(*写真:水耕栽培奮闘2ヶ月の結果・・右下から時計回りに、チャービル(栄養剤入りジェルに植え込み)・ベビーリーフ(7/16に植えたもの)・三つ葉・水菜・レモンバーム・パセリ・ブロッコリー。) 水に根を直接放つから、栄養の吸収が良くて大変よく育つ・・ と聞いていたのだけど、むずかしかった! どうしても日照は足りないし、微妙な環境(の変化)がモヤシっ子ボディを直撃してしまうのだ。ペットボトル水耕栽培は、吸い上げ部分をタオルの切れ端にしたところ土の部分の水分量が安定したのだけど、ハイドロ用砂100%ではどうしても乾燥しすぎてしまい(モロヘイヤはさすがエジプト原産、ねばって本葉まで開いていた。でもある日を境にすべて立ち枯れた)、川砂100%では重すぎて根が潜りきれず、地上部分と地下部分がちぎれるようにして枯れてしまう。コットンやスポンジで発芽させたものは、環境を変えるタイミングを見誤ると一気に弱ってしまう・・・。これから仕切り直して始めようと思っているのは、ベビーリーフを仕込んだのと同じ枝豆ザルに椰子繊維を敷いて、種を直植えしてしまうというもの。伸びた根がザルの目を通ったら、下から水分&肥料を与えるようにしたい。・・・かたや、「強すぎる光と乾燥に弱く、酸素を必要とする根は、いわば動物。つまり植物は実は、上半身が植物で下半身が動物といえる」という話も・・・マンドラゴラか?? 根にあえて光をあててみる実験もしてみよう・・・。・・・さて、2ヶ月間、あっという間でしたが実にいろいろなことがありました! 植物も人間も、信じるのはこちらの勝手、でも"勝手な期待"はしてはいけないな、とつくづく思った・・。ほんとうに、思いもよらないことを(良いことも悪いことも)やってくれてしまう。どっちに転んでも愉しめるようにしなくては。何処へ飛ばされたとしても、それは自分ひとりでは来ることのできなかった場所だもの。 ・・・ 最近、涼しい夜が続いていて過ごしやすい。夏の宵にあえてあたたかいのみものを飲むのが好きなので、今日は「ホットきなこミントミルク」を作った。香ばしさと清涼感の織りなすちょっと不思議なマーブルもように包まれながら終わります☆
( *写真:全粒粉と薄力粉を1:1で合わせたスコーン。朝、食ぱんをきらしていたので、寝ぼけ眼のまま3分で生地をつくり、小さめに分割して200度のオーブンで10分。) ・・・大学生のときスコーンに大ハマリした私は、スコーンの3大エレメント・・粉・油脂・水分を様々な種類・量・組み合わせで試しまくったため、いまや目分量でどんな素材でも"スコーン風のパン"に仕上げることができる。基本はだいたい、「粉類2カップ:油脂分大さじ2から3:水分3/4カップ、ここに砂糖大さじ1:塩大さじ1/4:膨張剤小さじ2」という比率だ。写真のように"オオカミの口"をつくりたいときには、油脂を粉に加えてそぼろ状にもみこむ。そんなにサクサクしなくていいや、というときには、粉類と膨張剤を合わせたボウルに、水分と油脂分と砂糖と塩を混ぜたものをざーっと加える。ざくざく量り、リズムに乗ってぽんぽん合わせていくと、林望氏「イギリスはおいしい」に出てきたHow to make sconesの名シーンがアタマに浮かぶ。粉をいろいろブレンドしたり、油脂をカカオバターやオリーブオイルに切り替えてみたりしてもめったに失敗しないのがうれしい。(ただ、粉の半量程度は、グルテンを形成できるものを入れたほうがいいと思います・・ たとえば米粉100%だと、かなり固いおせんべい的な仕上がりになってしまうので) ・・・そういえば、今回の全粒粉もそうだけれど、食関係の職場でもらう変わった食材たちも、我が家の家計=消費生活をかなり助けてくれていた。ほんとうは、それらの食材を使って調理するよりお店で買ったほうが、原価・光熱費などを考えたら安かったりもする。でも、堅実な価値よりも、素材のなかに見えるたくさんの可能性&未来のほうを選んでしまうのが私の消費生活観なのだ・・・。
(*写真:かねてより念願の、無理なく持ち歩けるノートPCを購入。ちっちゃくて軽くて可愛い!私はかなり手が小さめ(親指と小指をうんとつっぱっても、ピアノの鍵盤、CDEFGHまでしか届かない)なのだけど、この見え方。いろいろなところに持ち歩いて、たくさん書くぞー!!) 私がこの「消費生活」を見つけたのは、ちょうど新卒で入った会社を辞めたころだった。デザインの学校に入り直したり将来の夫と暮らし始めたりで、貯金はあっという間に大変なことに・・・ それでも1年目は失業保険をもらいながら課題を作りまくり、2年目は人の縁で幾つか仕事が決まり、実際に食べてゆけないほど苦しい時期はなかった。・・のだけれど、気分にはちっとも余裕がなかった。それまでしてきた仕事も、好きなことを精一杯やっていただけだったので、"生活のために稼いでいる"という実感がなかったのが原因だろう、動かないとお金が減るばかり、という状況にびっくりしてしまったのだ。一番ぴりぴりしていた時期には、家計簿のほかに"底値調べ帳""電気・ガス等単価表"なんかを作って、自分がどう動いたらどう家計に響くのかチェックしたりしていた。料理の原価を、水道光熱費込みで出したりもしていたっけ・・。そして、観に行きたかった舞台や美術展、手元に置きたかった本などを見送るたび、"貧すれば鈍する"という言葉がアタマを過ぎっていた。・・・そんな日々の支えが「消費生活」だった。さまざまな年代・環境・価値観の人々のお財布事情を覗かせていただいて、自分との共通点や相違点を見出すのが楽しかった。 好きなものに使うお金って、やっぱり使った金額以上の価値があるんだな、と心がほぐされて、少しずつ、「大切なものには惜しみなく、でもよく考えた末にお金を使う」ようになった。フローが改善されたためか、そうこうするうちにどんどん仕事が増えて、現在のややのんびりムードの家計状況に☆「消費生活」諸先輩方、ありがとうございました!・・・そういえば今日TVで、「衝動買いを抑えるには、携帯電話の壁紙を好きな人の写真にしておいて、理性がなくなりそうな時に見るとよい。冷静になり、集中力が戻るので」とやっていた。 私の携帯壁紙は現在、ピルロがワールドカップにちゅーしている写真をトリミングしたもの(背景でマテのタトゥーが悪目立ち)。仕事でアタマが混乱したときなどに眺めて和んでいたのは、正しかったのね! そして、個人ブログにピルロのことを少し書いたら、「ピルロ かわいい」で検索してくる人の多いこと! みんなやっぱりそう思うのか・・ いまや国際語の「KAWAII」を冠することになった彼に幸あれ。
(*写真:夫が、「実はこんなの買っててんけど・・」と事後報告してきた、GAME BOY Micro。懐かしいかたち!相変わらず、マリオがジャンプするときには合わせてゲーム機本体を上に持ち上げてしまう私でした・・。しかし、2Dでも大変=頻繁にキノコと心中(私だけ? キノコで大きくなった直後にキノコに噛まれて小さくなったり)、なのに、サッカーや野球の選手はすごい!3D=鳥瞰=ほとんど神の視点が自分の中にあるんだもの) ・・・大好きなアーティストのインタビュー映像を手にして数週間。やっと音量ONで聴く勇気が出た。外国の人なので情報も少なく、写真やテキストベースのインタビューしか見たことがなかったのだ。それで先に形成されてしまったイメージがあったので、なんだかこわくて、無音で再生してばかりいた。 でもこのままでは、一生聴くことができない!こうなったら消費生活中に聴くんだ!と覚悟して、ON。・・・果たして、容貌から推される声そのまんまの、ぼそぼそとした素朴な声でありました☆ このケースはよけいなお世話だけれど、これがアニメキャラクターだと、イメージと声の関係は重要だ。最近友人とよく話すのは、「この頃のアニメの声優さんって自然な喋りなんだけど、なんだか淡くて、絵と絡んで落ち着くまでに時間がかかるよね」「そうそう、昔は、絵が声によって生きて動いて見えたよね」ということ。ドラちゃん、悟空、ケンシロウ=キン肉マン=冴羽獠、綾波さん=灰原・・・ どれも"生命の声"だ。 こういう声を、もっともっと聴きたいな。 ・・・逆に、これまでで一番度肝を抜かれたのは、「KINGDOM HEARTS1」をクリアしかけたときに登場した"王様"の声だった・・・ キャラクターの外見からは想像もつかない声色。今までの人生で耳にしたことのない波長、まさに唯一無二の声。声の創造主が亡くなっても、声優や言語が変わっても、どこまでも維持されるクオリティにはほんとうに頭が下がる。声に生命が宿ることを、関係者の誰もが深く理解しているがゆえの伝統なのだろう。
(*写真:三つ葉、だいぶさまになってきました。でも、葉脈の透け具合などはちょっと繊細すぎる感じ・・。じっと眺めていると、葉脈を流れる水分のせせらぎが聞こえてきて、ふと、三つ葉の細胞膜の内側に入り込んでしまいそうになる) ・・・歯医者さんの治療も佳境に。金属も嵌め終わり、塩水で全体を洗浄してもらったら、やっぱり虫歯がひとつ見つかってしまった。「生活態度以前にね〜、歯からは年齢がわかるんだよな、これだけは隠せないんだよ」「うっ・・・さよですか・・」「昔の話だけど、馬方衆は馬の歯で年齢を見たって言うしな」「は、はぁ・・うま・・・」 (・・・と、こう書いてみて、「年齢」の「齢」には「歯」の字が入っていることに気づいた!! なるほど!!) 最近、心が膨らんだり萎んだりし続けていて、年齢以上にしわしわになってしまいそうだ。胸のなかで渦巻く「どうなんだろう??」の群れ。--志はすばらしいけれど、そのために周りを踏みにじる人って、どうなんだろう? 大手企業が取引先業者(充分見込みユーザ)に威張り散らすような矛盾を抱えてないか・・? --それから、"去る者は追わない主義"ってモットーのように(大抵、なぜか自慢げに)公言している人ってどうなんだろう?? 実際、そういう人のもとでは人の入れ替わりが激しい。で、去ってゆく原因は去っていく側にあるとして深く考えないから、永遠に同じ冷たいサイクルの繰り返し。そんなのつまらなくないのかなー。でも私は、関節が冷えるのを堪えながらもう少し巻き込まれつつ頑張ってみる。"いつでも逃げられるように"準備しながらじゃ、全力が出ないから。もう、このon the edge感を愉しむしかない! ・・・しかしおそろしいなあ、ホラーな日々だ、まことに夏らしい☆
(*写真:実家で出してもらった赤じそジュース☆ビーツのようなあざやかな赤紫!) 今日は炎天下、朝から深夜まで、仕事その他含め5箇所を点々とする一日だった。行く先々でさまざまな冷たいのみものをごちそうになり、なんとか乗り切る。途中、実家にも立ち寄り、幼稚園〜中学校と自分がクラシックバレエをやっていたころの写真を見せてもらう。懐かしい!小さい頃から自分はかなり感覚的な世界で生きてきたように思っていたけれど(だからスポーツ選手を尊敬する)、先生の一存で容赦なく決まる発表会の配役(自分の位置が明確に判る)など、なかなかどうしてシビアな現実・実力主義の中に身を置いていたようだ。・・・精神的に幼くて、先生や観客にアピールするすべを知らず、自分の得意なこと・・甲の反りやアタマの中で膨らむストーリーだけを磨いていたにしては、比較的良い役をいただけていた。幸運というか・・とにかく有り難いことだ。 外へ向かって自我が開くのがもう少し早かったら、私の進路は違ってきていたかもね、と母と話し合う。そうだ、受験や就職など、厳しい舞台にあがる機会はそれなりにあった。でもいつも、結局好きなことをつきつめるのに夢中になって、それが良い方向に転んだり、心ある人が目をとめてくれたりして、なんとかここまでやってきたのだ。感謝して、応えていかなくては。まだ全然、自分のなかでぐるぐる廻っているだけの部分がある、あの頃とかわらずに。・・・さて、今日はいろいろ、まるくおさまった。 おさまった割に、やることは増えて、来月からますます忙しくなりそうなのだが。 悩みはつきないけれど、やり続ける中でしか答えは出ないのだろう。そうでなくてはなにより私が、あの頃よりは幾分外を見られるようになった自分が、嫌なのだろう、と思う。
(*写真:天使の翼、もしくはバルタン星人のような、テーブルヤシ(成長しすぎてもはや普通のヤシ)のひらきかけの葉っぱ。私は自然にひらくのを待ちたいのに、夫はこれを自らの手でほぐして開かせるのが大好きときたもので、攻防の日々が続いている。) "夏休みだから読みたい本"について職場で盛り上がる。『ツバメ号とアマゾン号』シリーズ、再読したいなー。『宝島』も。すごく有名なのに何かのきっかけで子供の頃に通過しなかった作品というのもいいかも。私の場合それは、『海底二万マイル』『巌窟王』『ロビンソン・クルーソー』あたりだ。学校で配られる"推薦図書のしおり"が好きではなかった(図書館や書店で自分の嗅覚で捜す過程が、本との関係において大切なことだと思っていた、今でも思っている)ので、割ととりこぼしがある。バックの『かもめのジョナサン』など、その道徳小説っぽい匂いに反発したのと、信じられないことにしおりに『かもめのジョナさん』と誤記されていたので、「Mr.ジョナかよ・・」と心底力が抜けてしまって、未だに手にとったことがない。同じバックでも『イリュージョン』は大好きで、つねに読み返している本なのだけど。ともあれ、大人になってからの再読やとりこぼし回収は、なかなか胸躍る作業だ。出逢い方によって、違った意味や色が生まれる、本ってほんとうに不思議ですてき。・・・仕事のあとで、昔の職場の後輩ちゃんとお茶へ。モロッコティーは、ジャスミンとスペアミントのお茶を、アニス・ライムスライス・赤砂糖入りのグラスに注いでいただくというかなり凝った&好みのものだったのだけど、ろくろく味わった記憶が残っていない(ノンストップでしゃべり続けたため)。後輩ちゃん、ここのところのあれこれを、私以上に泣いたり怒ったりしてくれる。ありがとう、ごめんね。
(*写真:つぼんだあとも鮮やかな色はそのまま。ジューシーでなんだかおいしそうな雰囲気のおもちゃかぼちゃの花。・・・しかし、毎日1つずつ咲いてるのだけれど、全部雄花なのが悩みの種。雌花はもう少しあとで、茎の上のほうに咲くらしいのだけど・・ そのときまで雄花のつぼみは残っているのだろうか・・) ・・・友人が突然、「--最近、エルフの気持ちが判るようになってさ・・・」などと言いだしたので驚く。よく訊いてみたら、「人間、100年くらいじゃ悟れない、やっと判ってきてもうまく伝えられないままに死んでしまう、だからおなじ間違いの繰り返し」ということだった。たしかに・・。時間があったからなんとかなるというものでもないだろうけれど、それにしても、この地球規模のアポトーシスを仕組んでいる側に悪意のようなものを感じるときがある。私にできるのは、この身の痛みや喜びを、遺伝子に刻むことだけだ。せいぜい、鮮明な痕を残すべく、きっちり味わおう。・・・さて今日は、夜中の風呂場でヘアカラーを決行。みどりいろ。緑の髪というと、新井素子さんの『グリーン・レクイエム』の明日香や、多和田葉子さんの『ヒナギクのお茶の場合』のハンナを思い出す。染料の色はビリジアン。どうなるかな〜とわくわくしながら30分。流してみたら、うーん・・・ 地毛の色が赤茶系の黒だったからか、ぱっと見てみどり、という感じにはならなかった・・・。時々、角度によって、何色とも表現しがたいアッシュ系の光が射すのだけれど。これでは、光合成は、できないな。
(*写真:土用の丑の日。静岡産と鹿児島産のうなぎを食べ比べてみる☆ 静岡産のほうがむっちりしていた。) それにしても鰻屋さんの看板には、平仮名の「う」をにょろりんとデフォルメしたものが多い。たしかに鰻っぽい、表意文字なのではと思わせるほどに。ともあれ、こうしたデフォルメ「う」+「なぎ」、見かけるとつい、心のなかでは「う・なぎ」と、「う」を大きく発音する感じで読んでしまう。決して口には出さないけれど、心の中では読んでいる音。(きっと誰にでもあるはず!) 自分のレパートリー(?)を確認するのも、他人のそれを教えてもらうのも好きである。私は他に・・・思い出そうとするとなかなか出てこないものだけれど、「とらや」の看板を「や・ら・と」、「スジャータ」のトラックの右側面を「たーやじす」、「炭水化物」を「たんすいばけもの」、「井伊直弼」を「いいなおかゆ」などとこっそり心の中で読んでいたりする。・・・オールスター、おもしろかったな〜。「行けるかな、どうかな」って瀬戸際で、皆「行くぜ!」を選択するのがほんとうに楽しい!私もつねにこうありたい、そうしたら毎日が宴だ。・・・最近、心をずしりと重くさせるあれこれや、どうやっても永遠に浄化されない汚れた空気から、ひとおもいに逃げ出したくてたまらなくなるときがある。海外逃避や、若干不謹慎な我が身の環境の変化を望みたくなるほど。でも、逃げちゃダメだ。この場所で果たすべき責任は、とどまってきっちり背負いつつ、上に行こう。やり方はすでに判っているはず。シンジ君の口癖をお供に、ふんばってみよう!
(*写真:ベランダで育てているニラは、どんな季節でもぐんぐん伸びて、毎週一把くらいの収穫がある。1年くらい同じ株から穫り続けているのに、周りの蔓性の植物に絡みつかれたりしつつもがんばってくれている。すごいな、えらいぞ。) 朝一番で歯科に行き、その足で池袋に出かけたら、午前10:00前の街はまだ完全に覚醒していなくて、ぼんやりとこころもとない輪郭をしている。人も少なく、道路が奇妙にがらんと広い。ゴミと枯れ葉がかさかさともつれながら転がっている。・・・・この、さみしいようなほっとするような感覚・・ 実家も、こうした繁華街をもつ街にあったので、なんだかとても懐かしい。そして、何故かこの感覚がやってくるときには、何故かきまって渡辺美里ちゃんの「Believe」がアタマの中で鳴り出して、この曲に出逢った中学生の頃の自分に一瞬戻るように感じられるのだ。広すぎる地平の上でぽつんと立ち尽くす、あの震えるような孤独な快感。 ・・・そして、他の諸々の用事のあいまに、かなり久々にカラオケに行くことに。最近は、電子目録があるんだ!とびっくり。なんと便利な。・・・男性ヴォーカルの曲を歌うときサビにきて1オクターヴ下がるのが恥ずかしいので、AメロBメロを頑張って低い声で歌っていたら、「やっぱり低い声は似合わない、無理しない声で歌ってるのを聴きたい」とずばり言われてしまう。キーがぴったりなのはYUKIちゃんなので、そりゃそうか・・。一番得意なのは、ミュージカルをやっていたこともあり、お腹から声を出す舞台系・合唱系の曲。「Memory」などを経て、最後は「椰子の実」「浜辺のうた」なんかを開き直ってきもちよく歌って終わる。そしてお店を後にした瞬間、入店する直前までアタマにあったはずの美里ちゃんを忘れていたことに気づく。そういえば「Believe」は、大学のミュージカルサークルのオーディションのときに歌った曲だったな、ということも思い出す。・・・どうもカラオケボックスには、記憶回路のなにかが一時停止されたり混濁したりする作用があるようだ。ビックリハウス的な・・ 普通にしているつもりなのに平衡感覚が狂ってゆく空間。
(*写真:雨空が続くけれど、ベランダに太陽のような黄金色が・・!おもちゃかぼちゃの花です。) 食用のかぼちゃとそっくりなとげとげの茎、厚い毛深いたのもしい葉、電話コードのようにきつく巻いている蔓。子供の頃、毎年夏に遊びに行っていた父の実家の海で、素潜りをする前に必ず水中眼鏡をかぼちゃの葉の汁で磨いたのを思い出す。こうしておくと、ガラスが息で曇らないのだ。・・・さて、オールスター、すばらしかった!新庄のダイブ、藤川のストレート予告&勝負、受けて立つバッター陣、一球ごとに湧くベンチ・・小笠原のスイングもカッコよかったし、帽子をとってお辞儀する藤川はとことんさわやか野郎だった。クルーンは相変わらずダイヤモンドよりバスケットのコートが似合いそうな風貌で、飄々と159kmを連発。選手も観客も興奮の渦のなかでひとつになっているようだった・・ スポーツの力ってすばらしいな。・・・ 『ハチクロ』、衝撃の"終わりの始まり"の幕が切って落とされていて、息を殺しながらページをめくった。勝手にあふれてくる涙はほっておいて。カオルにもはぐちゃんにもあゆにも竹本くんにも自分を見てしまい、心の最もやわらかく黒いところをむき出しにして目の前に突き出されているような、強烈な痛みと苦しさに身悶えする。人生は、方向をさぐりながらとにかく進もうとする本能の上で、迷い、あがき、選択し、失うことの連続だ。私は、今を、これからを、どうしたい?どうできる?アタマの中で巨大な鐘が鳴り響いている。・・・漫画もスポーツも、非日常の遠い世界のはず、なのに自分を取り巻く日常よりもずっと近く深く私の内側に入ってくる。まるであの熱も涙も、すべてが私の中から生み出されたもののように。
(*写真:vironのクロワッサンのみごとな断面・・教会の建築のような美しさ。これが、自然現象・・・神の手のなせる業だというのがすごい!)・・・最近、自分の"最後の晩餐"について友人や同僚と話し合うことが多い。7/4の「くわず嫌い王」とかぶるのだけれど、私はもうずいぶん前から心に決めている。定食である・・・「鯖の文化干し、豆腐と葱のお味噌汁、納豆ごはん」。しかし、今日食べたvironのクロワッサン&クロワッサンオザマンドは、メニューに加えたくなるおいしさだった。とにかく濃くて、がつんとじわじわと旨い。特にザマンドに生クリーム(7%加糖)をつけたときの甘・塩・コク・薫りのハーモニーといったら・・・!! ・・・さて"最後の晩餐"、話し合っているうちに、「ソフトクリームのプールを泳ぎたい」「キャラメルソースで溺死とか」「カステラ用の桐箱をお棺サイズで作ってもらい、そこに横たわって上からカステラで埋めてほしい」などと、途中から"どう死にたいか=好物とどうやって心中したいか"論に発展。"埋まりたい"人って多いようだ。昔、「探偵!ナイトスクープ」に、「納豆が大好きで、むしろもう納豆になっちゃいたいんですけど」という男の子がでてきたことがあったな・・ 結局浴槽で大量の納豆に浸かって思うさまネバネバになって至極満足そうだった。私は納豆ごはんが大好物だけれど、埋もれたいとは思わないなあ・・・。 死んでしまったら、あとはどうなっても構わない。海に撒いてもらうのが気持ちよさそうだけれど。
(*写真:ベビーリーフミックスを、白・黒・茶の種をひと粒ずつ選り分けて発芽させたものを、枝豆の水切りザルに植えてみたもの)ザルの目に根を通して、受け皿に肥料入りの水を満たし、椰子の繊維(水で5倍に膨らむ)で固定してみた。やっぱり植物は、茶色の背景の上にあったほうがしっくりくるな〜。しかし、白・黒・茶の種、今でこそおんなじような外見だけれど、発芽直後は白の種の芽だけが緑で、黒と茶からは真っ白な芽が出たのには驚いた。外皮と胚の色の違い、環境の影響。道徳的な物語、シニカルな小噺、ここからいろいろ創ることができそうだ。・・・そして、ついに行ってきました、外れた金属を携えて、歯医者さんへ!いろいろ怒られそうだな・・とびくびくしていたのだけれど、案外あっさり。レントゲンをとって、「前にここ治療した先生はまじめな性格だったんだな、ちゃんと処置してあるよ。ちょっと金属が浅かったんだな、俺ならしっかりくるんじゃうけどな・・」と言われる。前の先生(前の勤務先のそばの、やさしい女医さん)も大好きだったので、嬉しくなる。しかし、至近距離で外から内(レントゲン)から診察する歯医者さんには、前の先生の性格どころか私の性格&生活態度(歯の磨き方や肌の状態から)まですべてを見透かされているんだろうなー・・ あああ。歯医者さんと恋におちた聖子ちゃんはつくづく凄いな。・・歯科の窓辺には、我が家にあるのと同じくらいのミニがじゅまるの鉢があった。そういえば、がじゅまるの根っこってどこか歯根めいている。・・隣のベッドについた60がらみの男性(どうやら奥歯をまっくろにしていたらしい)が、「あのう、実は私、趣味で野球をやってて、強く奥歯を噛みしめることが多いんですけど・・」と言いかけたとたん、先生に、「ばかやろう、野球のせいにすんな!てめえが放り出したんだろう!」と一喝されていておかしかった。「もともとはとってもいい歯なんだから、勿体ないよまったく・・」と本気で悔しそうな先生に、FFのシドを見た・・・☆
(*写真:遮光性のある瓶・・ということで、ビオフェルミンの空き瓶を。)スポンジに根を這わせたので、設置がむずかしく、結局クリップを支えにすることに。美しくないことこの上ない・・。でも本人(小松菜さん)は至って元気そう。スポンジが空気を通すのがいいのかな。・・・昨日〜今朝にかけて、〆切が4つも重なっていた。ちょっと気を抜くとへにゃへにゃになるか自棄を起こすか、自分でも予測のつかないパニック一歩手前の精神状態を、アイスココア&細切れの仮眠&Flikrで巡る美しい写真の旅で和らげつつなんとか全納品。しかし、その後出勤した先では手がけているウェブサイトの定期更新日だったので、またも時間ともう一戦交えることに・・ いいなあ、敵は疲れ知らずだからな。
仕事とは、ということを考える。世界の循環に、意思と責任をもって関わること、だと思う。(ばたばたしていると、忘れてしまいがちだけれど・・)私は、とても幸せなことに、好きなことと仕事がほぼイコールである。それでも、納品まぎわはほんとうに苦しい。仕事と自分との一騎打ちのつらさもあり、クライアントとの関係からはエネルギーを大きく削がれたりもする。(いただくことも多々あるのだが)・・・例えば、ウェブ関連初心者から受けるお仕事。デザイン案にOKをもらってもう作業に入ってしまっているのに、次々に当初見積もりにも入れていなかった細かい希望が出てくる。クライアントの想いを私なりのフィルタを通してかたちにすると、それに対して「ああ、こんなことやそんな表現ができるんだ!」「私のやりたかったのはこれ!」と嬉しくなってしまうらしい。それはほんとうにデザイナー冥利につきる反応なのだけど、限られた時間と予算のなかで、しかもたったひとりでやっている私には結構キツい。変な導火線に火を点けないようにしなきゃ・・といつも思うのだが、自分でも「よりいいものを」「見たことない段階に行きたい」と思っているので、ブレーキがきかない。できることや気がついたことを黙っておけないのだ。お互いが納得できるよう、ぎりぎりまで話し合ったり代案を出したりするので、ひどく消耗する。 ・・・逆に、ある業種のプロのためのブランドづくり。本業に絶大なる自信を持つクライアントが、「ロゴ?CI? 無きゃ困るけど、お客さんはデザインに惹かれてくるわけじゃないんだから、はっきり言ってなんでもいい」と、さんざん話し合ってつくりあげたロゴやデザインを、適当に扱ったりすることがある。知らないうちに、関係ない色やフォントが入っていることも・・。私は、最初のデザイン料をもらったら後は手を引いて、放っておいたほうがいいのかもしれない。いちいち心を痛めていたら身がもたない。でも・・・・・「どうでもよくなんてないよ!」という叫びが自分の底からわきあがってきて、ここで退いたら芸術とデザインの世界に対する背徳にあたるようにも思えて、気がついたら、言葉でわかってもらえないなら私がつくりますから、と身体をはってしまっている。
デザインと文章。私の仕事は、文化の余剰に萌すものとして見られがちで、相手&時代によって扱われ方も千差万別。私自身は、第一次生産者のつもりでやっている。人間にとってとても大切なもの。これがなかったら生きていけない、どうでもよくなんてないもの。押しつけるのではなく、個人の心構えとしてその覚悟をもって、関わった人が皆良い気持ちになれるような仕事をしていきたいなあ。
(*写真:佐倉名物のおみそと、ピーナッツバター。どちらも地元密着型の会社のもの。貴重!)佐倉市にある、川村記念美術館の取材に。色と光、闇とフォルムが舞い奏でるクレーの世界にうっとり。・・・そして、佐倉といえばバンプのふるさと! せっかくなので東京から聴きながら向かった。・・・のだけど、駅前の「元祖世界のガンジーラーメン」という強烈な個性を放つお店から、大音量で流れるベンチャーズ、というかむしろ「きみしね」の主題歌のような、デンデケベムベムいう音楽が、すべてのうっとりを塗り替えてしまった。外の幟には「タンタン狸タンタン麺」(あんたがたどこさの世界か・・?!)、「ミトコンドリアXラーメン」(どれだけちいさいねん)という不思議なメニュー名が林立。 「さくら名物」って書き添えてあるし、バンプファンなら食べるべきか・・?と逡巡したが、時間もなくて、写真の無難な特産品だけを手にして帰京した。次回は絶対に立ち寄ろう。それにしても、不純(?)な動機を疑われそうで、佐倉市内では携帯電話(バンプのコンサートのストラップつき)が取り出しにくかった・・・。
(*写真:折鶴蘭のランナーが30〜40本ほど伸びていて、切って束ねただけでちょっとしたブライダル用のブーケのように。) 植物の和名が好きだ。金魚草、牽牛花、花菱草、夏雪葛、鷺草・・・。 字面と響きからにじみだすあわあわとした風情がよいのだ。 ・・・私はふだんからとても寝言が多い(らしい・夫談)のだが、今朝は「・・・ひどい・・・ あんまりだ!!」と非常に憤慨していたらしく、「どないしたん?」と夫が聞き返すと、「ジャイアンツが・・政治家によってテコ入れされてるんだよー!」と嘆いたそうだ。 目がさめてから思い返すと、たしかにそんなような野球の夢を見た感触が残っている。でもたしか、ベンチにマテ兄貴がいたのよね・・・ 彼になら来てほしいかも。(それにしても、サッカーで気を逸らしてきたとはいえ辛くてたまらなかったジャイアンツの転落、ここ数日でちょっと底を打ったっぽいのでほっとしている。これからだー、がんばれ!) ・・・そういえば昨日見た夢は、誰かの広い別荘の中をひとり探索し、日あたりのいい場所を見つけて、勝手に植物の水耕栽培を始める、というものだった。現実とおなじように、卵パックなどを使って。そうしたら通りかかったデルピエロが、「なにしてるの?それはなに??」と目を輝かせながら質問してくる、というもの。起きて夫に報告したら、「卵パック栽培って・・そりゃイタリア人にとっては、興味を通り越してもはや不審やろうな」と・・。そうよね。海外のアーティストやスポーツ選手に思いを馳せるとき、時々考える。彼らは、こんな東洋の片隅で、小さな種と芽の生態に一喜一憂している女の子がいることなど、一生知ることはないんだろうな・・・。
(*写真:これはなんでしょう・・・?)もしゃもしゃした繊毛、神経のような筋・・全長9cmほどの、巨大なミジンコのようなこの物体。自宅のテーブルの上に置いておいたら、「なんやこれ・・生き物?」と気味悪がられる。「まあ、比較的、生きてるよ」と答えておく。実は、勤務先でいただいたすばらしくおいしい宮古島の完熟マンゴーの種なのだ。東京の気候で育つかどうか微妙だけれど、植えてみるつもり☆ ・・・今日は仕事の合間に、ついに髪を切りに行った。雑誌の切り抜きを数枚持ってゆき、「内側はこうして、外側の層はこんなふうにランダムに残して・・ あんまりキレイにまとめないで、ややおかしな感じにしたいんです。むずかしいかしら・・??」といつもの美容師さんに相談する。美容師さん、実はずっと切りたくて梳きたくてたまらなかったらしく、「大丈夫、簡単ですよ!とにかく、全体を軽くして、うなじ出しましょう!」とすばらしいスピードで迷いなくハサミを動かしてくれた。結果、とっても軽くなって、角度によってイメージも変わるし、セットもしやすい、という素敵スタイルに。床の上に積もった黒い山、かつては自分の一部だったなんて信じられない・・ ヘアサロンで、自分の髪の山を見るといつも、O.ヘンリの『賢者の贈り物』を思い出す。たいそうな覚悟もなく、自分の都合で切ったり染めたりしてしまって申し訳ないような気分に。眉が顔の額縁なら、髪はその人の印象の輪郭をつくるもの。いままでありがとう、と心のなかでそっと呟く。
(*写真:キャラメルペーストをたっぷりのせたバゲットを食べていたら、がりっとイヤーな感触が・・) うぁー。奥歯の詰めものがとれてしまった。あらためて見てみると、ずいぶん大きな金属・・。そして、あらためて眺めてみると、なんだか遺物というか、遺跡から発掘された古代の人の持ち物のような風合い。いつか、未来の地球の主役に"発見"される日のことを疑似体験しているようだ。・・・「とにかくすぐに歯医者に行ったほうがいいよ!」「その穴から虫歯が拡がるよ!」と同僚たちに勧められる。至極もっともである。しかし、歯医者さんというのは・・ 一度行ったら観てほしいところ以外の患部を次々に"発見"され、しばらく通い続けなくてはならないので、ちょっと苦手なのだ。患部をこしらえる自分が悪いのだと判ってはいても・・。 状態がよく見えない&素人には判断できない器官なので、「ほんとにすぐ治さなくちゃいけないのかしら?」と疑ってみたり、「ほっとけば痛くなくなったりすることもあるし」と、絶対に自然治癒しない器官であるにもかかわらず素人判断してみたり、「もう大人・まだ子供」のカードを切りまくる思春期の子供のようになってしまうのだ。・・・"定期検診のすすめ"のハガキも、見て見ぬふりを数年続けてきたので、よけいに行きにくい・・・。歯みがきしてから嵌めてみたらサックリ嵌ったので、「このままいけるかも☆」とぬか喜び、でもその後なにかを口にする度に外れてしまって往生する。・・・私が人生で見て見ぬふりをしてきたことすべての象徴みたいな、この金属。ちゃんと向かい合って、お医者さんで再接着してもらって、すっきりしよう・・・ そうね、来週中には。
(*写真:ちょっと落ち込み気味で歩いていた会社からの帰り道、表参道ヒルズのウインドウから、ベホマズンにも引けを取らない強烈なオーラの奔流が!) なんだかちょっと恥ずかしいのだけど、載せちゃいます、D&Gの下着の広告。ガッちゃんカッコいい〜!そして我が愛するアンドレア君は・・・ おーい、なんで端っこでそんなに途方にくれた顔をしているのだ??「あれ、俺・・なにしてんねやろ・・・着替えの途中やったっけ・・??」わー! しっかりー! ・・・それにしてもジダンはカッコわるい。頭突きそのものは「ああ、人間らしいなあ」とむしろ感心させられたのだけれど、その後の行動がもったいない。ピッチの外でやりあうことなのだろうか・・。どんな言葉でどれくらいの傷を負うかも、どれくらい我慢できるかも、人それぞれ。ぐっとこらえてピッチの外に持ち出さなかった選手がどれだけいることか。言葉の内容を検証したって罪の重さは量れない、芝の上でやっちゃったことがすべてのはずなのに。悔しいのならロッカールームで殴り合ったらいいだろう。しかも、ホームのクローズドな番組で、さわりだけ話して、「後は君達が調べたまえ」て・・。何故人を使う。世論を味方につけて、公開裁判にしたいのかな。決勝後半で倒れたときも、「この俺が倒れてるんだ、試合とめてこっちこいや」てな感じで、立ち上がりもせずに審判を呼びつけてたなー。自分で自分の輝かしい歴史と、W杯そのものに泥を塗ってないか?チームメイトやファンが不憫でならない、そして翻って彼自身がとても可哀そうで、胸が痛む。・・・今日の落ち込みは、「親しい友人がその家族と永遠に離れてしまう」のを、同時に2人(2件)経験したから。なんでよりによってこの人に・・という理不尽さ。片方の人など、家族ができあがっていく過程にちょっぴり参加させてもらっていたので、メールをもらった瞬間、心臓を殴られたような心地に。そのあと鼓動がずっと、「まさかまさかまさか」と響いていた。彼の生きる姿勢、大切な人や物との距離のとり方にはいつも感銘を受けていて、「この人に育てられたい」と思うほどだったのに・・。ああほんとうに人間って、一筋縄ではいかない。
(*写真:三つ葉にやっと本葉が!「"三つ葉"じゃないやん、"二つ葉"やん」と夫にいじめられてきたので、奮起したか・・。)他の野菜たちも、じりじりと成長してはいるんだけれど、相変わらず双葉のまま徒長しがち。「もう君たち、スプラウトとして食べちゃうぞ☆」と話し(脅し?)かける日々。しかし、本葉が生えるまでにこれだけ手がかかると、なんだか情が移ってしまって収穫できないかもな・・・。野菜:「もう、増え過ぎちゃって困るんですわ、葉っぱが」私:「じゃあここんとこ、ちょっと刈り込みましょうかねえ」野菜:「頼みますよ、梳いた部分は食べていただいて構いませんので」・・・って関係が理想なのに(なぜオババ口調になってしまうのかはともかく)!・・今のところ、ミントとだけはこれに近い関係が築けている。切れば切るほど幹が太くなってゆく、すばらしい☆ 今日は、懐かしい森永のビスケットアイスと再会。これ、高校に入学して学食で出逢って、「なんておいしいアイスがあるんだ!」と大感激し、毎日のように食べていたもの。あの頃のはモカ味とバニラ味がハーフ&ハーフになっていて、どっち側から食べようか悩んだものだけれど、現在のものはバニラオンリーでその代わりバニラビーンズが入っているようだ。(と思って調べてみたら、ファミマ限定でハーフ&ハーフのものが復活しているらしい。森永製菓と乳業の違いもあるらしいのだが・・ともあれ、行かねば!)・・私は中学まで公立でのんびり過ごして、高校からぽんと私立に入ったので、「学校の中にいつでもごはんやおやつやのみものを買って楽しめる場所があるなんて!」という事実がとにかく新鮮だった。最初の1年はとにかくどっぷり学食を堪能しまくったものだった。母にもたせてもらったお弁当は20分休みに食べてしまって、お昼休みは気になるごはんメニューをいろいろ試して、放課後はおやつ。アイスココアやカニクリームコロッケ、赤い福神漬け、バターラーメンなど、「この料理に人生で初めて逢った瞬間」を記憶しているメニューがこの時期にはたくさんある。一日6〜7食という尋常ではない量を食べていたあのころ。毎年、同じように学食にめざめる新入生は少なくなく、おかげで母校は「○○(地名)の養豚場」なんて有り難くない渾名をつけられている。しかし皆、上級になるにしたがって冷静になり、ちょっと身体をひきしめて卒業していくのだった・・。それでも私はその後、フランス菓子&料理店のアルバイトを始めたときや、社会人になって洋菓子メーカーに入ったときに、「こんなにいつでもごはんやおやつ・・・(後略)」を繰り返したけれど。結婚して毎日のごはんを作ることになったときも、「こんなにいつでも食べたいものをつくることができるなんて!」と・・・。 あの多幸感がくせになっているのかしら。
(*写真:黒酢のところてん。夫がスーパーでカゴに入れたのでそのまま精算したのだけど、関西出身の彼はどうやら"黒蜜"のところてんだと勘違いしていたらしく、不服そう。残念でしたな。私はだんぜん酢じょうゆ派なので、おいしくいただきました。) ・・・実はここのところずっと体調がすぐれず、ひどい頭痛になやまされていた。貧血や寝不足など思い当たる原因は結構あったので、考え得る手はすべて打ってみたつもりなのだが、どうにもこうにも回復しない。最後には薬もきかなくなり、思考は生まれるそばからぼろぼろ千切れていくし、仕事も進まずぐんなりしていた。・・・そこで今日は、思い切って時間をとって、頭のマッサージをしてみることに。仰向けに寝て目をつむり、肩が凝らないようにクッションをあてて、リフレクソロジーなどで最後にやってもらうのを思い出しつつ始めてみた。・・・もう、頭のどこを押しても気持ちいい。どこもかしこもツボのよう。大仏さまの頭の凸が全部凹になっているイメージだ。根気よく続けていったら、まぶたの裏に色や模様がひらめくようになってきた。指の動きにあわせてその色もかたちも変わるのがおもしろい。やがてだんだん裏視界が、ミルク色の霧が晴れるように明るくなってきた。物語で、新しい世界に突入するとき特有のヴェールの開き方だ!こころなしかモローの描く世界に似ているような気がする・・・さあ、なにが見えてくるかな?と思ったら、その瞬間眠りに落ちていたらしい。夢も見ないまま、気がついたら夕方になっていた。身体を起こしてみたら、憑きものが落ちたように頭はすっきり☆ おそらく眼精疲労のひどいのだったんだろうな。・・・それにしても、あそこで眠っていなかったら、何かあっちの世界のおもしろいものが見られたかもしれないな・・・ユニコーンの一頭くらい。ちょっと惜しい。
(*写真:三十日大根、水耕栽培で挑戦中。)アルミホイルでぐるりを巻いているのは、根に光をあてない(土の中の状態を再現する)ため。瓶の模様が可愛いので隠したくなくて、はじめは何も巻かずにいたのだけど、葉はちっとも伸びないのに根が緑色になってきたりしたので、慌ててこの状態に。すると瞬く間に地上部分が伸び出したのでした・・・仕方なく、水耕栽培用の瓶はすべてホイル巻きにしたのだけれど、涼しげだったコーナーが一気にギンギラギンになってしまった。おまけに、夫に「これなに?」と訊かれたので「大根って書いてあるでしょ」と答えたら、「・・ああ、カイワレ大根な☆」と・・。違うよー。これから実ができるはずなんだよー、"ど根性大ちゃん"みたいな・・・。・・・ついに終わってしまったW杯。ジダンのパキケファロサウルス、あちゃ〜・・・。しかし、許されない行為だけれど、やっぱり美しいな、頭突きすらも。そして私の大好きなピルロ君の活躍も嬉しかった。惜しい場面もあったけれど、もさもさと髪を揺らしながらマイペースでピッチを駆ける姿、すてきだったな〜。 ・・・日本以外で国としてどこを応援するか、となると、これまでの人生で触れてきたものが大きくなる。ドイツとイタリアは、それぞれ言葉の響きが好きで、学生の頃からはまって勉強していた。すると、社会人になってから思いがけず仕事でも使う機会が次々入ってきて、ヨーロッパ出張に行かせてもらったり、あちらの国の会社のデザイナーさんとサイトを立ち上げたりして、国民性にもかなりいい印象を持つことに。(特にドイツ、日本人以上の几帳面さ、集中力、妥協のなさ!)で、今回もこの二国に肩入れしていたわけなのだが、始まりは「この"sch(シュ)"や"ch(ふ)"、いいなあ、ウムラウトの字面も可愛いなあ」という単純なもの。言葉から始まるものって意外と大きいのかもしれない。・・・選手の名前の響きからして国民性を決めているような気もするし。「ガットゥーゾ」とか「ブッフォン」とか、リズミカルでいかにも強そうだもの・・訓読みのある日本語は、やっぱりやわらかくのんびりとスキのある感じ。でもその特性と美しさを大切にしたいし、そんな独自のリズムのあるプレーができるようになったらいいなと思う。するするっと、ふわふわっと・・。
(*写真:チャービルの種は細く長い。真ん中あたりから根が出る。なんだか・・・花輪くんの髪の毛みたい。) 髪の毛、といえば、髪型を変えたくてうずうずしている。3月の式のためにずっと伸ばしていたので、選択の幅は広いはずなのだけど、めずらしくビジョンが定まらない。とりあえず、一週間後に予約を入れてしまった!さあどうしよう。内側を刈り上げようかな、それともボブにして表面だけひょろひょろ長いのを残してみようか・・。これまでさまざまなヘアスタイルとカラーを試しまくってきて、自分の骨格と肌に合うものの見当はついているのだけど、まだまだ冒険してみたい。アニメやゲームの設定資料を参考に、ちょっとだけエッセンスを取り入れることもある。(FF7のクラウドの髪、いいなあ。特にACの。)もちろんWebAcrossも参考にしています☆ 雑誌では、あんまりキレイ系・モテ髪といったものに興味がないので、CUTiEあたりを参考にすることが多い。誌面のイキオイが好きで、なんだかんだと長いこと愛読している雑誌のひとつ。大学生のころ、「25歳になったら"25ans"を読むようになるんだろうなー」なんて思っていたけれど、どっこい、あの頃と全然好みが変わっていない。宝島社系のファッション誌、ロッキングオンの出しているもの、Casa BRUTUS。流行通信、STUDIO VOICE、Barfout!、装苑。どれも、「この時期が一番好きだったかな」というものはあれど(鹿野さんの、文章からは感動を、胃袋には感銘を受けた!)、ずっと読み続けている。なんにせよ、続いていてくれるのが嬉しい。ここ数年で出てきた雑誌で、ぜひともロングセラーになってほしいのは、クウネルと天然生活。復活してほしいのは、Lucaと、昔のぺらぺらりとしたOlive。ああ・・・私は雑誌が、雑誌が体現している空気感みたいなものが大好きだ。小説本と違って水ものだから、毎号の出逢いをほんとうに大切にしたい。それが、現在をていねいに歩いていることにつながるような気もするし。そして、水ものである立場を理解しつつ、毎号森の奥まで行っておいしい水をそっと掬って、小説本をつくるような丁寧さで編集されている雑誌たちを、ずっと応援し続けたい。(逆に、ちっとも身体を使わずに、記事を使い回したりWebから引っ張ってきたりするだけの雑誌たち。紙とインクが勿体ない!紙媒体でやる意義のあるものだけ残したいものだ。)・・・洋菓子の企画をしていたころ、ターゲットの設定を、「どんな雑誌の購読者層か」で決めることが多かったのだけれど、あれはきわめて的確な(プランナーにもクライアントにも)アプローチだったな。価値観が如実に反映されるもの。
(*写真:今年の2月に我が家にやってきた観葉植物。半透明のガラスのモザイクの鉢に植わっていて、「クロトン」という札がささっていた。なので、呼び名も「クロとん」(時々、「クロさん」)。) 今日、ふと思い立って「クロトン」をネットで調べてみたら・・・ あれれれ?? な、なんか全然違う植物が出てきましたよ? 別名「変葉木(へんようぼく)」で、葉がいろいろに変化するということだけれど、それにしても別ものっぽい感じが・・ 6/28のピンクファイアーに続き、どうも札にやられている感がある。羊だと思いこんでオオカミの肉を食べている・・・まあ、おいしいから、いいか☆・・・実家の母と電話していたら、「このあいだ、ベランダの窓にめずらしいカエルが張りついていたのよ〜、お腹も目もオレンジなの」と言う。「それはヤモリでは・・」と返したら、「いや絶対にカエルだった」と。「名前を知りたくてさんざん検索したんだけど、両生類系、あんまり得意じゃないし、気持ち悪くなって挫折しちゃった」というので、じゃあ私がそのミッションを引き継ぐよ、と調べ始めた。アマガエルもウシガエルも可愛くてむしろ好きな生き物なので、大丈夫だろうとふんで。・・・しかし・・・ アマゾンのヤドクガエルの画像を見ていくうちに、そのこの世のものならぬ美しさと鮮やかさと・・・ 怖ろしさに、感覚が混乱し始めた。空色?レモンイエロー??ストロベリーピンク?! その斑点、縞、その艶・・・わからない、意味がわからない。 色彩と質感と生態と・・その理のどこかがどうしても呑み込めず、生理的な抵抗感がこみあげてくる。結局、私も正解には行き着かず、断念。視覚だけでこれほどのインパクトを与えてくるヤドクガエル、すごい。完敗だわ・・。私も、捕食をまぬがれたいときには、敵の感覚を混乱させることをこころがけてみよう。
警告めいた結果だとずっと引きずってしまうので、朝のTV番組の星占いはあんまり見たくない・・・のだけど、「めざましTV」の星占いは、運勢ビリだった人のための「これを食べれば救われる」メニューがおもしろくってついつい見てしまう。「そんなのどこで食べられるの??」という変わった料理だったり、夕食にしか出てこなさそうなヘビーな料理だったりと、果たして全国で何人が救われることができるのだろうと心配になってしまうメニューが多いのだ。視聴者層からして、社食やコンビニなどのランチメニューにありそうな料理にしたらありがたがられるだろうに・・・。しかし、その迎合し無さ加減が、逆に占いの信憑性を高めているともいえよう。さて、ここのところ、一昨日は「豆腐のオイスターソース炒め」、昨日は「鱧の梅肉ソース」と、ランチタイムに出逢うのは相当むずかしそうなメニューが続いている。一体今日はどんな難関が待ち受けているのだろう・・"鳩"とか"イルカ"とかくるんじゃ・・・と思っていたら、意外や意外、「そうめん」。 揺り戻しかしら・・・。 夜、ネットで知った「全卵を使って生クリームを入れない」カルボナーラを自己流にアレンジしつつ試してみる。フライパンにオリーブオイルを入れ、にんにくとベーコンを炒める。ここに麺のゆで汁を大さじ3杯くらい入れて乳化させ、とろっと仕上げておく。ボウルに卵(2人分なので2個)をといて、塩こしょうしておく。ゆであがった麺をフライパンに入れて混ぜ、ボウルの卵液も入れてなじませる。結果は(*写真)の通り。いい色つやにできあがって満足!温度とスピードがカギをにぎるこのレシピ、フライパンが熱すぎる場合には卵がぼそぼそになってしまうので、ボウルのほうにすべてを移して混ぜるほうがいいらしい。食材は生き物。料理はほんとうにおもしろい。
(*写真:一昨昨日に仕込んだスポンジ栽培の大根、ひっくり返してみたらもう根が貫通していた!)「ちょっとスポンジの目が細かくて根が潜れないかな・・」と心配していたのだけど、まったく問題なかったよう。他の野菜も、ずんずん突き抜けて、ごくごく水を飲んでいる。よしよし。・・・職場で、お誕生日の同僚をケーキその他で祝うことに。私は、皆が事務所の奥で準備をしているあいだ、その彼女がそっち方面に行かないようにひきとめる役割。彼女が用意したデータでページをデザインする作業をしながら、あれやこれやと質問する。「私のデータに不備があったのかしら・・」と心配そうな彼女の表情に胸が痛む・・・。吉祥寺にあるケーキ屋さんの記事だったので、話題は徐々に吉祥寺の街そのものへ。下北っぽさ+道路の広さがあっていいよねとか、あのパン屋さんのあのパンの作り方は日本で彼だけが伝授されているって噂なんだよとか、あれこれ繰り出す。しかし、私以外のスタッフが全員奥に引っ込んでいる(しかも、異様に静か)この状況もあやしいし、なんかロウくさい匂いもしてきたし、私の頭のなかでは「♪ジョージ・・・on my mind・・・」とヴィンちゃんの吉祥寺の歌がエンドレスで流れているしでもう限界かもー!と思った瞬間、ぱっと電気が消えて、やっとパーティーが始まった。ふー。そして、彼女もとても喜んでくれたので、よかった!
(*写真:六本木ヒルズけやき坂の、「雨に消える椅子」。雨の日に初めて通ったので・・。消えているかな?むしろ、おいしそうな・・キャンディみたいな風情に。)・・・自分が観ていなくちゃならないような、逆に観ていたらダメなような気がして毎回おろおろしてしまう、スポーツ観戦。ドイツ-イタリア戦も、翌日大切な取材の仕事があるので眠らなくちゃならない、そもそも画面に集中し続ける体力もない、けれど起きていなくてはいけない気がする、というのでだらだら徹夜しながらTV放送は録画、ネットでテキスト中継を自動リロードしながら仕事、というきわめて中途半端な過ごし方をしてしまった。結果、応援していたドイツは負けてしまった。アッズーリにも好きな選手は多いので、落ち込みはしないけれど、なんだか半端な自分にもやもや。そしてそのまま森美術館の取材へ。アフリカ・リミックス。境界や土壌や障害について、あれこれと想い巡らす。赤土のあざやかさに心をうたれた。とっても好みだった作品が幾つか、そしてたまらなく怖くて総毛立ってしまったのが3つ。後者3つは、部屋のなかに足を踏み入れる仕組みのもので、特にショッキングな表現があるわけではないのだけど、なんだか異様に恐ろしくてなかなか足が進まなかった。他の観客はすたすた出入りしていたので、個人的な感覚のよう。一体、私の中の、何の琴線に触れたんだろう・・あまりに怖いと身体の関節がポクポクいうことを知った。・・そして、びっくりしたのは、作家自身がさまざまな衣装に身を包んだセルフポートレイトの作品群。会場で初めて知った作家さんなのだけれど、なんと一昨日の夜の夢に出てきた人だったのだ!(その人の作品は展覧会の販促ヴィジュアルにもなっていたけれど、それでは顔は判らない)なんだか懐かしい友人に再会したようで嬉しかった。前にも、マリメッコの展覧会に行ったとき、デザイナーのひとりが以前に夢で会ったことのある人で驚いたことがある。何の意味があるのか判らないけれど、ちょっと愉しくなる不思議。・・・他にも、不思議というか、ある動物を使った作品が、雰囲気も姿かたちも友人にそっくりなことに気づく。これまでその友人を見てその動物を想起したことはなかったのだけれど、「そっか、これだったのか」とすとんと腑に落ちる感覚が。次に会ったときちょっとどぎまぎしてしまいそう。
(*写真:野菜以外はいたって好調。風船かずら、片手でポールにつかまって片手をあげているサーカスの女性ダンサーみたい。)このところ、心と身体と意思と体力がてんでばらばらの方向を向いていてつらい。たまっている仕事を片付けるべく、とりあえず夜寝ないようにして作業しているのだが、飴のようにぐにゃっと引き延ばされた重たいなにかに取り巻かれて、なんだかのらない。普段ならなんでも、最初は気がすすまなくても、始めてしまうとノリノリになるものなのだが・・仕事も家事も。PCの起動に一番電気代がかかるように。しかも作業中の案件について、悪気はないのだろうが呆然とさせられるメールが。明け方に頭を抱える、いや、胸をおさえる。いたたたた・・・。しかし、本気の本音で返信するまえにちょっと落ち着こう、目指せ八咫烏の心(広い心)。それでも、別の仕事で、たまたま件の案件に使っている色と同じ色を指定することになっただけで心が波立つ。弱いなー。鎮まってから言葉を選んで返事を書いたら、それまでのあれこれを補ってあまりあるような返信がきて、こちらの意図が伝わったことがわかり、オセロのように気分がぱたぱたと白く明るく塗りかわってゆく。心を縛るも放つも自分次第だな。夜、帰宅が遅くなったので夫が焼きそばを作ってくれていた。ちょっと変わった風味だったので「?」と思っていたら、「なんの味か判る?」と夫がにやり。これって・・このこってり感って・・・「・・もしかして、煮こごり?!」 昨晩の夕食の、鶏ももとレバーの煮物からできた煮こごりを、ダシとして使ったらしい。味はいいんだけど、煮こごりは、なんでも食べる(&食べたい)私が唯一克服できないジャンル「ぶるぶるもの」(他に、鶏皮、豚角煮の脂、コンソメゼリーなど)に属する、苦手料理なのだ。「融けてるんだから、ええやろ」ま、まあそうなんだけど・・「なんてったってコラーゲンやで。お肌に必要やろ」そ、そりゃそうなんだけど・・。ううう。『食わず嫌い王』に出るなら「鯖の塩焼き(大好物)、納豆ごはん(大好物)、讃岐うどん(しょうゆぶっかけ・大好物)、煮こごり(ニガテ)」(地味ver.)か、「あんきも(大好物)、ニューヨークチーズケーキ(大好物)、あぶらそば(大好物、「ぶぶか」に行ったらいつも大盛り)、角煮(ニガテ)」(こってりver.)にしようと思っていたほどなんだけどな。しかし、これも食の可能性を広げるための一歩。はやく克服したいなあ。
(*写真:スポンジで苗栽培を開始。すいかの切り身のよう。)この消費生活が終わるまでになにがしかの成果をあげたいものだ・・。消費欄のレタスなど葉物野菜の名前は、「ああ、また自家製のもので賄えなかった・・」という敗北感とともに記入している。「何度でも期待するの ばかみたいなんかじゃない♪」というHikkiの歌声を頭でループさせながら、keep tryin'な日々。・・・それにしてもこのところ、胃腸の調子がおかしい。しょこたん的にいえば「オナカガニュルットシテ」いる状態が続いている。あれの食べ過ぎだろうか。冷たくてしゃりしゃりしたあれ。・・・だろうな。しかし、おいしいのだ。楽しいのだ。・・・かき氷もさることながら、この夏は、もう、自分に子供が生まれたらきなことミントと名付けようかと思うくらいこの2つにはまっている。きなこは、6/29の日記でも触れたとおり、かき氷のよき友。最近はさらなるコツを見出した。器に"先入れ"して蜜をかけて混ぜておくのは一緒なのだが、ここで氷を少々、先発隊として掻き入れて混ぜると、うまくペースト状になって良い感じに。(ココアを粉からつくるときに、まず少量の牛乳で練るのと似ている)ペーストの上から一気に氷を掻き入れる。ペーストに牛乳を加えてきなこミルクにしてもおいしい。ミントは、まとめて収穫したときに煮出しておくと便利!冷ましてからシロップにして氷にかけたり、レモンとしょうがと蜂蜜を入れて飲んだりしている。時間がないときは、ボトルにレモンジュースとガムシロップとミントの葉を入れて冷蔵庫に入れ、一晩水出ししたものを翌日持って出たりも。朝、ダッシュで乗り込んだ電車のなかで、ひといきついてひとくち飲むと、一気に汗がひいてゆく。なんておりこうなハーブなんだろう。
(*写真:ちょっとした和菓子のような風情・・ パセリの水耕栽培です)ヨーグルトの瓶に、卵パックでつくった受け皿(空気穴と、根の通る穴をあける)と水切りシート(根の通る穴をあける)を重ね、双葉の下にコットンを巻きつけた植物をそっと通し、まわりをハイドロ用砂で埋める。・・・今日はとにかく、灼熱の通奏低音の上に、降ったり止んだり蒸したり干上がったりと、賑やかなリズムを刻みまくる天気に翻弄される。でも私には、晴雨兼用傘という心強い味方が!外出の往路は雨傘として使い、復路は日傘として乾かしながら帰ることができた。途中で夫にピノのミント味を買ってもらう。期間限定、しかもミント。嬉しい。うきうきしながら専用の串でチョコレートコーティングを突き刺して、断面の薄荷色を見るためにひとくち囓ったら・・・・ 串に残った部分がつるっと地面に転がり落ちた。ううっ・・。アイスが地面に落ちるのって、なんでこうも悲しいんだろう。(子供のころ、Baskin Robbinsのアイスクリームを買ってもらって、お店の外のベンチでいただきますした瞬間にコーンから玉が転がり落ちて大泣きしたことがあったなあ・・今でも渋谷のあの路地を通ると胸が痛む。)呆然としていると、「こういうのはひとくちで食べなあかんねん、なんのためのこのサイズ・形状&串やねん」と怒られた。そうはいっても、私は仕事柄、食べ物の切断面や内層やパーツのひとつひとつを確認せずにはいられないたちなのだ。明治のツインクルチョコ(卵型のチョコレートの中にラムネやビスケットが隠された可愛いお菓子、ちょっと囓って中身を確認してから食べるのが王道)をぽいっとひと呑みにしてしまうあなたには判るまい・・・。帰宅後、「アイスを地面」に匹敵する衝撃について思いを巡らせる。「たこ焼きを砂地(砂浜)」も近いな。花火大会などで、暗さと興奮があいまって起こりがちな失敗。ころころと転がっていくと、あのやわらかい生地の周りに面白いほどまんべんなく砂がまとわりつくのだ。あの砂ボール、他の誰かがつくったものを目撃するだけでも心が苦しくなる・・。
(*写真:三十日大根のご報告。)『だいこんの だの字もなかった 土の中』 ・・・葉っぱの大きさは(虫に喰われまくっていたけど)充分のはずなのに、スリムきわまりない茎、しかも赤い。君たちはなにか別の野菜なのでは・・?怒らないから正直に話してごらん、と語りかけたくなってしまう。しかし、葉っぱのかたちと刻んだときの香りは確かに大根そのもの。何がいけなかったんだろう・・ 温度?土の質?このところ急に暑くなってから、ベランダにあやしい虫が跳梁跋扈するようになっていたから、根をかじられたのかも・・ああ、やっぱり野菜はむずかしいな。そうやすやすと食用になってたまるかってところかしら。おなじ野菜系列だけれど非食用の「おもちゃかぼちゃ」は、とくに手をかけていないのにすくすく育ってツルを伸ばしているもの。・・・そして併せてもうひとつショックだったこと。私は日本や世界の伝統色とその名前に目がないのだが、そのうちのひとつに「空五倍子色(うつふしいろ)」があった。ヌルデの木につく虫からとれるタンニンで染め出した灰みの赤がかった黄褐色(紫っぽくも見える)で、色みも字面も味わい深くてお気に入りだったのだ。・・・大根ショックから気を取り直し、お昼の炒飯に使うぶんを収穫しようと葱の鉢を引き寄せたら・・・・・!!! 根元に胡麻和えの如くびっしり、暗紫色のアブラムシがたかっていた・・・!! いつもの、緑の幼虫→緑の幼体→羽が生えて黒くなり成熟、の人たちとはどうも様子が違う、お初にお目にかかる種類だ。葱には虫がつかないって話だったのにな・・神話、やぶれたり。食用にする葉の部分にはあまり虫影がみられないが、多少たかられた部分は奇妙なレース状の瘤になっている。・・ん? これは虫瘤の一種?と思った瞬間、はっとした。たしか「空五倍子色」の素になるのも、虫瘤をつくる暗紫色のアブラムシだったはず・・!もしやと思って指でつぶしてみたら、皮肉なほど綺麗な葡萄色がほとばしった。おー、こりゃ染め物に最適だわ。「空五倍子色」をとるものと同じかどうかは判らないが、近縁者ではありそう。憧れの色と、こんなかたちで逢うことになるとは・・・。『空五倍子の 俯臥したくなる ぶどういろ』ふー・・・。
1976年2月25日
血液型 :B
身長 :154.5cm 体重:-kg
居住地 :東京都豊島区(東京都出身) 夫と2人暮らし
給与収入:月約10〜40万円(変動が激しい)
アルバイト収入:
仕送り:
親からの小遣い:
家賃:17.5万円(約1/3を負担)
自由になる金額:約3〜5万円
ファッション代:約2〜3万円
ふたつの目標(大根・原稿)は・・・
来月に繰り越し、この2ヶ月で得た経験やPCを駆使して達成したいと思っております・・。
全部、続けます。