館内通路を彩るのはシンガポールのアーティスト、Speak Crypticによるグラフィティ@The Projector
ー The Projectorは意欲的な上映イベントを企画するなと思っていたのですが、そうしたイベントの開催がCommunal Aspect of CinemaというThe Projectorの設立意義とつながっていることがよく分かりました。でも、そもそもなぜ映画だったんでしょうか?オンライン視聴サービスや海賊版の流通などの逆風が吹く中で、映画館運営というのは困難なビジネスというイメージがありますが、The Projectorのプロジェクトに取組むことを決めた理由は何ですか?
S: 建築家の友人から、映画館が空き家になっているので何か面白い事出来ないかな、と最初に紹介されたときは、別のプロジェクトで忙しかったこともあってしばらく放っておきました。でも、ある日たまたま、旧友で映画キュレーターのGavin(ギャビン)と話す機会があって、それをきっかけにして話が進み始めました。でもGavinもKarenもBlaiseも、成功の確信はありませんでした。今時映画館?みたいにね(笑)。それでも不動産投資銀行でのノウハウを活用して、何ヶ月もプロジェクトを精査して、ファイナンシャルモデルやリスクを勘案した上で、取組むことにしました。「シャロン、この案件、Goよ!後は任せたわ」という感じで(笑)。取り組みが決まってからは、私が改修から運営に至るまで専属で担当しています。
いざ運営を始めてみると、他に同じような価値を提供している場所が無いので、マーケット的には可能性を感じています。けれど一番の困難は、映画館ビジネスそのものの難しさというよりも、自分の成功にお尻を噛まれてしまうというシンガポール特有の事情です。プロジェクトが成功して不動産価値が高まった途端に、物件の新しい買い手候補が集まってくるんです。そういう人達がこの場所の下見に来たこともあります。そういうのを見るのは、すごく怖いし、いつ追い出されてもおかしくないという不安定な状況です。とても残念な事ですが。
それはともかく、The Projectorがあるゴールデンマイルというエリアも気に入っています。どちらかというと怪しげな界隈ですが、中心地からも近いですし、エリアの歴史がとても興味深いんです。この地区一帯はシンガポール政府が60-70年代にかけて主導した都市再開発のキー・エリアで、当時のトレンドを意欲的に反映した建築物が建ち並ぶエリアなんです。
例えばThe Projectorと隣接する「ゴールデンマイル・コンプレックス」は日本の建築家が主導して世界的な影響を与えた建築ムーブメント、メタボリズム建築の名作とされていますし、少し後の時代になりますが、米国の建築家ポール・ルドルフによるオフィスビル「コンコース」もゴールデンマイルの再開発を象徴する建築物ですし、The Projectorが入居する「ゴールデンマイル・タワー」も建築的な見所のある特徴的な建物です。
もっとクールなのはビーチ・ロードの歴史です。The Projectorが面しているビーチ・ロードにはかつて小規模のシネマハウスが立ち並んでいたんです。1887年にビーチ・ロード沿いに開業したシンガポールのランドマーク「ラッフルズ・ホテル」が建つよりもさらに前の時代のことです。当時はビーチ・ロードが文字通り海岸線だったから、みんな海に遊びに来るついでに映画観ていたんです。クールな時代ですよね。
もう1つクールなのは、父が幼かった頃、彼が学校に通うのを経済的に支援してくれた後見人がいて、私たちはその人のことを大叔父さんって呼んでいるんですが、彼はかつて映画館のオーナーだったんです。北朝鮮にコミュニスト映画を買い付けに行ったりしていたっていう! クールでしょ? 今はその映画館は無くなってしまったけど、幼い頃は家族で大叔父さんの映画館のボックス席に通っていました。大叔父さんとは血はつながっていないけれど、映画好きの血は受け継いだのかもしれません。大叔母さんは、私たちが映画館運営に取り組むと知って、何で映画館なんて難しい事業に手を出すのよ!って嘆いていたけれど(笑)。