(*写真:表参道の事務所に向かう途中、通り沿いにばーんと停められた鮮やかな黄色の巨体に目を奪われる。)はとバスだ!!一度乗ってみたい憧れの乗り物のひとつ。車内はカラで、時間は正午をまわったくらいだったので、おそらくお昼休憩なのだろう。このへんでお昼って・・表参道ヒルズだろうか?? しかし、よく見ると、こってりした黄色の地に朱赤のロゴが映えて、外国の車輌を思わせるなかなかおしゃれなデザイン。かのレイモンド・ローウィデザインのシェル石油のロゴと同じ配色だし。・・・ 朝の番組で、「レイヤーケーキ」という名前の映画の宣伝をしていたので、アメリカンなタイトルだなあ、バナナレイヤーケーキかな、それともボストンクリームパイ?・・と朝ごはんを食べる手を止めて画面に集中したのだが、出てくるのは暴力シーンばかり・・ "社会の階層"って意味のlayerだったのかしら・・ 不完全燃焼で朝食に意識を戻し、眼の端を「ロイヤルなんとかスイート」というテロップが横切った!スイート!!やっときた!!と瞬間盛り上がるも、よーく確かめたらどこぞのホテルのスイートルームの案内だった・・・「もっと落ち着きなさい」とたしなめられる。 ・・・職場でのお昼の時間に、夏に南の島に長期間ヴァカンスに行く人が「旅に持って行くお薦め本ってある?」とのことで、皆で知恵を出し合う。他人に本をお薦めするのって難しい。その人のそれまでの読書傾向や読書バイオリズムみたいなものもあるし・・ 現在私は「きれぎれ」(町田康)と「最後の物たちの国で」(P.オースター)を並行して再読中なのだが(町田氏はとかく太宰と比較されがちだが、個人的にはオースターと共通するものが多いように思う。小説の見てくれは全然違うけれど)・・・、これは南の島には、いかにも似合わない。しかもこの2冊、食い合わせが悪いのか、このところ建物の上から人や紙吹雪が降ってきたりビルの中におかしな隠し部屋やドアが次々に現れたりする夢ばかり見る。さらにその夢の残り香をまとったまま暑い街に出ると覿面に感覚が混乱し、へんな焦りと諦念と楽しさにいっぺんに支配されたりするのだ・・・こんなの全然、ヴァカンスじゃない。結局、「海辺のカフカ」(村上さんを読んだことがない人だったので)はどうでしょうという話に。 それにしても、町田氏の作品を読んでいると、ちょっとびっくりした瞬間などに「わぎゃあ」と叫んでしまいそうになる。「のだめ」読んだ後も、ふいに口をつく「ぎゃぼー」を封じるのが大変だったな・・・。
(写真:本日のかき氷は「オ・グルニエ・ドール」の"赤ワイン・桑の実・ブルーベリーのジャム"で。)一日一氷を続けて早20日。学んだこと→1)葉ものを氷に仕込むと、機械の刃が汚れて往生する。 2)よくばって氷作成容器のふちギリギリまで水を入れると、蓋が開かなくなって往生する。 3)白い氷+上から何かをかけるという組み合わせがなんとなく丼物に見えるからといって、ごはんに合わせるようなしょっぱい系のものをかけてみると・・ あまりの不味さに悶絶する(マヨネーズはややマシ)。・・・そんな中で最近のヒットは"きなこ"。器の底にきなことガムシロップ(黒蜜だとなお良し)を入れて軽く混ぜ、上から氷をかける。きなこのばふばふ感が氷のとんがった刺激を緩和してくれて、ほっとする風味☆ さて今日は、"なぜかどうしても憶えられない言葉"をふたつ克服した!ひとつは"うどんこ病"。弱ったローズマリーが罹ったものが横にいたミントにも伝染し、毎日弱った葉を取ったり木酢液をかけたり活性剤を投与したり・・ 必死に戦い続けている相手なのに、ふとした瞬間に思い出そうとすると"白カビ""ほこり""綿くず"など、似ているけれどちょっと違う単語ばかりが浮かんできて正解に行き着かず苦しかった。最近は、「なんだっけあの病気・・」というシーンになったら即座に、昔讃岐のうどん学校で授与された麺棒とお免状を思い出すように訓練している。 ・・もうひとつは、"ゼラニウム"。我が家にピンクの花を咲かせるゼラニウムの鉢がひとつあるのだが、思い出そうとするといつも"ポインセチア""ベゴニア""アジアンタム"などが立ちはだかってくるので、ネットで別名の"蚊蓮草"(蚊よけになる、という謂れだけは記憶しているので)を検索してやっとこさ正解に辿り着いていた。最近では、ゼラチンでアルミニウムの粉をかためた胡麻豆腐のようなものを想像するようにしている(結構コクがあっておいしいという想定)。まったく、"beat around the bush"とはこのことか、という状態。ひょっとしたら私の前世はうどんこ病にやられて死んだ植物で、ゼラニウムにいじめられたりしていたのだろうか。「弱っちいなあ、おまえ。俺なんか一週間くらい水なし光なしでも全く問題ないぜ。だいたいおまえは贅沢なんだ、鉢物の面汚しめ。生まれ変わっても植物界には絶対に来てくれるなよ」とか言われていたりして・・。
(*写真:前日のがじゅまるについていたネームプレート。裏には育て方が書いてある。しかし、よーく見ると、「ガジュマル」というシールをなにかの上に貼り付けているようす・・!!) シールの下には、「ピンクファイアー」という文字が・・ 何じゃその戦隊ものっぽい名前は。名前から喚起される生態イメージは、がじゅまるとはずいぶん離れているのだけど、果たして同じ育て方で大丈夫なのだろうか?一応、「置き場所:夏はカーテン越しに日のあたる室内 越冬温度5℃」等、間違いはなさそうなのだけど。調べてみたら、「ピンクファイアー」は薔薇の一種やヒユの一種にある名前のよう。「マザーリーフ」(本名セイロンベンケイソウ)のように、売り出すための俗名を含めたらもっといろいろ候補がありそうだ。 ・・・あれ、誰だったか、「ファイアー!」って叫ぶ芸人さんがいなかったっけ・・・ああ、芸人さんじゃない、福澤アナか・・・ そういえば昔、出場したなあ、高校生クイズ。仮装して西武球場。暑(熱)かったな・・・ と検索しているうちに、なんと過去にちょっと好きだった人(今はいい友人)の元彼女のブログを発見。(彼はもう学生のころに彼女と別れて現在は違う人と結婚しており、彼女との交流は断絶している。)彼女と私は学校も違ったし、そこはかとなく知り合い(軽い緊張関係にある・・)という程度の間柄だったのだけど、ブログを読んでみたら、現在の彼女の抱いている葛藤や希望、価値観など、共鳴する部分がたくさんあって、出会い方が違ったらいい友人になれたかもしれない・・と思ったりもした。なにかが融けた感じ。・・勝手な共感の贖いとして、頑張っている彼女に心からのエールをおくりつつ、私も気を引き締めてゆこうと背すじを伸ばす。・・夜、途中まで作ってクライアントに投げてみたアニメーションに、「とてもいいです、このまますすめて」というお返事をいただき、ほっとする。Flash関連で評価される(&直しがない←重要!)のはほんとうに嬉しい!
(*写真:先週買ったがじゅまるの樹を植え替えた。どこまで埋めていいものか悩む・・) ネットで調べたら、「足に見える部分を切ってジオング状態にする方法も」なんて記述を発見☆ なんと判りやすい。これは飾りではないけど、ほんとに足のよう。夜は鉢から出て徘徊しそうだ・・ "妖精の棲む樹"と呼ばれ、沖縄の座敷童的精霊きじむなーが根のあいだに棲みつくらしいのだけれど、むしろこの樹がきじむなーそのもののような気がする。今日は新しい発見、というか、長年の勘違いの修正、がふたつあった。まず、「インターハイ」という言葉。高校生のとき英語部に所属していて、debateの日本大会・通称「インハイ」で優勝したこともあるのだが、その頃からずっと、W杯と同じように「インター杯」だと思っていた・・ 表彰式でもぴかぴか光るカップ(杯)をもらえたし。正解は、「Inter-Highschool」なのですね。大学生は「インハイ」には出られないのね・・今にも優勝カップを剥奪されそうな勘違いだわ・・・。 もうひとつは、「サラダ味」。昔から、"サラダせんべい"や"プリッツサラダ味"、ちっともレタスやトマトの味がしないなあと思いつつ、(このしゃきっとした歯応えが野菜のイメージで・・ 全体の味はドレッシングっぽい・・?のか??)と自分を騙し騙し食べてきた。そうしたらなんと、今日ひょんなことから眼の前に、「サラダ油を使っているから」という正解が!調べてみたら、大手ポータルサイトや各社Q&Aなどでもしっかり謳われている。(塩の"ソルト"が変化した、という説も)これまでの人生、あえて調べてみようと思わなかったのは、自説に半分くらいは騙されちゃってたからかもしれない。 ・・それにしても、本当にサラダそのものの味のプリッツが出来てしまったら、それは何味と表現するのだろう? シーザーサラダ味やポテトサラダ味、りんごチーズサラダ味などが出来たらいいなあ・・。
(*写真:なんだか楽しそうな三つ葉の芽三態)しかし、水耕栽培、なかなか苦戦しています・・発芽率&成長の初速はすばらしいんだけれど、10日くらいするとパッタリ倒れてしまうことが多い・・土の入っているほうのペットボトルに空気穴をあけてみようかな。それにしても、「見つめる鍋は煮えない」とはよくいったものだ! 植物の生長やトーストを焼くときなんかにも応用可能な法則。それでいて、意識を逸らしたとたんに吹きこぼれたりとうだちして倒れたり真っ黒焦げになったりするから困る・・ そんななか、見つめないようにしつつのんびり愉しんでいるのが睫毛育成。もともと密度も長さもそれなりにあるので特に必要性は感じていなかったのだけど、3月の式の前にせっかくだからやってみるか、と"3週間促成栽培"のような美容液を購入。これが凄かった!目を逸らす暇もないほどぐんぐん伸びて、自分の身体が未知の段階に入っていくのを体感。持って生まれた、もう変化しないものだと思っていたけど、まだまだ変わる余地はあるんだな。しかもこんなに簡単な因子で。他にもきっとあるはず、きっかけさえあれば変わることのできる部位。・・結局2週間くらいでめざましい成長はストップし安定期に入ってしまったのだけど、新鮮な体験の余韻は習慣として残り、今はアヴァンセの美容液を寝るまえにつけて、「変わらないな〜」「なんだか減った気もする(でも、周期もあるだろうから一概には判断できないな)」「わ、急に濃くなった!」と、"予測できないがおおよそプラスの方向"にむかう過程を愉しんでいる。植物や、その他のままならぬあれこれについても、同じようにゆったり構えよう!
旅から帰ってみたら、ベランダの三十日大根がだいぶ大きくなってきていた・・けれど・・・けれども・・・、アブラムシの大群がーー!!にょろにょろした緑色の幼虫、緑色のぷっくりしたいわゆるアブラムシ、それに羽根が生えたもの、さらに身体が黒くなったもの、と4世代がくんずほぐれつ葉の上で手狭そうにしているーー! うう〜・・ 。水で流し、重曹水を吹きかける。東京上空を飛行中のナナホシテントウさん、おられましたらちょっとうちのベランダに立ち寄っていってくださいませんか? ・・夜はデザイン学校時代の仲間のイベントへ。久しぶりに会う顔ばかり。わやわやと盛り上がるなか、サシで話をした何人かの友達、皆と本音でつきあってはいるのだけれど、それぞれに見せる自分の面が少しずつ違うことに気づく。気づく、というか久しぶりに思い出す、誠実さのありかたについて。イベント後、女同士の語りに突入。乙女トークに必須なのはやっぱりパフェでしょ、ということで夜中に甘いタワーを崩すことに。(*写真:ホップ・ステップ・ジャンプのジャンボパフェ。ホップの器は約250cc、ジャンプにいたっては約500ccのガラスの計量カップ!) パフェなんて久しぶり。大学生のときには、巨大な花瓶(高さ50cm、口径30cm程の)に入ったパフェを求めて日帰りで大阪に行ったりするくらいはまっていたのに・・まあ、今でも"どん超"("どんとこい超絶パフェ"?!)なのだけれど、さすがに時間を考えて、可愛らしいサイズのものにしました・・。
(*写真:弘法大師が天邪鬼(海の神様という説も)と日が昇るまでの橋架け競争をし、相手の鶏の鳴き真似を信じて慌てて撤収したため未完であるという伝説の残る橋杭岩) 山から巨石を引き抜いては海に突き刺す、という離れ業をやってのける大師なのに、偽の鳴き声に他愛もなく騙されてしまうとは・・ともあれ、奇岩をはじめオーパーツを愛する私には興奮せずにはいられない場所。しかも潮が引いていたので岩まで徒歩で行くことが☆ 夢と現を徒歩でわたるような気分。足元のくぼみにはたくさんのタイドプールができていて、小魚や蟹や海老が群れ騒いでいた。・・その後、一路伊勢へ。20年ごとに場所を移し、全ての建物・橋・鳥居を建て替えるという伊勢神宮。内宮では現在の敷地のすぐ横に前回の跡地が残されていた。この跡地を充たす静かで輝かしい空気に不思議なほど強く惹きつけられ、立ち去り難かった・・。 それにしても、遷宮の意義である"技術の継承"はすばらしいな。 他の分野でも必要な意識のはず。教える側も教えられる側も熱いうちに打たなくっちゃ! 参拝後、 内宮入り口横の"おはらい横町&おかげ横町"で"伊勢うどん"に挑戦。もともと歯ごたえのあるものが好きなので(うどんなら讃岐か武蔵野。鍋物やすきやきでもうどんは"しゃぶしゃぶ"にしたい派)、角がすっかり取れた麺にぎょっとする。生醤油のからみは抜群のようだけど・・・ おそるおそる口に入れると、果たして、柔らかいのなんの、風邪をひいたときに食べたら良さそうな風合い。とはいっても茹ですぎのイヤな柔らかさではなく、噛んでいると徐々に"餅っぽさ"が生まれ、どっしりと存在感を示したあと喉の奥に消えてゆく、とにかく生まれて初めての味わい!熊野〜伊勢の旅の間、各種詣で餅、岩戸餅、へんば餅、赤福、餅めいたうどん・・と、実にたくさんのお餅に出逢った。関西には"粉もん文化"があるけれど、こちらの地方には"餅文化"とでも呼ぶべきものが根づいているのかも。
(*写真:滝尻王子の奥にひっそりと口をあける、熊野古道の出発点)明け方、音量を落として布団のなかで観た W杯・・ いやいや、これが旅のとちゅうで良かった、しかも今日はひたすら歩くし、各種もやもやも残らず振り落とせるはず。・・まずは高野山奥の院へ。深い林に囲まれた墓所。入り口付近にはロケットやコーヒーカップなど、有名企業の特色を打ち出したファンキーな社墓が連なる。奥に行くにしたがって有名大名・武将たちのものが増え、空気がしっとりと、"重く澄んで"くる。"重く澄んで"なんて矛盾しているようだけれど、そうとしか表現できない、強烈な清冽さのようなものが場から発生していて、遠くのものが近く、近くのものが遠く、クリアなのに霞み、シャープなのに歪んで見えるのだ。あのみどりの感触、重さ、一生忘れられそうにない。その後、中辺路の滝尻王子へ。「熊野古道には九十九の王子があって、滝尻王子はその一番目・・」という初歩知識だけで臨んだ私、なにかしらのprince的なものを思い描いていたのだけれど(「おやゆびひめ」に出てくる、白鳥になった11人の王子様のような)、果たしてそこにあったのは・・小さなお社と、旅人を拒むかのような急勾配の山道のみ。どうやら、熊野権現の分身、という意味での"王子"だったらしい・・ しかし、正解が判ったあともなお、その言葉から独特の浮遊感・・神と人とのあいだを往き来するような感覚が喚起される。そして白鳥ではなく八咫烏が迎えてくれた。昔からそのたたずまいに惹かれていたので嬉しい。でも、あちこちに未だW杯用のお守りが売られていて、傷に塩・・。
(*写真:飛鳥・石舞台を内側から観るの図。後光を背負った巨石・・) 旅の一日めは飛鳥路から。中学校の修学旅行で来て以来、再訪を願ってきた大好きな土地。しかし、いろいろと記憶がゆがんでいて、石舞台の伝説って知ってる?という話になったときに、「蘇我馬子が中大兄皇子に殺されたところでしょ? そのとき雷かなにかが墜ちて舞台が割れたんだよね?」と得々と語り、唖然とした同行者から「それって・・ナルニアとかなんかいろいろ混ざってるよね・・?」とつっこまれる。(実際には馬子の墓説が有力)そして、「大化の改新645年」の語呂合わせについて、さまざまな説が噴出。私は「蘇我氏は可哀そうと虫(64)の声(5)」と憶えたのだけど、「蒸しご(645)はんで祝う大化の改新」という対極の立場のものもあるらしい! 蒸しごはんて・・ 馬子さん、どちらの説がお好みですか?と石舞台に向かって胸のなかで尋ねてみる。 ・・ともあれ、とにかく景色が美しかった!しっとりとした緑の草原&段々水田がどこまでも広がり、ところどころに民家の屋根が見え隠れしている。鶯がゆるやかな抑揚をつけてさえずりながら空を横切る。なんだかとても懐かしい原風景のなかに還ってきた心地。つくづく思うのは、小さい頃、親に連れられたり修学旅行に参加したりして訪れた場所は、それも土地との出会いのひとつではあるけれど、ほんとうに「行ったことがある」とは言えないなということ。自分の意思とお金と時間で来たときに、初めてきちんと出会えるのかもしれない。土地の記憶にも残してもらえるような気がする。夜は、高野山にあるお寺の宿坊で精進料理をいただき、朝の4時には絶対に起きようとはやめに就寝。障子だけ(当然カギはかからない)で仕切られたひとつ屋根の下、廊下ですべての部屋がつながっているという宿泊スタイルにちょっとどきどきしつつもあっという間に眠りの中へ。
(*写真:ミントの生葉を入れたかき氷用の氷。光の屈折でだぶって見えるやわらかなみどりと、きらめく亀裂とあぶく。イイノナホさんのガラス作品みたい・・というのは言い過ぎかな) 年末進行ならぬ旅進行で、昨日も今日も徹夜で仕事。ひとのため(ひいては自分のためになるのだけど)にものをつくり続けていると、自分だけのためのものをつくりたい衝動がむくむくと芽生えてくる。うう、やりたいこと・かたちにしたいことばかり。 ・・・土曜日に「信じよう」と決めた相手が、またやらかしてくれた。その世界では結構有名で尊敬も集めている人なのに、このお粗末さは一体・・ 力が抜けてゆく。でも今回は、痛みに向き合うというより、いかにして自分の誇りを守るかを考えた。 言わなければならないことは伝えるけれど、ちょっと鈍感なフリをしておいたほうがいいときもある。理不尽だけど、もともとネガティブな言葉を紡いだり相手にぶつけたりするエネルギーに欠けているので、正当な分量の怒りを相手に伝えるだけでもぐったり疲れてしまい、二重につらくなるのだ。まあ、どういう態度で臨んでも、自分のなかのなにかを犠牲にしていることには変わりないけど・・まったく、壊死した心のかけらが胸に堆積して息苦しいや、と鬱々としていたら、また奇跡のようなタイミングで、とてもひさしぶりな友人からメールが。そんなに頻繁に連絡をとりあっているわけではなく、今回のメールの内容も簡単な近況報告だけだったのだが、萎れた心に空気を入れて弾ませるにはじゅうぶん。私を救ったことなど微塵も知らないでいるだろうけど、ありがとう。今夜のヒーローはあなただ。 しかし、私の本を買ったのでサインするようにとあるけど・・検定本にサイン・・・?!
(*写真:表参道ヒルズの外壁。安藤さんのもくろみ通り、蔦が這い始めています)異様な湿度と熱さ、これぞ梅雨というお天気。紫陽花がはつらつと色づいてきている。・・・「冷夏」や「小春日和」など、自分や世のなかの季節の概念とその日の気候を比較してあれこれ言うのって、世間話の枕みたいなものだけれど、どうなのかなと思うときもある。毎日新しく生まれ変わっている気分でいれば、ストレスはないはず。とはいえ、その比較によって面白みや詩情、おいしい味わいが生まれる場合は、積極的にそのギャップを楽しめばよいと思う。今日は、気候を素直に受け容れ&十二分に利用すべく「こんな梅雨の日には冷たい甘いもの食べなきゃやってられない」と口にだし、勤務先で自家製の桃のソルベをごちそうになったりしていた。帰宅後はもちろんのかき氷。きのうはあれだけ"めろん"愛を語ったが、最近は甘みをつけた牛乳をかけるのも気に入っている。カルダモンをちょっと振ると、途端にエキゾチックな風味に。"スス"(インドネシア語で"牛乳")と呼びたくなる味わい。消費のおやつ系は、数日後にせまった旅にそなえてのもの。片足の草鞋に主婦という名がついているので、ふだんは"家のあるものの組み合わせ"を考えることが多く、"わざわざそのために新しく買う"というのが新鮮で嬉しい☆ サクマドロップス缶、ミントとチョコ(嫌う人が多いようだけれど、私はこのふたつがフルーツより好き)がたくさん入っていることを祈る。
(*写真:本日のかき氷) 暑い。身体のなかの熱が出ていかない。かき氷機は毎日フル稼働中、今月のbestbuying itemといえよう。シロップの種類で一番好きなのは"めろん"。人工ばりばりの色と風味だってことは判っているのだけど、この、"かき氷のめろんにしかない味"がたまらなく好き。果物のメロンとはほど遠い、"みどりの味"が。時には"いちご""れもん"に浮気することもあるのだけど、やっぱり"めろん"に戻ってくる。お祭りなどで食べるときには、赤や青や黄や・・たくさんの色のなかから迷うことなく緑を選び取るのがなぜかちょっぴり誇らしい。ふだんは仕事柄、その場で一番めずらしいもの・食べたことないものを選ぶくせがついているから、日本中どこで食べても味が一定で、自分の好みも安定しているものがあるのが嬉しいのかもしれない。 (しかし、web上でできる「かき氷占い」を試したら、「抹茶」と出た・・確かにみどりだが・・) シロップのかけかたにも、長年あれこれ試して行き着いたこだわりがあったりする。シロップによって氷の粒が粗く硬くなってしまうのが好きではないので、「氷を1/2→シロップやや多め」の順に重ねて、残りの氷をちょこちょこ上に加えて、かき立ての氷のふわふわ感を最大限に愉しむ方法を編み出して活用してきたのだ。(調べてみたら、「シロップon氷」「氷onシロップ」「シロップon氷onシロップ」「氷onシロップon氷onシロップ」等、地域によってさまざまなバリエーションがあるようだ。) そして、今年の私はこれ。写真の通り、「カレーライス方式」でいきます!
(*写真:日本ークロアチア戦を観るにあたり、なにか青いものを身につけよう!と俄かに思い立って出してきたペンダント。昔TDSで買った、「アラジン」のジャスミンの靴。ちょうど足関係だし!)今日は出先でひさびさにミスタードーナツへ。ミスドは私にとって、子供時代&古き良き渋谷の象徴。(家にあるOSAMUグッズは今でも現役! ) '80年代、飲茶など食事系はまだ置いていなくて、濃い珈琲の香りがお店を充たしていたころ。渋谷では西武系と東急系がいいかんじに戦って、エッジのきいた、それでいてお客を選ばないおもしろいお店が次々にできていた。西武百貨店の地下の食料品屋、エキゾチックなIn the Room、大人も楽しめるキッズファームパオ、ParcoPart3にあったアリスショップ、オフタイム生活館OneOhNine・・あの、有無を云わさぬイキオイ、強引なまでにわくわくさせられた濃密な空気。 いつも食べていた、ミスドのチョコファッションやゴールデンチョコレート、サンジェルマンのエクセルブラン、トップス&サクソンのカレーとチョコレートケーキ・・ 大人になるにしたがって個人の専門店に惹かれ、大手チェーン店からは足が遠のいていったのだけれど、ふと過去への扉を開けてみたくなったときに、ロングセラーをいつまでも守ってくれているチェーンの存在はやっぱり嬉しい。さらに新発売のアイスカフェオレは、昔ながらのドーナツにばっちり合う味で、新旧の融合に満足する。 ・・さて、サッカー。もう、この5日間気が気ではなくて、「第2戦は1年後とかだといいのに・・」と思ったりしていた。そして・・祈り続けた90分。川口は神だ!カジくんもいい!(カタカナで書くと妙に渋谷系〜 気儘に生きる僕らを責めないで♪) 稲本も・・たくましくなったなあ☆ しかし・・そこのあなた!なぜにパスもらってびっくりしたり、足の甲の外側で蹴ったりするんだー!! 精魂尽き果てて、バタンQと就寝。
(*写真:例の「三十日大根」、順調に成長中。大きいもので葉の全長が10cmほどに! 土の中の状態にも期待が高まります。しかし、どこからやってくるのやら、さっそくアブラムシたちが・・ 木酢液を噴霧し、鉢を(虫が嫌がるという)ニラや葱のプランターの近くに移動。効くといいのだけど・・。) 朝、永ちゃん(永六輔)のラジオのゲストに吉永小百合さんが来ていて、永ちゃんが「長年、言いたかったことがあって。誤解されていると思うから・・」と、昔、彼女を傷つけてしまったかもしれない幾つかの発言(表面上はキツいけど、その実、愛情&ファン心理から出たもの)について、意を決して語っていた。吉永さんは「あら、全然気にしてませんでしたよ」と笑っていたけれど、永ちゃんのほうはずっと気にしていて、仕事場ですれ違っても「嫌われているだろうな・・」と顔を見ることができなかったとか。誰もがみな、大なり小なりこうしたわだかまりを抱えているのかもしれない。すべてを話したあと、心底ほっとしたらしく、トークがすすんでも時折「ああ、よかった。今日はほんとに、話せてよかった」と繰り返し呟いていてかわいらしかった。そして、「時々、想像のなかで、"吉永小百合"の"吉"を消して"永小百合"にしてみてたんですよ☆」という濃厚ファン発言はさらにかわいかった! ・・夜、大好きかつ尊敬している人生の先輩からメールがきて、心があたたかく充たされる。そういえば彼とも、最初はなかなかコミュニケーションがうまくいかなかった。感覚や価値観に似ているところがあって、言葉や行動以前の段階ではすごく通じ合っているようなのに、いざ向かい合って話そうとするとぎくしゃくして、お互いにお互いの言葉で不快になって。時間をかけ、心を砕いて、少しずつひらけてきたのだった。あきらめてはいけないな。しつこく信じよう。昨日の人たちも・・。
(*写真:昨日蒔いた種がもう発芽! 鯖の押し寿司の上の昆布のようなのは、コットンの"外皮"。お化粧用のコットンのサイドの綴じを切って、中身だけを土壌にし、外皮はこうして発芽までの保湿カバーに使っているのです) 今日は、「ちょっと赦すと際限なくずうずうしくなり簡単に(無意識に?)裏切ったり騙そうとしたりする」人間の性を見る思いを2度までも経験した。それも仕事上で。実害が大きかったわけではないのだけれど、その倫理観には呆然とさせられ、「だめだこりゃ」を心のなかで呟くことしきり。人としてはもう何も期待できないな。ああ面倒くさい。離れたい。夕方ごろには胸にたまった呟きがへんなふうに発酵して、哀しくむかむかしてくる。こんなときには最近はまっているミントミルク(手鍋に牛乳を注ぎ、生のミントの葉をちぎって入れて、弱火でゆっくり煮出す。あのイヤなたんぱく質の膜に葉っぱが絡まるので、取り除きやすくてよい☆)。 甘くてあたたかくてすーっとして、精神的な胸やけの解消に効果絶大。落ち着く。私は、共感・共鳴するとすぐに心を渡してしまうから、痛い目に遭うことが多い。若い頃は、鉄のように硬い心をつくろうとしたり、いつも平静でいられるような周りとの距離感というものを固めようとしたりもしていたけれど、結局全然変わってない。それどころか、歳とともに感覚増幅機能がバージョンアップしてきている。まあ、いいのだ。そのぶん、すてきな交流があったり、奇跡めいたものを目撃できたりもするはずだから・・。夜、夫とふたりでやっている「キングダムハーツ供廚佳境に。とくに好きなリクとアクセルに大きなドラマがあり、涙ぐみながら先へすすむ。心と感情、意思と欲望についていろいろ思い巡らせながら。選ばれなかった心や、捨て去った感情。その記憶。消えない痕跡。
(*写真:リベンジを誓い、卵パックの苗床をつくる。ちゃんと根を育ててから定植or根だけを水に放す式で栽培してみるつもり。コットン、スポンジ、保水ポリマー、ハイドロカルチャー用砂それぞれで検証します☆) 今日までで学んだあれこれ→ 1)ペットボトル法では、種は砂の表面に置くとされてることが多いけれど、ただでさえとうだちしやすくて茎が不安定になるので、少し埋めぎみにしたほうがいい。もしくは発芽後、根元に砂を盛りなおすか。 2)ハイドロカルチャー用砂は、川砂に比べて保水性も弱く軽いので、根がうまく下に潜ってくれないことも。種を深めに埋めるか、別の場所で発芽させたものを深めに定植するのがよさそう。3)ハイドロ砂より川砂で発芽させたもののほうが茎が太くなる。4)ハイドロ砂は下からの給(吸)水だけでは足りないので、上からも与える必要あり。5)肥料の種類と濃度にはお気をつけあれ。 ・・・さて今日は、仕事がつまっていたので、事務所に最後まで残って作業。ただ、デスクはあるものの不定期・超フレックス出社の私は、会社のカギを持っていない。ラストになるときは同僚に借りることにしている。だいぶ遅くなって、さあ帰ろうとその借りもののカギで施錠しようとしたら・・ どうあがいても閉まらない。ちょっと建てつけが悪くコツが要ることもあるときいてはいたのだけれど、これまでそのコツを知らずとも何とか閉めることができていたので、焦る。慌てて会社の人みんなに連絡するも、誰にもつながらない。すわここでキャンプか・・と半泣きになった頃、やっと社長に連絡がつく。「空手の要領で、この角度で扉に衝撃を加えてみて」と指示され、数発ローキックをあびせるも、事態は打開されず。(さらに建てつけが悪くなったんじゃ・・) 結局、社長が戻ってきて施錠してくれた。そしてなんと、貸してくれた人が自宅のカギと間違えていたことが判明! 皆が大変な思いをした夜だったのでした・・。 よろよろ帰宅後、前日につくって寝かせておいたトマトソース(舞城王太郎氏の小説で、たいそうおいしそうな茄子トマトのパスタのくだりに、「トマトソースは一度冷ますのがこつ」とあったので)で夕食に。たしかに味がなじんでかなりおいしくなっていた! 前日につくるとおいしくなるものリスト「カレー、肉じゃが、大根の煮物」(この原則を守るため、夜中に煮込み出すこともある)に、あらたなメニューが加わった。
(*写真:アトマイザーに水と園芸用尿素を入れたもの。きらめく小粒の泡と美しいシュリーレンに魅せられて思わず撮ったのだけど・・忌まわしい惨劇はここから始まった。) 5月中旬から始まった我が家の室内菜園化計画。これまで、簡易給排水設備付きのもの(ペットボトルを半分に切って、上半分を逆さまにし、口から給水用のひもを垂らして川砂などをつめ、種をまき、水をためた下半分に乗せる)も、ガラスの容器に川砂などを入れただけの排水機能無しのものも、どちらに仕込んだどの種も発芽率ほぼ100%&すくすく成長中であった。ただ、なかなか双葉以降の成長がみられない。・・web上では、同じペットボトル法でレタス等をふさふさと繁らせている人もいるのに! 焦れるきもちもあり、水は充分なはずなので光と栄養の不足かなと、普通の液体肥料に加えて希釈した尿素を与えてみた。これが月曜日の昼のこと。・・・その夜、日VS豪戦が終わってがっくりしたあとに心を和ませようと覗いてみたら・・・ きゃ〜っ・・!! すべての芽が、「敗戦の件、非常に遺憾です」とばかりにぐったり下を向いている! ど、どういうこと??よかれと思ったのに・・ベランダの植物たちはこれでとっても元気になっているのに。しかし、葉っぱは灼けたようにちりちり、どう見てもプラスの方向には向かっていない。よく調べてみたら、水耕栽培に尿素は御法度だったらしい・・。真水をかけてなんとか緩和しようとつとめ、今日まで様子をみたところ、三つ葉とブロッコリーと紫蘇は生還、レタスとモロヘイヤと水菜と小松菜とバジルはほぼ全滅。土を洗って仕切り直すことにした。枯れた根っこを引き抜くと、それなりの長さまで頑張って伸びていたのが判って泣けてくる。ごめんよ、無知&欲張りな親で・・。 さて今日は、予知夢を見た。(夢にずっと会っていない知人が出てくると、必ずその日のうちに現実で何かしらリンクする出来事が起きる。思いがけずその人から贈り物が届いたり、子供が生まれたと電話があったり。) 今日の夜、仕事のあいまに居眠りしていて見た夢には、大学時代の先輩が出てきた。(男性なのだが、いでたちにも生き方にも華があるすてきな人。ただ、その鋭い眼光にはいつも自分の浅い底を見透かされているような気がして、怖くもあった。そして、その人の記憶には残っていないだろうが、一度、若さゆえにとてもよくない態度で接してしまったことがある。それはうまく説明も謝罪もできないようなもので、それ以来、卒業後も時々会って普通に会話もするのだけれど、なにかがつかえてきちんと眼がみられない。)まあそんな彼と、夢のなかでははじめてちゃんと向き合って話ができたので、目が覚めてしまってがっかり。「なにを示唆している夢なんだろう・・」と考えたけれど結局判らず。が、深夜にふと思い立ってその人のブログを読んでみたら、なんと私が暢気に惰眠をむさぼっていた時刻に、彼はあるTVドラマに出演していたことが判明。観たかったなあ。そして、もうどうしようもないしと諦めていたけれど、やっぱり、現実の世界でいつか、わだかまりなくいろいろ話をしたい。
(*写真:6/8の朝顔さん、意外にも、「とったどー!」てな若々しさで成長中。)しかし私は、朝からどよ〜ん。「とくダネ!」の大村さんを見て思わずもらい泣き、朝食のトーストが喉に詰まる。世界が青くうなだれているように見える通勤路(なんて勝手なイメージ!この、個人の感覚を一般に敷衍する独りよがり、思春期の失恋のようだわ)、サムライブルーをあしらったビールやフィルムの広告すら身に痛い。なんだろう、もしかしたら、純粋に勝利を願い信じる想いのほかに、最近のもやもやをすべてW杯にかけてついでに昇華しようとしていた部分があったのかもしれない。ああ、この邪念がいけなかったのか・・ しかし、事務所で同僚たちと語り、甘くておいしいものについて考えて食べてデザインして、ややもちなおす。某大型書店をチェックしたら、たくさん入荷していたはずの自著(検定本)が嬉しいことに売り切れになっていたのでだいぶ気分が明るくなる。(購入してくださった方みんなの合格を祈っています!) 夜、恵比寿のサロンに移動して、新規サイト立ち上げのための打ち合わせ。その素敵な空間と、クライアントさんの手づくりのチーズケーキにさらに癒される。よしよし、まだまだこれからだ、なにもかも。私も。
自宅で仕事のあいまにかき氷を掻いて、いろいろなタレ(?)を試してみる。市販の100%濃縮還元のジュースは・・驚くほどすっぱい! 冷たさと酸味で顔がゆがむほど。 蜂蜜は・・ 氷の表面で固まってしまった。そう、『大草原のちいさな家』の、雪の上でつくるキャンディーのように。 やっぱりかき氷用のシロップが一番おいしいバランス。氷と砂糖が手をつないでいる感じ。長年受け継がれて組み合わせだけのことはあるなあ。(でも、糖度は凄いんだろうな) とここで、俄かに虫歯が冬眠から目覚めたので、実験中断。 ・・試すといえば、最近、紹介されているレシピを参考に、カルピスを調味料として料理に使ってみている。ほんとうはカルピス自体はあまり得意ではない(喉の奥にひっかかるものが出現するから。カゼインと唾液が反応してできる塊らしい。できる人とできない人がいるのだとか)のだけど、「新しいおいしさを開拓する」と「苦手をなくし、好物を増やす」という食における2大趣味がいちどきに満たせるので。 これまでに卵焼きと素麺つゆ(ポン酢とカルピス原液を2.5:1で合わせる)に挑戦してみた。今日はカルボナーラ。前2品と同じく、"奇妙なクセが妙にクセになる"甘みが不思議な印象。夫の顔には「No more」と書いてあるように見えなくもないが、気にせず更なる冒険を続けて、いつか使いこなしてみたい。なんでもとりあえず試してみて、自分なりの何かを掴むまで楽しむのだ。
そして、ニッポン・・・神がかった川口、すばらしい! 皆の動きが有機的な網のように見える瞬間もあって感動!でも、そこでなんであなたが撃たないのさー! 後半39分以降、ここは座敷童の去った家?! ・・・あああ〜・・。
スポーツ観戦は、真剣に応援したい試合だと、緊張して気分が悪くなって落ち着かなくて観たくもなくなるけれど観ないと辛くて、ほんとうにくるしい。小川洋子さんがTVの前で正座して阪神戦を鑑賞する気持ち、(私はジャイアンツファンだが)よく判る。もう、90分で精を使い果たして、*写真(:先日港町を訪れた際、水揚げ後の港に捨てられていたヒトデ)のようなぐにゃぐにゃ状態に。今にもしまっちゃうおじさんにしまわれてしまいそうだ・・・行き場のない想いを抱えて、今日は徹夜で仕事をすることにします・・。
今日はミントの植え替えをした。親玉(外飼い)をひとまわり大きな鉢にうつし、成長点を切って(心の標語、実践中☆)水に放しておいたら根が出たものを家飼いにすべく水耕栽培仕様に。(*写真:ジェルに植え込んだミント。あぶくと光と根が、ガラス瓶の表面の鳥&樹の絵と相俟って、ちょっとした小宇宙に!) やむなく切り落とした葉は、洗って熱湯をそそいでミントティーに。生葉でつくるミントティー、大好物。す〜っと頭のほうに抜ける清涼感のグラデーションが、乾燥葉に比べてずっとなめらか且つ優雅なのである。うんと甘くして飲めば一気にトルコに行ける、すてきなトリップベバレッジ。 私は家でも会社でも、つねにのみものが手元にないと落ち着かない性分で、外出するときもなにかしら持って出る。しかし、その都度買っていたらあまりにも不経済なので、家でつくったお茶を空のペットボトルに詰めている。(近頃流行りの、LAKENの可愛いデザインのアルミボトルにも惹かれるんだけれど、ちょっと中が洗いにくそう(汚れが見えないし)なので購入を迷っているところ・・。あの、首もとのつるりとした一枚板感は美しいと思うのだけど・・) 朝起きて、ペットボトルに入れようと思った=自然に飲みたいなと感じたのみものによって、季節&自分の中のモードをはかったりもしている。 春先はもっぱら甜茶か緑茶を淹れていたのだけど、最近は、夫の風邪のためにつくっていた"蜂蜜レモン生姜湯"に私までついでにはまっている。冷たくして、重曹を加えてソーダにすることも。 でも重曹はうっかり入れすぎると衝撃的なえぐみが生まれるので結構リスキー。替わりにミントを使ってさわやかさを追究してみようかなと思っているところ。
(*写真:うちの葱の花ちゃん・・のありし日の姿です) 何故"ありし日"なのかというと、"今はなき"だから。 今日の夜、夜陰に紛れて葱とニラの収穫をおこなっていたところ、誤ってこの花つきの茎を切ってしまったのです。うう、ごめんね・・。種を放出しきった後だったらいいんだけど。茎はこまかく刻んで夕食の焼きそばに入れました。最近、"焼きそばのおいしい作りかた"を伝授されたので、試してみることに。「具を炒めて塩胡椒→麺を入れる→水をちょっと入れてほぐす(ソースを入れるならここで)」というのが一般的な手順だと思うのだけれど、この方法は「まず麺をほぐさずに両面焼いて取り出す→ゴマ油で具を炒めて塩胡椒(ソースを入れるならここで)→麺を戻し、中華スープを注いで全体をなじませる」というものなのだ。マルちゃんの塩やきそばで作ってみたところ(具は豚こま、えのき、ニラ、葱)、香ばしくコクがあり、それぞれの材料の奥深くまで味がしみ込んでいるようなおいしさに。ただ、添付の調味料を使ったので、中華スープの塩分もあってちょっとしょっぱくなってしまった。そのあたりも調整しつつ、またやってみよう! かき氷削り器は、このまえの冬によしもとばななさんの『海のふた』を読んで以来、「次の夏が来たら・・☆」と憧れ続けていたもの。ほんとうは、胴体は植物の紋様などが彫られた青銅で、銀のハンドルが横についていて、がらがらと雷の墜ちるような音で氷を削る、懐かしい古い機械がよいのだけれど、なかなか見つけられないでいる。レプリカじゃつまらないし・・。その上、「ほんまにそんなに使うんか?」と夫は半信半疑。そんな中で今日、とても手頃な値段でシンプルなものが見つかったので、自分のかき氷欲をいちはやく充たしつつ本気度の証明をするために購入。まりちゃんのように、きび砂糖を煮詰めたシロップや蜜柑の濃縮ジュースをかけてみたい。甘いエスプレッソや濃く煮だしたミルクティー(アールグレイ)を冷ましてかけて、生クリームを添えたり。スパイシーなチャイもいいな。うちにある桑の実や桃のジャム、キャラメルソースや蜜類、いろいろかけてみよう。氷のほうにも工夫をしたい。庭の花やハーブを入れて凍らせたり、果実やリキュールを加えたり・・ああ、清少納言の食べた、"黄金色の甘蔦をかけた削り氷"を味わってみたいな〜・・。
(*写真:今日は、花は花でも、"少女まんが界に咲くドクダミの花"を・・。 久々に読み返したくなって図書館で借りてきました) 『りぼん』での連載当時、リアルタイムで愉しんでいた名作『お父さんは心配症』。時を超えても色褪せぬ魅力と・・茸と血飛沫にあふれていました☆ ・・とはいえ、男兄弟の影響か、私の少女時代は、『りぼん』よりは『ジャンプ』、まんがもアニメも少年向けのものの記憶が占める割合が大きい。このあいだTVで、女性タレントが男性タレントに「へ〜、○○歳なんだ、戦隊でいったら何世代?」と訊かれて言葉につまっていたのだけれど、私は「私だったら、"始まりがデンジマン、物心ついたのがサンバルカン、ピンクに成りきって遊んだゴーグルV(額の宝石がきれいだった)、歌にはまったダイナマン、そしてバイオマンまで世代"だな」とつるつる出てきた。(逆に「ハウス名作劇場でいったら何世代?」と訊かれたらお手上げだ。なにせ『フランダースの犬』もちゃんと観たことがない・・) そしてふと、「なんでバイオマン以降の記憶はないんだろう?」と気になった。年齢もあるのかもしれないけれど、何か特に観るのをやめるきっかけでもあったんだっけ ・・・ そうだ、たしか、バイオマンでは、黄色い人(女性。はじめて5人中2人が女性になった)が途中で死んでしまって2代目がやってくるという衝撃的な挿話があったのだ。そのとき母親に、「これはきっとね、女優さんが急に都合がつかなくなって、仕方なくこうしたんだよ、そうでなきゃありえないもん」と非常に可愛くない自説を披露したのを思い出す。あのとき私は確かに、「TV番組の仕組みが判ってきた・物事の裏側を知って大人に近づいた」自分をみせたいばかりにあんなことを言った。でも今思い返してみると、それ以上に、「(本当は脚本通りなんだろうけれど)最後まで5人一緒じゃないなんて、そんなの理解できない、必然性がない」という混乱と消化できない哀しみがあったのだと思う・・。きわめて子供らしい反応から、子供時代を彩ったシリーズ番組に背を向けたのだ。 そんなことをしんみり考えながらちょっと調べてみたら、なんと本当に役者さんの都合で急遽降板&交代となっていたらしいことが判明。あらまあ・・。
(*写真:この"よっこいせ""うんとこしょ"と落ち穂拾い的な人たちは、朝顔さん。数種類を混植しているのですが、茎の色に早くも違いが・・ 将来がたのしみです☆) それにしても大儀そうだ。身を起こしたら、"ふーやれやれ"と腰をとんとんしそうな感じ。"あんまり深く埋められると、こたえるのよね〜"なんて言いながら・・ う、そんな若々しさがない種は嫌だなあ。
今日はすてきな人やお店や活動に、ウェブを通してたくさん出逢うことができた。まだ、余波でぼうっとしている・・。1ヶ月に1回くらい、こうした突然の大漁にみまわれ、知恵熱をもよおす。私はいわゆる"ネットサーフィン"というのが苦手で(それこそ毎日知恵熱になってしまうから)、ふだんは好きなサイトだけをのんびり巡回している。必要なときがくれば、自然に繋がるだろうと思って。ブログのトラックバック機能などで、記事や意見の繋がり・共感は簡単になったけれど、ほんとうに面白い核とかちょっとしたセンスや価値観、本人の気づいていない美点、大げさなエントリにはしないような部分は、ネットのおもてにはなかなか出てこない。その人にとっては"ごくあたりまえのすばらしさ"であった場合、それを客観的に眺めて書く機会は少ないだろうし、ましてわざわざリンクなどしないだろう。 ・・しかし、お気に入りサイトを繰り返し訪れていると、ふとしたところに出てきた単語に妙にぴんとくる瞬間があり、そんなときはちょっと能動的になる。波に乗ってみようかと、その言葉で検索をかけてみる。するとそこから次々と、爆発のように"すてき"が拡がってゆくのだ。波紋の先で意外な&腑に落ちるような関係が見つかって大興奮することもあるし、まだ気づいてなかった、自らの中にある興味の萌芽が見出されることも。蜘蛛の巣状の順当で効率的な繋がりではなく、『キングダムハーツ』のワールドマップのような、ワープの連鎖というイメージ。というわけで、もっぱら偶然と直感で、旅をしています。
そういえば友人でyahooにつとめていた人の名刺の肩書きが"surfer"になっていたのはいかしてたな。ホリー・ゴライトリー嬢の"travelling"にも通ずるようだ。では私は、"wanderer"にしよう。
(*写真:ベランダのるこうそうが発芽ラッシュ。"うんしょ!"と小さくなったセーターを脱ぎ捨てようとしているかのような格好が可愛い) 双葉の色が2種あるのはおそらく花の色に関係があるのだろう。(白かピンク・・毎年同じプランターに植え、種もまとめて回収して里子に出したりして、残ったぶんを翌年蒔くという適当ぶりなのに、開花してみるとだいたい白:ピンク=2:8になっている。発芽率や成長過程での条件もいろいろある筈なのに、これだけは変わらない。なにかしらの自然界のルールが働いているようだ。配色の神様がいるのかも・・) ともあれ、緑っぽいほうに白の花が咲くとみた。 ・・種から植物を育てるのって、難しさもあるのだけれど、こうした独特の愉しさがあってやめられない。種皮の模様を双葉が引き継いでいたり、たおやかな花の風情とは似ても似つかぬごつい芽が出たり・・。ああでも、小さい頃の自分を知られているのって植物からしたらちょっと嫌だったりするのかな。私もこのあいだの親戚の集いで、自分ではちっとも憶えのない幼い日の所業を、年長の皆が知っていて赤面至極だったし。
今日は朝のうちはいかにも暑くなりそうな晴れ方をしていたのに、お昼にいきなり俄か雨が。慌てて洗濯物を取り込む。とまたすぐけろっと晴れ始めたので、賭けに出て、取り込んだものを外に戻し、えいっと外出。果たして無事でした。 夜、新しいお仕事を引き受けることに。私のつくるもののテイストが好きなのでと持ってきていただいたお話。ありがたいことです、恐縮です。「受けてもらえて嬉しいです!」なんて言われると、涙が出てしまう・・。応えられるようつとめます。ここ数年、ほんとうに人に恵まれて、お仕事の始まりから終わりまで、その流れがどんどん自分にとって自然な、好きなかたちになってきている。あとは私が日々精進するのみだ!
(*写真:夫が風邪をひいたため大根アメをつくる。蜂蜜ベースと水飴ベースの2種。約3時間ほどで、瓶にぎっしりだった大根ダイスがこのような状態に。浸透圧って凄いなあ・・ ) しかしそんなふうにのんびり感嘆していられたのも朝だけ。出勤して一日バタバタと仕事をこなし、夕方ごろ、自分の喉の痛みに気づく。コルシカ島のおみやげでいただいたおいしい栗粉のお菓子(甘い薫り、微かなえぐみのある旨み☆)で束の間もちなおすも、フラフラしてきたので、夕ごはんはお惣菜を買って、常備菜を添えて食卓へ。夫と一緒にガンダムZのビデオを観ながら食べる。私のいっとう好きなヤザン(ファンの同志を発見できたためしがない)が出ていない回なのでちょっぴりつまらない。最強のオールドタイプ、素敵なのに・・ そう私は、ニュータイプというやつが好きになれないのだ。きぃん、なんていって何かというとすぐに感応しあって・・ そんなに簡単に判りあった気になるなよ!それで皆、自意識のカタマリのようになって結局は身を滅ぼしているんじゃないか〜。紫の髪にワッカをはめている人もどうかと思う。 歯のうくような台詞を吐くたびにあれが締まるといいのにな。 そういえば昔、彼が夢にでてきたことがあった。二日酔いで、頭が割れそうに痛いと苦しんでいたので、「まずはその頭のワッカを外してはどうか」と進言したものだ・・・ どうやら風邪薬が良い具合にまわってきたようなので、本日は就寝いたします・・。
(*写真:一昨日の水菜がもうこんなに伸びていた! 嬉しいのだけれど、こんなに張り切って成長されると逆に、「偉い!・・けど、なにもそんなに生き急がなくても・・ それだけ収穫の時期が早まっちゃうんだよ??もっとゆっくり根を張ったり茎を太らせたり、もう少しのんびり世界を楽しんでもいいんだよ??」と語りかけたくなってしまうアンビバレンツ) 今日はひたすら原稿書きに邁進した。時々疲れると、コーヒーを淹れなおし、窓ぎわに行って野菜たちの様子を眺め、茎が太陽のほうに傾いていれば鉢の向きを変え(クッキーなどをムラなく焼くために天板の前後を入れ替えるのに似ている)、気分を盛り上げるために読み差しの本を数ページめくって、そして机の前に戻ってくる。本は1週間に10冊ほどを消費するのだが、いつでも数冊を並行して読んでいる。今日は『緑色の濁ったお茶 あるいは幸福の散歩道』(山本昌代)のひやひやした心地よい空気感に浸り、また『ジャンピング☆ベイビー』(野中柊)で自分の細かな古傷と自意識を手探りして、幾度となくリフレッシュをはかった。 野中さんの描く主人公の、すこやかで堅物な精神性が好きだ。私の性質と似ているけれど、私は、その場その場での自分をこんなふうに明確に掴むことはできないから、憧れる。 さて、執筆していた原稿は、とある芸術家についてのものだったのだが、書いているあいだじゅう、ある日本のロックバンドの名曲が頭を占拠していた。音楽が想起させる情景と、芸術家の作品世界とが、共鳴しあっているように感じられたから。しかし悩んだ末、この美しい符合には一切言及せずに提出。ここだけに書いてしまおう、その曲は、ミスチルの『光の射す方へ』。
(*写真:上記「6月の目標」に書いたのでプレッシャーがかかったのか、"三十日大根"がアワアワと発芽していた。もう、種皮の帽子を脱ぎ捨てるのももどかしい!というイキオイで成長中。) さて今日は、ここ半年ほど憧れていた氷菓「ガツン、とみかん」に巡り逢うことができた。 ・・・実は私、AA(アスキーアート)で描かれる物語世界のファンである。 (といっても自分ではAAそのものも描けないし、顔文字すらあまり使わない。某巨大掲示板も覗いたことがなく、HTML化してまとめてくれているサイトで読む専門なのだけど・・。) 線と記号と文字の組み合わせからいきいきと立ちあがるキャラクター達、一こまずつ掲示板に投稿されるというシンプルな表現の妙。公的な場所で形成・醸造されていくことにより生まれる独特の味わい。 漫画にも小説にもない、不思議な延びしろが魅力なのである。 ・・・まあそんなAAの世界の固定キャラクターのひとりの好物がこの「ガツみか」で、いつもあまりにもおいしそうに食べ&凶暴なまでに求めているので、一度味わってみたかったのだが、私の生活圏はどうも「ガツもも」のテリトリーらしく、「みか」にはちっとも出会えずにいたのだった。 果たして、日本のみかんの青いさわやかさがぎゅっと詰まっていて、懐かしいおいしさ。人と車でぎっしりの明治通りを歩きながら食べたのだけど、どこか田舎の家の縁側で、足を水たらいにつけて夕涼みをしている気分に。 彼女(キャラクター)の執着も判らないではないかも。 それにしても、棒アイスというのは、持って歩くだけでなんだか嬉しはずかしく、テンションの上がるアイテムだなあと思った。花束を持っているときに感じる気持ちと似ている。
(*写真:水菜が順調に成長している。透き通った容器で育てると、根の微細な毛がどんなふうに土をかきわけていくのか見ることができて面白い。アントクアリウムのよう・・ちょっとしたNASA気分。)
親戚の集いに出席。着いたとたん、ハトコたち(2歳〜3歳)にロックオンされ、クッションや紙風船等を使ったアグレッシブな遊びに引きずりこまれる。もっと若い人もいるのに、何故か私だけ・・。「同類の匂いがすんねん」と呆れ顔の夫。そんなちびちゃん達も、おもたせのプリンを食べている間だけは大人しかった。ゆるやかな台形、卵の黄金色とカラメルの澄んだ褐色、やさしい甘さとやわらかな口あたり・・プリンって、和みの魔法を蒸し固めたものなのかも。(そういえば、『ナルニア国物語 ライオンと魔女』映画版に出てくる"ターキッシュデライト"。本では、日本人にも判りやすいように"プリン"となっていたので、幼心に"夢のように甘くて限りなくふわふわした至高のプリン"をあれこれ想像したものだった。去年ギリシャに旅した際に"ルクミ"(=ターキッシュデライト。鮮やかな色と花の香りと強烈な甘さが忘れ難い、澱粉ゼリー菓子。村上春樹氏の『雨天炎天』にも登場。結構クセになる)を食べたときには、まさかこれが夢のプリンの正体だとは思ってもみなかった・・) さて、楽しかったけれどさすがにエネルギーを使い果たして、帰りはおなかがぺこぺこ。お寿司を食べに行く。飛び魚がもちもちしていておいしかった。そして大好きなエンガワ、ヒラメのとカラスガレイのを食べ比べ。ヒラメのはやっぱり、コクがすーっと入ってくる。
起きたら、まぶたの幅が1cmくらいに腫れ、たいそうアイシャドウの塗りがいのある状態になっていた・・。昨日職場でいただいたおいし〜い朝摘みきゅうり(全身が青く充たされるような薫り!)とレタス、甘夏蜜柑で朝食用のサラダをつくる。この初夏から自宅で野菜類の水耕栽培に挑戦していて、さまざまな容器(ペットボトルで作った給水装置付きのもの、ヨーグルトやジャムの瓶)や土壌(川砂やハイドロカルチャー用砂)を使い、種(小松菜、水菜、モロヘイヤ、レタス、スイートバジルなどなど)との相性をみながら研究しています。(*写真:愛すべき菜園の一部)最近天気がよいので、室内とはいえ次々に発芽していて嬉しいかぎり。もうすぐ、自分の家で”朝摘み”した野菜だけでサラダをつくることができるようになるはず!! 節約・・といっても、お金で考えたらささやかなものだけれど、もっと良い何かがsaveされるような気がして、今日もうきうき水を注いでいます。
表参道ヒルズのR-StudioでノートPCのイベントをやっていて、色が話題のシリーズ、全9色が展示されている。ちらりと通りすがっただけだけれど、「私ならこの色がいいな(ターコイズブルーかリネンホワイト・・)」というのを瞬時に判断していた自分がいた。なんだろう、この心の動き。何かのバリエーションが展開されていると、実際に購入を検討しているわけでもないのに、「私ならこれ」というのをなんとなく心の中で決める(決めてしまうと、ひとここちついて忘れる)。あの心理って一体何なのだろう・・ ”選び取る”という行為は人間にとって快なのかな。電子、陽子、原子たちが安定を求めて動くのにも似ている、ような気がする。
「本日の最高気温は30℃に達するでしょう・・」というラジオのアナウンスに、うなされぎみで起床。我が家の窓は東向きなので、朝6時の空気はもう熱を孕んでいる。何かの予感に充たされた、夏休みのような、そわそわじりじりした感触。せかされるように目を開いたら、そこには入眠直前に読んでいた本の表紙が。瞬間、全身の血液が沸騰するかと思った! だってそのタイトルときたらば、『6000度の愛』・・・。 とはいえ、今年の春に日傘デビューを果たしたばかりの私には、日差しの強い日がちょっぴり嬉しい。わざわざ日なたを歩いて、傘が光をはじくのをたのもしく見守るのが楽しいのだ。 今日は表参道にある事務所に出勤の日。改正道路交通法の影響で、246沿いはとてもすっきりしていた。路幅が広がって、名古屋の道路かと見紛うほど!
仕事からの帰り道も、夏の夕暮れのようだった。もったり疲弊した空気と涼しい風が二層になった中を泳ぐようにして家へ。早めに帰宅していた夫がごはんを作ってくれていた。餃子とにんにくの芽の炒めもの。呑めない私にもむくむくとビール欲が。(*写真:にんにくの芽のみどりのグラデーションには音楽を感じる☆) 夜、新しいプロジェクトの企画書と見積書を作って送信。そのあと悲しい出来事があった。事件自体は些細なことなのだけれど、遡ればほんとうに昔のことにまで根深くリンクしていることが判り、ひもときながらぼろぼろ泣いてしまう。過去の疑問やひっかかりの原因など、驚くほどクリアに理解できて、その時点で誰が本質を見極めていたのか(私でも相手でもなく、大抵は善意の第三者)も判って、おそろしいほどだった。つらいけど、必要な体験なのだろう。苦しいけど、芸のこやしにするしかないな。辛抱強く聞いていてくれた夫に感謝。
遣う、稼ぐ、貯める、投資する。そしてその消費の裏側にある、選ばれなかった側のあれこれ・・買わなかったもの、行かなかった場所、遊ばなかった時間、会わなかった相手。お金にまつわる行動によって凸凹と刻まれてゆく自分の輪郭をたのしみながら過ごしたいと思います。2ヶ月間、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
1976年2月25日
血液型 :B
身長 :154.5cm 体重:-kg
居住地 :東京都豊島区(東京都出身) 夫と2人暮らし
給与収入:月約10〜40万円(変動が激しい)
アルバイト収入:
仕送り:
親からの小遣い:
家賃:17.5万円(約1/3を負担)
自由になる金額:約3〜5万円
ファッション代:約2〜3万円
ふたつの目標(大根・原稿)は・・・
来月に繰り越し、この2ヶ月で得た経験やPCを駆使して達成したいと思っております・・。
全部、続けます。