Who's who:ROGER PULVERS(ロジャー・パルバース)さん
2013.05.22
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Who's who:ROGER PULVERS(ロジャー・パルバース)さん

宮沢賢治賞、野間文芸翻訳賞受賞の宮沢賢治研究家に聞く、「大人のための宮沢賢治」ガイド

今年、没後80年を迎える宮沢賢治。2000年代に入り、世の中のエコマインドが高まる中、約100年前から人間と自然との理想的な共存の形「イーハトーブ」を提唱していた先駆者として、また、東日本大震災後には被災者の心を支えるメンターとして、事あるごとに何かと再注目されてきた宮沢賢治

昨年から今年にかけても、冨田勲×初音ミクの『イーハトーブ交響曲』大阪ナレッジシアターのこけら落とし公演となる平田オリザ演出の世界初の人間×ロボットの共演劇『銀河鉄道の夜』岩手県では『銀河鉄道の夜』をテーマとしたSLの復活など、何かと話題が尽きない。

なぜ今、宮沢賢治なのか? 宮沢賢治が各分野で新たなチャンレンジを続ける者たちを魅了しつづけているのはなぜか? その一方で、宮沢賢治はその名前や『銀河鉄道の夜』のような代表作品の認知率は限りなく100%に近いものの、多くの日本人にとっては子供の頃に読んだ思い出や子供向けの童話作家ぐらいの画一的なイメージにとどまっているのも事実だ。

大人のための宮沢賢治の解釈を探るべく、宮沢賢治を40年以上にわたって研究し続けているロジャー・パルバースさん(作家・劇作家)に話を聞いた。

 

 

 

いちばん美しい日本語を書く作家。それは、宮沢賢治!


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ロジャーさんと宮沢賢治の作品との出会いは?

「僕が初めて日本に来たのは1967年(昭和42年)です。それまで日本の文化や文学に熱心に触れていたわけでもなかったのですが、運よく知人に京都の大学を紹介され、ロシア語とポーランド語で教鞭をとることになりました。当初は日本語が全くできませんでした。

少しでも日本語を勉強しようと、友人に『いちばん美しい日本語を書く作家は誰?』と聞いてみたところ、宮沢賢治との答えが返ってきて、さっそく短編集を買って一生懸命読んでみました。1ページ読むのに辞書を片手に2時間ぐらいかかりましたが、読んだ後に何か不思議な感覚を覚えたんです。日本語の習得とともに賢治作品もたくさん読み始め、そのうちに賢治の魅力にとりつかれ、2年後の1969年には賢治の生家のある岩手県花巻市へと足を運びました。

ある日、駅で生家の場所を聞いて行ってみると『宮澤』という表札があり、『ごめんください』と挨拶して出てこられたのは、後で知ったのですが賢治の実弟の清六さんでした。僕は日本語で『僕はアメリカから来ました。宮沢賢治が大好き!』と伝えると、清六さんはとても喜んでくれて、賢治にゆかりのある様々な場所に連れて行ってくれました。それ以来、清六さんが亡くなる2001年まで家族づきあいをすることに恵まれました」。


---もし、そのお友達が「いちばん美しい日本語を書く作家」として他の作家を挙げていたら、宮沢賢治との出会いはなかったんでしょうね。

「そうですね。僕が当時の日本文学に詳しかったら、もしかしたら谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫あたりを必死に読んでいたかもしれませんが、日本文化も何も全く知らなかったので何も既成概念がなく、友人の言葉をそのまま信じたおかげで宮沢賢治に触れることができたんだと思います。宮沢賢治は誰しもがNo.1として真っ先に挙げるタイプの作家ではないですからね」


---宮沢賢治作品を読んだ時に感じた「不思議な感覚」について詳しく教えてください。

「賢治の作品は、方言や自然科学用語、宗教用語などが多用されることもあります。それに加え、擬音語も多く使われていますし、字面としてはとても難しく感じてしまう人も多いと思いますが、そこが非常にユニークなところでもあります。主人公の名前も、ジョバンニやカムパネルラなど日本人っぽくない名前が多く、コスモポリタン的な要素も感じました。

中身の部分では、賢治が作品を書いていた1920年代頃の日本はナショナリズム全盛期であったにもかかわらず、賢治は日本とか日本人という表現を使っていないんです。『日本人とは・・・』『日本の風土とは・・・』『これからの日本は・・・』、みたいなことは一切書いていない。賢治にとっては国民性や民族性などはあまり大きな関心事ではなく、彼は人間と自然や宇宙などの関わりなど、もっと大きなところをみているんじゃないかと感じたんです」


---ロジャーさんは宮沢賢治にはじまり、その後、1970~80年代にかけては井上ひさし、唐十郎、大島渚など様々な文化人との親交、井上ひさし作品の翻訳、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』の助監督、その他芝居の脚本や演出、オリジナルの小説や日本文化論の執筆など、多岐にわたって活動分野を広げられました(80年代にはパルコ劇場での公演「幽霊の家」や「埋められた子供」などの作品の演出家としても活躍されています)。

「実は、井上ひさしさんと親しくなったきっかけは宮沢賢治なんです。好きな作家を聞かれて、宮沢賢治だと僕が答えると、井上さんは『21世紀に残る作家は宮沢賢治だ』と断言していました。彼は僕が感じていた賢治の世界観と同じようなことを深い部分で共有できていたのではないかと思います」

 

 

英語版と日本語版が読める『Night On The Milky Way Train』(銀河鉄道の夜)。表紙は娘のルーシーさんの作品

宮沢賢治の描写は、緻密な調査と経験に基づく超リアル。どこを切り取っても21世紀の私たちへのメッセージが詰まっている


---ロジャーさんの最新刊『賢治から、あなたへ 世界のすべてはつながっている』(集英社インターナショナル)では、「19世紀に生まれた宮沢賢治は、実は21世紀の今の私たちに必要なメッセージを送ってくれていた」という見解がとても興味深いのですが、具体的にはどんなメッセージだったのでしょうか。

自然にやさしく、自然や動植物と上手く共存することの大切さや、人間はどういう風にエネルギーを使うべきかなど、まさに21世紀の私たちにとって必要と思われるようなテーマを、賢治は約100年前からずっと考えていて、作品を通して発信していたんです。こういう考え方は、当時の日本ではほとんど理解されなかったかもしれませんが、やっと時代が賢治的な考え方に追いついたとも言えるのではないでしょうか。例えるなら、賢治は1933年(賢治の没年)に誕生した『超新星』で、その光がやっと今私たちに届いた、とでも言うような・・・」

 

---なるほど、賢治は一貫して21世紀的な考え方をしていたんですね。実は宮沢賢治って、多くの日本人にとっては、小中学生の時に教科書や読書で『銀河鉄道の夜』、『注文の多い料理店』、『「雨ニモ負ケズ』などに少し触れたぐらいで、何となくファンタジーを描く童話作家や『雨ニモ負ケズ』の詩人として、東北の耐える寡黙な人(の象徴)、という漠然とした印象しかない人がほとんどだと思われるので、そういう解釈は私たちにとってはとても新鮮に感じます。

「賢治の作品は、わかりやすい勧善懲悪的な対立やハッピーエンドなどのストーリーは少なく、読者にとっては消化しにくいものが多いので、まさかこれほど21世紀的なメッセージが込められているとは気づきにくいかもしれませんね」

 

---宮沢賢治は約100年も前に、どうしてエコロジーやインターコネクティッドネス(相互がつながり合っている世界)のような概念を持ちえたのだとお考えですか。

「それは賢治が超リアリストだったからだと思います。自然を大切にしよう、とか、人類も動植物も皆同じレベルでつながり合っている、とかいう考え方は、道徳観や宗教観に基づいているように思われがちですが、賢治の場合はそうではなかった。宮沢賢治は、自然科学者でもあり、天文学にも詳しく、また農業や鉱石類に関しても知識と経験が実に豊富でした。賢治が月や星、風や海、動植物や鉱石などについて描く時は、全てのことに対して自分で見聞きし、研究した知識や経験を持って臨んでいました。受け取る人が『ファンタジー』と感じたとしても、賢治にとってはそれは全てリアルだったんです。動物がかわいそうだから大事にしなくてはいけないとか、エモーショナルな話だけではなく、人間は自然や宇宙の森羅万象の一部にすぎなく、動植物や天然資源や惑星など宇宙全体と調和を保って生きていくことがごくごく自然なことだということに気づいたのでしょう。自然を破壊して全体の調和を乱すことは、特定の動植物の絶滅というレベルの話ではなく、人類の絶滅につながるということを深く理解していたのだと思います。動物保護や自然保護という言葉も、賢治にとっては、人間の上から目線的な意味合いを感じ、きっと使わない表現だと思います

 

---宮沢賢治=ファンタジー作家ではなく、「超リアリスト」と捉えるのも私たちにとってはとても新しい解釈のように感じます。

「賢治にとっては、時間軸も現在だけでなく、過去も未来も常に視野に入っていました。例えば、何億光年の星の光には過去も未来も含まれていますし、海水や地層(石)や樹木などもそうですが、そういうものを描写する時には彼はその風景がどこから来て、今それがどういう状態で、将来はどうなって行くのだろうというところまで事実に基づき調べあげた上で、想いを馳せていたと思うんです。目の前に見えているリアルな世界のみならず、過去と未来というベクトルまで全てがみえていたんでしょうね。科学、地質学、農業の各分野に関してもスペシャリストであった賢治ならではの特長とも言えると思います。私はそれを『賢治リアリズム』と名付けました」

 

---ロジャーさんの宮沢賢治論を聞けば聞くほど、私たち多くの日本人が思っていた宮沢賢治像はとはずいぶん違ったイメージがみえてきます。例えば、ほとんどの日本人にとって宮沢賢治は清貧の象徴のようなイメージがあって、実は裕福で多趣味な人だったというのも意外と知らない面です。

「賢治の生家は質屋を営んでいて、とても裕福だったんです。37年という短い生涯でしたが、9回ほど上京していて、浅草も好きで、映画や芝居なども楽しんでいたようです。チェロも弾いていましたし、クラシックレコードはかなりのコレクターであり、当時のイギリス本国のポリドールの社長から花巻のレコード店経由で、賢治あてに感謝状が届いたという逸話もあります。浮世絵も何百枚も保有していたコレクターでもありました。鉱石に関する研究後、東京で人造ダイヤのビジネスを考えたこともありました。自分が興味を持ったことは、とことん突き詰めるタイプだったんでしょうね」

 

---なるほど、そう聞いて、ますます宮沢賢治が違ってみえてきました。最後に、賢治の21世紀的な考え方がよくわかるおすすめの作品を教えてください。

『インドラの網』『フランドン農学校の豚』『なめとこ山の熊』あたりでしょうか。インドラの網は元々は仏教に由来する世界観をあらわす言葉で、すべてを取り込む網の繊維のすみずみにまで、無数の露が存在していて、それは球状で鏡のような働きもあり、ひと粒ひと粒が宇宙に存在するあらゆるものを象徴していて、賢治のインターコネクティッドネスの考え方がよくわかる作品です。『雨ニモ負ケズ』の中に書かれている『アラユルコトヲ・・・ヨクミキキシ』というフレーズは、私たちに想像力だけでなく、知識や経験、目の前のあらゆることに対する鋭い観察力をはたらかせよ、というメッセージに他ならないと思います」

 

『賢治から、あなたへ〜世界のすべてはつながっている』(集英社インターナショナル)

 

バイリンガルの電子書籍という最新ツールで、宮沢賢治を世界にも発信し続ける

ロジャーさんは現在、拠点をシドニーに移し、執筆・講演等の活動を続けている。奥様のスーザンさんはファスミンダ・パブリッシングという電子書籍専門の出版社を設立し、宮沢賢治作品の翻訳やオリジナルの絵本などを扱っており、スーザンさん自身も絵本の執筆などもしているという。

また、日本生活が長く日本語もペラペラだという3人の娘たち(アリスさん、ソフィーさん、ルーシーさん)は全員画家(しかし、作風は三者三様!)でもあり、本の表紙や挿絵なども担当している。今年はシドニーで3人の個展を企画しているという。電子書籍版の宮沢賢治の翻訳本は英語でも日本語でも読めるバイリンガル仕様で、日本では楽天koboで取扱っている。

ロジャーさんが賢治の作品を翻訳する際に気をつけていることは「日本人が感じることをそのまま英語の読み手にも感じてほしい」とのこと。細かいこだわりの例をあげると、「銀河鉄道の夜」は“NIGHT ON THE MILKY WAY TRAINと訳されている。「銀河」の部分はgalaxyと訳している翻訳家もいるのだが、なぜmilky wayなのか疑問をぶつけてみると、「作品の冒頭部分は、学校の先生が天の川の説明をするところから始まります。その例えに『乳の流れたあとのよう』という表現があったり、主人公のジョバンニがお母さんのために牛乳を取りに行くという描写が何回かでてきたり、ここでは「milk」が重要なモチーフにもなっています。だからgalaxyじゃなくmilky wayのほうがしっくりくるんです」と、実にきっぱりとした答えが返ってきた。・・・ロジャーさんの翻訳もまさに賢治の「アラユルコトヲ・・・ヨクミキキシ」の精神にのっとっているのだ。

結局、日本に半世紀近くいることになったロジャーさんであるが、初めて日本の地を踏んだ時、全く日本語ができなかったにもかかわらず、何の根拠もなく「ここは自分の故郷になるかもしれない」と直感的に思ったという。もしかしたら、この人は宮沢賢治の生まれ変わり(もしくは、賢治の何らかの魂のかけらを引き継いでいる)ではないかとさえ感じた。

 

宮沢賢治のトレードマークでもあった同じタイプの帽子「賢治帽」を被るロジャーさん

 

「超リアリスト」「過去・現在・未来の時間軸」・・・大人のための宮沢賢治を読むためのポイント!


ロジャーさんのお話を聞いて、宮沢賢治や作品に対するイメージが大きく変わった、というか宮沢賢治が21世紀の私たちに必要なメッセージを100年前から送っていたということにずっと気づかずにいたことが、本当にもったいないなぁと感じた。


■宮沢賢治のエコロジーの発想は、道徳観や宗教観に基づいたものではなく、科学者としての緻密な観察や豊富な経験にもとづく知識に基づいた事実の積み重ねによるもの(ファンタジー作家ではなく、むしろ超リアリスト)


■描写には「現在」のみならず、「過去」と「未来」の時間軸も織り込まれている


この2つのポイントを「大人のための宮沢賢治」を読むための指針として、改めて宮沢賢治の作品を楽しんでみてはいかがだろうか。


そうそう、宮沢賢治の故郷である岩手県の花巻と釜石を結ぶJR釜石線(「銀河鉄道の夜」のモデルになったと言われる岩手軽便鉄道が前身)を中心に、2013年度の冬以降に銀河鉄道をコンセプトとしたSLが走る計画があるという。車両デザインのプロデュースは世界的に有名な工業デザイナー奥山清行氏によるものだそう。ゴトゴトとSLに揺られながら、自然を楽しみ、宮沢賢治の世界観に触れるスローな列車の旅は、オトナの新しい東北の遊び方としても魅力的だ。花巻周辺の記念館やゆかりの地のみならず、作品に出てくる場所をいろいろと訪ねてみるのも面白そうだ。花巻はもちろん、東北にはこれまで何度となく足を運んだロジャーさんもSL銀河鉄道の運行をとても楽しみにしているという。


インタビュー/文: 会田裕美(マーケティング・プロデューサー)

 



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