Across the Book Review Vol.16
2009.06.17
その他|OTHERS

Across the Book Review Vol.16

「ヤンキーについて語りたい今」
『ヤンキー文化論序説』五十嵐太郎・編著(河出書房新社)

ヤンキーについて語りたい今

 あなたの専門分野でしょう、とすすめられた本書。え、どこが、と思ったが、ヤンキーの部分でした。忘れていたが、『アクロス』が雑誌だった時代、「ヤンキー魂再浮上 コギャル・パラギャル台頭の真相」という記事を担当したのだった。内容は忘却の彼方だが、ヤンキー魂、略して“ヤン魂”という概念は、結構気に入っていた。埼玉にほど近い東京に生まれ、地元の公立中高に通った身としては、ヤンキー(ツッパリと呼ぶ時代でしたが)はあまりにも身近、ヤン魂度は高いと自覚しているので、ヤンキーという言葉には、何か遠い親戚に再会したような嬉し恥ずかしさが伴う。

 しかも、なぜか降って湧いたようなヤンキーブームである。いや、少し違う、ヤンキーについて言いたい、ブームのようである。本書のほかに、前回とりあげた『創刊の社会史』著者、難波功士の『ヤンキー進化論』、ケータイ小説をヤンキー回帰として読み解いた、速水健朗『ケータイ小説的。“再ヤンキー化”時代の少女たち』と、昨年夏より立て続けにヤンキー論が刊行され、さらにひきこもり論でおなじみの斎藤環もヤンキー文化全般に関する単著を準備中、というラッシュぶり。なぜ今こんなにも、ヤンキーについて論じたいのか。

 編著者の五十嵐氏がヤンキー研究に着手したのは、過剰な装飾を施すことで知られるインテリア・デザイナー森田恭通を、ヤンキーという視点から分析できるのではという議論で盛り上がったことがきっかけだという。それからヤンキーが文化横断的なテーマになると気づき、若手の研究者に勧めたり、文化研究イベントのテーマに提案したりしたが形にならず、ならばと自分が編者になって書籍を企画した。

 さまざまな分野の執筆者を集め、ファッションや音楽、美術におけるヤンキー表現を分析、あるいはヤンキーたちの文化や行動そのものを、社会学的、文化論的に論じている。フィフティーズの不良文化を元に過剰にカスタマイズされていったヤンキーファッション(成実弘至)、ヤンキー音楽家としてのYOSHIKI(近田春男)、矢沢永吉と『男一匹ガキ大将』の共通点(速水健朗)など、おそらく初めて語られる“文化とヤンキー”は、どれも興味深く新鮮だ。「こんなこと書けるのだろうか」といった前置きも多く見られるように、異分野の論者が、真剣に取り組んでいるという時点で、すでに面白い。

 日本の、特に地方に数多く存在しながら、文化としては全く無視されてきたヤンキー。同じ若者文化でも、論客が次々現れ、さかんに語られてきたオタク文化とは、対照的だ。この背景には、本書でも多くの執筆者が触れているように、社会学者、研究者にヤンキー当事者がいない、という現実がある。高学歴で、都心に集中する研究者は、おそらく勉強ができ、流行に敏感な青春時代を過ごしてきた。コアなサブカルチャーに刺激を受けてオタクになる道はあっても、地元のヤンキーから影響を受けることは皆無だったであろう。ヤンキーは、いってしまえばいつの時代にも一定数いる「地元の不良」。見た目や行動は過剰だけれど、ワル→卒業→地元で落ち着く、というサイクルはむしろ保守的で時代性も感じられない。誰も注目してこなかったのも、無理はない。

 しかしながら、ネットとケータイと不況、日本全国ほぼこれらの影響下におかれている今、東京発信や先端文化が流行の牽引役ではなくなった。マス、大衆的=ダサイ、という感覚ももはやなく、ドメスティックなヤンキー文化が浮上するのは、必然の時代背景かもしれない。浜崎あゆみやEXILEがスターになり、「ごくせん」や「ROOKIES」のイケメン不良ドラマが大人気、女性誌久々のヒットは『小悪魔ageha』、伝統が過剰に進化した「よさこいソーラン」、成人式の羽織袴や荒れるパフォーマンス、益若つばさタイアップで人気急上昇中の「ファッションセンターしまむら」など、気づけばヤンキーテイストがあふれている。本書にも特別掲載されているが、「日本人の5割が横浜銀蝿的なものを求めている」と10年以上前に指摘した故ナンシー関は、確かに慧眼である。

 著者はヤンキーを「東京のメディアから情報発信することがない文化」であり、ヤンキーを考えることは「東京なき日本論」につながるのではないか、と提議している。確かに過疎化、郊外化、格差問題など、経済的な視点からでは活性化の糸口が見えてこないが、ヤンキーのような、現象やメンタリティに注目すると、違うものが拓けてくる気がする。「終わりなき日常」ではなく、刹那的で、そこそこの爆発がある生き方。使い古されていようとも、そのヤンキー魂の濃度は一定で、それを無視する手はないと思うし、意外な可能性も広がっている気がするのは、高いヤン魂濃度のせいでしょうか。

[フリーエディター・神谷巻尾]

「思い出した本」と「読みたくなった本」

●読みたくなった本(見たくなったDVD)
『ヤンキー進化論』難波功士(光文社新書)
『ケータイ小説的。“再ヤンキー化”時代の少女たち』速水健朗(原書房)
『暴走族のエスノグラフィー』佐藤郁哉(新曜社)



●思い出した本
『族—吉永マサユキ写真集』吉永マサユキ(リトルモア)
『下妻物語—ヤンキーちゃんとロリータちゃん』嶽本野ばら(小学館文庫)
『夜露死苦現代詩』都築 響一(新潮社)



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