2005.03.19
その他|OTHERS

ルーカス・バデキ・バルコ/Lucas Badtke-Berkow インタビュー

ニーハイメディア・ジャパン代表取締役
卒業式の翌日、成田行きの飛行機にリュックひとつで乗っていました


 子どものころから本や雑誌が大好きで、小学校の時も中学校の時も学校新聞をつくってたし、大学の時はインターンシップとして地元の新聞社で働いていました。大学の専攻はアメリカ文化学。その関係で演劇などのコスチュームのデザインをやっていたんですが、そのデザインの参考にと、服とかモノがたくさん載っている日本の雑誌をよく見てたんです。

 特に日本のファッションに興味があったというわけではないけれども、ギャルソンとかヨウジの服はとてもインパクトがあってかっこいいと思っていたし、いろんな日本の雑誌を通して知っていた東京の10代や20代の若者文化にとても興味がありました。

 そこで、大学の卒業式の翌日、リュックひとつで日本行きの飛行機に乗ったんです。それまで一度も海外に行ったことがなかったので、単純に海外に行ってみたい!という思いもありましたけどね(笑)。93年のことです。

 たまたま友だちの実家に居候させてもらっていたら、とても居心地がよくて。気がついたら1ヵ月が過ぎていました。それでももっと日本にいたいと思ったので、子どもに英語を教えたり、フリーで『ジャパンタイムス』とか『ワイアード』のライターの仕事をしたりして、ズルズルと住み続けていました(笑)。吉祥寺、中目黒、祐天寺、いろいろなところに住みましたね。
02年に創刊した『PAPER SKY』。
コンセプトは「地上で読む機内誌」
インディ−ズマガジン・ブームの火付け
役となった『TOKION』。96年に創刊し02
年に売却(左)/創刊から3号まで編集長
とクリエイティブディレクターを勤めた
フリーペーパー『metro min.』。この後、
駅構内フリーペーパーのブームに(右)
雑誌をつくったのも売却したのも自然のなりゆきです

 「そんなに雑誌がやりたいんだったら、自分でつくってみたらいいじゃん」。
ある日友だちにそう言われて立ち上げたのが『TOKION』という雑誌です。96年のことでした。日本に来て3年が過ぎたころで、『bar-f-out!』とか、『米国音楽』とか、インディーズマガジンのブームといわれた時代です。自分も若者だったし、同世代の日本の若者の文化を世界に伝えたいと思ったから、テキストはバイリンガルにしました。

でも、自分も30歳になってみると興味の対象も変わってくる。もう若者じゃないからね(笑)。カルチャーマガジン的なものを世の中に出していくというスタンスも時代的に終わっていたような気がしたんです。ビジネスのレベルでも終わってきてましたし。で、新しい自分の興味を形にしたいと思ったから『PAPER SKY』を創刊したんです。

『PAPER SKY』のコンセプトは、地上で読む機内誌。機内誌って興味の有無に関わらず、ぜんぜん知らない国のことが載ってたりして楽しいじゃないですか。自分自身もそうですけど、ずっと人生=「旅」で来たしね。自分が知らないものを、ちょっとずつ知っていくのが楽しいっていうスタンス。ちょうど『ディスカバリーチャンネル』みたいな感じです。

季刊なんですが、11号の上海の特集とかはすっごく面白かったですね。ものすごいスピードで経済成長が進み、人口が1,700万人に急増した上海の街。テレビとかで報道されていたのは高層マンションが建ち並んでいて一見華やかなイメージなんだけど、実際に行ってみると、ふつうの人たちの生活はぜんぜん違ったりする。そのギャップがものすごくリアルでとても惹かれました。

雑誌って本来は、そういうちょっとした興味のきっかけをつくってあげるものだと思うんです。それは企画の切り口だったり、ビジュアルだったり、書き手の文章だったり。その全体の雰囲気、ニュアンスだったりね。日本の雑誌はもっとダイレクトなものが多いよね。

『mammoth』と『baby mammoth』
イトーヨーカ堂のPB「Deux+」の
PRマガジン
「本質」を見ること。それが今の時代の課題なんじゃないかな。


今の時代はスピードが早いでしょ。特にファッションの世界は、つくっている人はもちろんのこと、消費者の意志とも別のところでトレンドが一気にエスカレートしていく。だから、誰も何が本質なのかがわからなくなっているんだと思います。っていうか、みんなそんなことは気にしなくなっちゃった。

  僕自身のなかでの「本質」ってなんだろう、そう思ったら「子ども」に行き着いた。『mammoth』は、子どもの視点からみたら世の中はみんなマンモス級、そういう意味で付けた名前なんです。僕自身もそうですけど、人間って誰もが子どもっぽいところを持ってるはずじゃないですか。そういう視点でもう1回世の中を見てみようよ、という気持ちから始めた雑誌なんです。とはいえ、読者対象は子どものママなんですけどね(笑)。

  何号かやってきたら、さらに小さい0歳〜3歳を対象にしたものがつくりたくなってきて、05年2月、『baby mammoth』を創刊することになったんです。まだ年2回ペースですが。でもずっと広告という形で『mammoth』を応援してくれていたム・チャ・チャさんとのお話の流れで、子どもの雑貨や服、家具、本などを扱う「3 Feet High(スリー・フィート・ハイ)」っていうセレクトショップのプロデュースをすることになり、04年11月にオープンしました。

  場所は大阪・南堀江。3フィートってだいたい91センチメートルくらいのことで、身長が91センチまでの人のためのショップ、というのがコンセプト。入口に小さいドアも付けたんですよ。

  子ども服の世界はまだまだ感覚的なところが遅れているように思います。今の40代のお母さんの頃のセンスのまま止まってる。今のお母さんのメインである30代は、子どもに着せたいっていうものと自分が着たいものとのがセンスが近いんじゃないかな。そこに今ようやく気が付いたメーカーが少しずつリニューアルしているみたいですね。

  そういうのって、時代の「本質的なもの」が見えているのかどうかの差でしかないと思いますね。

  早いもので、日本に来てもう12年目。会社をつくってからは来年で10年になります。今は、「旅」と「子ども」っていう対峙する2つのテーマをやることで、僕のなかではいいバランスになっているように思います。

  でも、バーンって目立つのではなく、ちょこちょことちゃんとやっていくのが理想なんです。
知り合いからはよく「ルーカスは植物っぽい」って言われるんですが、松井のようなホームランバッターじゃなくって、毎日1〜2本ずつちょこちょことヒットを打ち続けるイチローみたいなのが今の時代には合っているようにも思いますね。社名のニーハイメディア・ジャパンのニーハイとはヒザの高さっていう意味。日本の茶室とか家の勝手口とか腰を低くして出入りするようなスタンスでビジネスができればっていう意味を込めて付けたんです。

  今、やりたいことは3つくらいあるかな。それが何かはまだナイショです。そうそう、2月18日に、イトーヨーカ堂さんの新しいプライベートブランド「Deux+(ドゥ プリュス)」っていうのがデビューしたんですけど、そのクリエイティブワークをやりました。レディスとメンズ、それからレディスの服をそのまま小さくしたかわいい子供服もあるんですよ。デザインも生地も価格もいい。すごく今の時代っぽいと思いますね。


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