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シブレキ 〜渋谷文化事件調査委員会〜
レポート
2017.10.25
この記事のカテゴリー |   |   カルチャー | 

シブレキ 〜渋谷文化事件調査委員会〜

第1回:カウンターカルチャーからサブカルチャーの時代へ。(前編)

2017年、激しく変化する渋谷。そこに生まれ、その後日本から世界へと影響を与えた“渋谷の文化“の歴史を記録しようと、有志による“渋谷文化事件調査委員会”が発足。第1回目のトークイベントが開催された。


現在、大規模な再開発が進む渋谷。その工事区域の傍ら、JR渋谷駅新南口からほど近い渋谷川沿いに、「Li-Po」という小さな酒場がある。

2017年7月1日、この店で「シブレキ 〜渋谷文化事件調査委員会〜」と題する、連続イベントがスタートした。駅周辺の高層ビル化や渋谷パルコの新ビル建設など、渋谷の街の様相は大きく変わりつつある。それらを横目で眺めつつ、ファッション、音楽、アートといった都市型文化を牽引してきたこれまでの渋谷の姿を見つめ直し、当事者たちの話を聞こうというトークセッションだ。

第1回のテーマは「カウンターカルチャーからサブカルチャーの時代へ」クリエイティブ・ディレクターの榎本了壱さんをトークゲストに迎え、聞き手は漫画家のしりあがり寿さんMCは漫画家でコラムニストの辛酸なめ子さんが務め、渋谷に関心のある濃ゆい人びとで賑わった。

*マトリックスは、「びっくりハウス系MAP」(C)2004年榎本了壱作図
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左から、辛酸なめ子さん、榎本了壱さん、しりあがり寿さん。スライドは、『ビックリハウス』から『BH』へのリニューアル号。発行元はパルコ。

「半年くらい前、仕事場近くのこの店で呑んでいたとき、渋谷が変わっちゃうねっていう話になったんです」
しりあがりさんは話す。


「僕が上京したころに読んでいた『ビックリハウス』という雑誌はパルコが発行元で、編集部が渋谷にあった。あのころの話が聞きたいな、と。そしたら、この店のオーナーの伊藤さんがじつはパルコ出身で、話が盛り上がって、雑誌を立ち上げた榎本さんに話を聞こうということになったんです」(しりあがりさん)。

この話を聞きつけた伊藤さんの友人・知人数名がおもしろがって運営に加わり、以前、榎本さんしりあがりさんとトークイベントで共演した辛酸さんの出演が早々に決まった。

関係者で意見交換するうちに、渋谷のおもしろい話は『ビックリハウス』だけじゃもったいない、それなら渋谷で今まで起きた「文化事件」を掘り起こす「調査委員会」を連続して開こう、ということになったというわけだ。

「シブレキ」というのは榎本さんのネーミングだ。「シブ」ヤの「レキ」シ(歴史)、あるいはリ「レキ」(履歴)、ライ「レキ」(来歴)といった意味だろうか。

しりあがりさんと伊藤さんが盛り上がった数ヶ月後の6月半ば、第1回目のイベント開催が告知された。30数席のチケットは10日も経たずに完売に。

イベント当日、榎本さんは130枚もの貴重な写真を持参した。これらを壁に映しつつ、トークセッションは始まった。しりあがりさんが水を向け、榎本さんが語り始めた。



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渋谷区役所通り(1970)の写真を背景に。

1960年代までは、渋谷にはほとんど来なかったんだよね。僕は吉祥寺の生まれで、高校生のころは中央線に乗って新宿にばかり行っていた。渋谷に来るようになったのは1970年代以降。1969年に新宿西口のフォークゲリラが締め出され、新宿は若者の街じゃなくなった。それを受け入れたのが渋谷。当時の渋谷は西武百貨店東急本店が出来たばかりで、ほかには公園くらいしかなかった。今の公園通りは区役所通りと呼ばれていて、連れ込み旅館ばかりが建ち並ぶところだった」(榎本さん)。

 
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渋谷公園通り下から上を望む。

この状況が一変したのは、1973年に渋谷パルコがオープンしてからだという。

「僕はこのころパリに留学中だったんだけど、極東の日本の渋谷にカフェ・ド・ラペとイヴ・サンローラン・リヴゴーシュが出来るって、すごく話題になっていました」。
 
たしかに渋谷パルコのオープンは、これまでの商業施設の単なる新規開店とは異なる「事件」だったといってよいだろう。それは、ヨーロッパの名門カフェや有名ブランドを日本に持ち込んだことだけが理由ではない。

特筆すべきは、店舗の建設と同時に立地する街も整備する「面開発」の手法を確立したことだ。連れ込み旅館の並ぶ区役所通りをきれいにし、オシャレな電話ボックスを建てて「公園通り」と名付けたのもパルコだ。

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東京で若者文化の地図が大きく塗り替えられつつあったこの時期に、榎本さんはパリから帰国する。渋谷パルコがオープンした翌年、1974年のことだ。

榎本さんは帰国してからすぐ、同じ時期にアメリカ留学から帰国した萩原朔美氏(※映像作家、演出家。詩人の萩原朔太郎の孫)とともに、前述した雑誌『ビックリハウス』の創刊に向けて動き出す。

しかし、渋谷の「文化事件」について探るには、『ビックリハウス』の前に、この二人が出会った場所について触れておく必要がある。寺山修司が主宰した「演劇実験室・天井棧敷」のことだ。

しりあがりさん榎本さんに、「天井棧敷」について話してほしいと促した。

「天井棧敷」は、俳人、詩人、映像作家、エッセイストなど多彩な顔を持つ寺山修司が、1967年1月1日に旗揚げした劇団だ。「演劇実験室」を標榜し、これまでの演劇とはまったく異なるスタイルを志向して話題になった。萩原朔美氏は旗揚げメンバーのひとりだ。

「実際の街を舞台に見立てた市街劇、真っ暗なステージで行われる芝居、観客を巻き込んだ芝居など、あらゆる意味で反体制的だった。まさにカウンターカルチャー寺山さんは、革命を演劇で見せても仕方がない。だから演劇の革命を起こすんだ、と言っていました」(榎本さん)。
 
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榎本さんは、さらに続ける。

1969年には、活動の拠点として『天井棧敷館』を作った。このデザインを手掛けたのが僕の師匠のアートディレクター粟津潔さん。僕はまだ武蔵野美大の学生だったんだけど、これを手伝うことになった。ここは、もともと自動車修理工場だった建物で、地下室もあった。その躯体をそのまま活かして劇場に改造した。1階に喫茶店を作って、ここは寺山さんのお母さん(※寺山はつ)が経営していたんです。ちょっと怖い人だったけど、僕のことはかわいがってくれた。それで、本人がいなくてもいるように見せようってことで、入り口に白い足袋だけ置いた(笑)」。

天井棧敷館は、渋谷駅から明治通りを恵比寿方面に進んだ並木橋交差点の近くにあった。まったくの偶然だが、この場所は「Li-Po」の窓から真正面に見下ろせる。

 
その後も寺山修司は、若い美大生・榎本了壱にさまざまな仕事を任せた。演劇理論誌『地下演劇』や、書籍『アメリカ地獄めぐり』『ヨーロッパ零年』『寺山修司全歌集』などの装丁等々……。1984年に寺山が亡くなったときの葬儀の祭壇も、榎本さんのデザインだったのだそうだ。

寺山さんは、若い人にチャンスをくれる人だった。寺山さん自身も若くから活躍してきたから。いつも崖っぷちで、おもしろいことにチャレンジし続けていた。これは彼がつねに病魔と闘っていて(※寺山修司はネフローゼや肝硬変を患っている)、死の予感を身近に感じていたからだと思います。彼の有名な言葉に『人間は不完全な死体として生まれてきて、何年もかけて完全な死体になる』というのがあるけれど、象徴的だよね」(榎本さん)。

榎本さんにとって、寺山修司との出会いと天井棧敷での経験は、その後の仕事、いや人生にとって決定的な影響を持っているという。そして、ここで出会った萩原朔美さんとのコラボレーションが『ビックリハウス』を生み、渋谷をサブカルチャーの中心地に押し上げる原動力となっていく。

「後編」では、『ビックリハウス』の創刊秘話と、榎本さんが手掛けた数々のアートイベントに焦点を当てて、今につながる渋谷の「文化事件」を追ってみたい。
 

[取材/文:徳永修(編集者/ライター)]

なお、「シブレキ〜渋谷文化事件調査委員会」第2回は、ブルーベルベッド、バグダッド・カフェ、ドラッグストア・カウボーイ、ポンヌフの恋人、天使の涙、トレインスポッティング、ムトゥ踊るマハラジャ、π、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ…

『シネマライズが牽引した、渋谷ミニシアターカルチャーとは?』と題して、シネマライズ代表(泰和企業代表取締役)の頼光裕さんが登場。聞き手は、後藤繁雄(編集者/クリエイティブディレクター/京都造形芸術大学教授)さんです。
 
■日時:2017年10月28日(土) 15:00〜17:30(開場:14:30)(残席わずか!)
  ●「Li-Po」
〒150-0002 東京渋谷区渋谷3-22-11 サンクスプライムビル4F-A
TEL 03-6661-2200


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