を聞いたことがある。それが今の私はなんだ。このラーメンに対して完全に及び腰になっている。うわべを撫でている。ラーメンに対して失礼この上ない。思いは巡った。そうして、汗やリンパ液やいろんな液体を出しながら、私は完食した。麺を。残った大量のスープは捨てた。だってこのスープ、赤すぎるから。■借りたチャリを駆って外へ元気に飛び出した昼。北区赤羽からぐいぐいと南下する。日差しがすごいですね。あとこの、ぬわっとした感じ。東京にも夏が来たのだね。発汗に次ぐ発汗。ギーコギーコとペダルを漕ぎ、都内を疾駆する。脳内に流れるミュージックはイエローモンキーで「スパーク」。君とスパーク。ギーコギーコ。夜はスネーク。ギーコギーコ。堀船というエリアで「ただいま 光化学スモッグ注意報が 出されました 外出や 屋外での活動は きょくりょく お控えください」というアナウンスをきく。とても落ち着いたアナウンスだったので、大事ではないのだな、と安心して、屋外での活動を続けた。日暮里とか浅草とかを通って東京駅の方までゆく。御茶ノ水で保険関係の手続きを致す。これが今日の最大目標だった。完遂した。勢いに乗った僕はそのまま秋葉原まで繰り出し、ポータブル・レディオ(こわれかけ)を買うという好プレーをみせた。だって、野営してるとき、人の声が聞きたいな、って、ずっと思ってたから。これからはこのレディオ(こわれかけ)が淋しさを紛らわせてくれるんだろう。■北上。東大の前を通ってみる。ははーん。これが噂にきく赤門ですな。たしかに赤いですな。知性あふるるレッド。でも今日は赤いのおなかいっぱいなのですよ。失礼。と言って足早に立ち去った。王子まで来て駅前のスーパーで茶の2リットルボトルを購入、4分の1くらい一気に飲んだ。失われていた体内の水分が補給される。渇ききっていたくちびる、指先、瞳、心などが潤いを取り戻してゆく。一命をとりとめて故郷赤羽にまた戻った。■今日も寝床がある。音楽を聴きながらそうめんを食いテレビをみながらビールを飲む。
■顔面への蚊の襲撃と闘いながら強引に眠りにつこうとしていると突如近くで若い男女の喚声があがり、薄目を開いて見てみたところ、彼らは2コとなりのベンチのまわりで缶ビールを飲みながら花火をしていた。2時だった。人が寝ている5メートル先で花火をするとは何事か。近くで寝ている男は長旅で非常に疲れているということを分かっての狼藉か。ていうか他にもベンチいっぱいあるでないの。もっと海の近く行くとかさ、色々あるでないの。ていうかおれの存在に気付いてる?おれのこと見えてる?僕のこと、もっとわかってほしい、という切なる願いを内に秘め悶々としていると、今度はおっさんのがなり声が聞こえてきて、はっと目覚めた。複数名のおっさんに周囲を包囲されている。5時だった。次々と新たなおっさんがチャリまたは原チャリでこのベンチに乗り付けてきて、皆タバコに火をつけて一様にがなり出す。いつのまにかおっさんの数は10名ほど(体感)に膨れあがった。おっさんはどこかの工場で大量生産されて次々にこのベンチへと送り込まれているらしかった。眠る男と10人のおっさん。イン、大洗サンビーチのベンチ時刻は朝の5時。ていうかこのベンチなんなんでしょう。他にも空いているベンチは無数にあるというのに皆ここに集まって来よる。おかしいでしょう。人が寝てると言うてるじゃないですか。わざわざそこに集合する必要はないでしょう。もう。だいたいおっさんら朝からテンション高すぎですよ。そんな口角泡を飛ばす勢いでしゃべらなくても先方には十分聞こえてますよ。よろしくおねがいしますよ。限界だ、ということでこのベンチを受け渡す決心を固めた僕は起き上がり、荷物を持って他のベンチへ歩き出した。おっさんの一人、製造番号003番が「兄ちゃんよく眠れたか?」と訊いてきたので僕は「ハイ!よく眠れました!」と快活に答えた。■別のベンチではよく眠れた。花火もなくおっさんも送り込まれてこない。朝なので蚊もいない。明るいのはアイマスクで対応できる。夜眠れなかった分、10時まで眠る。起きると海水浴客がけっこういた。彼らを尻目に駅へ。電車に乗ってとりあえず水戸までゆく。■水戸思ったより栄えていた。駅周辺の感じが大宮とか静岡に少し似ていた。こういうところではでかいバックパックを背負っているのは恐縮だが、歩いてみた。腹が減っていたので吉野家に入って豚丼に卵をミクスして食った。実に久しぶりの吉野家だった。吉野家はあいかわらずいい仕事をすると思った。それから河原で荷を降ろし、呆けた。呆然とした。暑かったので汚いタオルで時々顔を拭いた。そうしたら鼻血が出た。タオルはさらに汚くなった。■水戸からJRにて一気に都内まで。車内では寝たり寝なかったり。夢をみたりみなかったり。アビコとかカシワとかそういう駅を越えていった気がする。都に近づくにつれて車内に人が増えていった。巨大な荷を抱える僕はとても恐縮する。あと少しくさいかもしれないので重ね重ね恐縮する。■北区赤羽に到達。東京で3年間暮らした場所に到着する。ああなつかしいわ。あの頃はよかったわ。お金があって。お酒もいっぱい飲めて。今宵は友人が2人で暮らす家に泊めてもらうことになっている。暫定的にピエレットとジャクリーンと呼ぶことにする。シャワーを拝借し、ピエレットがちょううまいキーマカリーを作ってくれてそれをがつがつと食った。それからビールを1本ずつ飲んだ。沁む。身に沁む。
■2006年の8月を洋上で迎えた。7月の最終日に苫小牧フェリーターミナルにて乗船し、月をまたいで茨城県大洗に向かっている。いっえーい。海だー。風がちょう気持ちいいぜー。あ、いまトビウオがとんだよ。という風な陽気な語りができる状態では実はなかった。太平洋の穏やかざる波に、船は揺れに揺れた。タテ方向に揺れよった。タテはまずいよタテは。空気読もうよ。夜、船内のシアターで映画をみていた僕は、そのタテ揺れに自分の三半規管が対応できなくなってくると映画どころではなくなり、シアターを出て風にあたりにいった。デッキに人はいなかった。怒涛の猛風。水飛沫。そして夜の海の漆黒。夜の海を漠然と眺めたら1分と経たないうちに僕は恐怖に打ち震えた。立っていられなくなったので座り込んだらジーパンの尻が濡れてしどろもどろになった。でも立っているのは怖いのでそのまま座った。尻は濡れるにまかせておいた。そうしたらちょっと気持ちよくなってきた。■海で船が難破するなどして漂流してしまった人たちの恐怖について考えた。底知れないだろう。巨大な闇の中に独り。ゆらゆらと揺れている。足の下に広がる深遠な海。何がいるかしれない。ニモのファインディングもかなり大変だったときく。全方向に、心身ともに行き場をなくし、何も見えず、聞こえるのは近くの波が立てるちゃぷちゃぷという音だけ、その中でただゆらゆらと揺らされている。絶対にここから落ちてはならないと思った。そうしたらこの風がとても脅威に感じられた。この風の強さはなんだ。この意志をもったような風。私を吹き飛ばそうというのか。殺めようというのか。風のやつ。風のくせに。自然現象のくせに。ちょう怖くなって、あと尻も濡れまくっていることだし、僕は風呂にいった。■風呂も揺れまくっていて、浴槽は流れる温水プールみたいなことになっていた。揺れながら湯に浸かっていると、となりに、荒川良々に似たおっさんが入ってきた。そのおっさんの胸毛に僕は見惚れた。水に濡れて絡まりあって、それはあまりに雄々しいのだ。あまりに猛々しいのだ。顔は荒川良々なのに。■良々のおかげで僕の三半規管も自分を取り戻してきた。そこで僕は与えられた2メートル×1メートルのスペースに行き、横になって毛布をかぶった。一部屋に男、というかおっさんが10人詰め込まれている。もちろんどことなくくさい。イ・ビ・キ。ハ・ギ・シ・リ。あと屁。寝ながら放屁をしてはいけない。聞いた人は馬鹿にされた感じがして、言いようのない怒りを覚えるから。■眠ったのか眠れていないのか、8時ころに起床し、パンやゆで卵を食ったり、良々を探したり、はしゃぐ子供たちに体当たりされたりして愉しく過ごした。朝になるとさほど船酔いはしなかった。朝はいい。なにしろ海が怖くないからね。■2時に大洗に着いた。期待していた夏の感じは無く、空はぬっぽりとくもっていた。船でずっと揺られてたから地面に降り立ってもしばらく揺れてる感じがする。と人々はよく言ったりするけれども、そんなことあるかー、斯様な妄言にだまされるかー。と思いながら着地、そのまま歩き出した。あ、揺れてる。まだ揺れてるよ。ぐわんぐわんとしているよ。糞。負けるか。ぐわんぐわん。糞。■とりあえずビーチまで行ってみる。大洗サンビーチは広大だった。砂漠みたいだった。公園を抜けると砂の向こうに海の家が数軒。砂上の楼閣。そのさらに向こうに海。くもっているからか砂漠だからか、活気がない感じがした。それから今度は駅に行ってみる。こぢんまりとした駅舎。観光案内所が死角にあってなかなかみつけられなかった。町の地図をもらう。銭湯はありますか、と訊ねると、この街にはここしかない、と言われ紹介された町営の温泉施設に向かう。5時以降は500円になるというのでねばって待って満を持して5時、入浴いたした。■入浴したあと休憩スペースに8時半まで居座る。まもなく閉館です、というアナウンスがあり、おもむろに立ち上がってさっ、と立ち去ろうとしたがバックパックがでかすぎてスマートにいかなかった。コンビニで弁当とビールを買って目星をつけておいた寝床へ向かう。ビーチと公園の境にあるベンチに人は誰もいなかった。よかった。マットを敷いて寝袋にくるまる。モスキートが顔面を襲撃する。
1980年10月2日
血液型 :A
身長 :184cm 体重:75kg
居住地 :旅中につき不定(新潟県出身) 安宿or野宿
給与収入:0万円(貯金でやりくり)
アルバイト収入:
仕送り:
親からの小遣い:
家賃:-
自由になる金額:?万円
ファッション代:?万円
長野スタートで、京都、神戸、四国、中国、北陸、東北、北海道、といった感じでめぐっていました。
現在京都です。
このあと船で沖縄へ向かい、働きながら1ヶ月くらい滞在したあと、国外に逃亡する予定です。金と精神力の続く限り旅を続けようと思います。