2004.05.10
その他|OTHERS

hanae* インタビュー

『小学生日記』著者/モデル/中学1年生

本の力って不思議だって思うんです。

アメリカにいた小さいころは絵本をよく読んでいました。たぶん、お母さんが図書館で借りてきたものだと思うんですが、明るい感じの絵の本が好きだったような気がします。

なかでも大好きだったのは、初めて買ってもらった『I LIKE ME』っていうタイトルの絵本です。ブタの女の子が主人公の話なんですが、私は休みの日はこうしています、私はこれが得意です、っていうことがただ書いてあって、最後に「I LIKE ME」、わたしはわたしが好きだ!って明るく言う。そんな短い単純な感じの本なんですが、声を出して何回も何回も読んでいました。自分に自信がある、ということじゃなくて、自分が好きで、失敗しても成功しても自分が自分でいられる。声を出して読まないと感じが出てこない本で、読んでいるとなぜか元気になったり、明るい気持ちになったりできたんです。今でもときどき声を出して読んでいます。

日本に帰って来てすぐに夢中になったのは紙芝居でした。アメリカにはない日本独特のものでしたし、絵だけでできていて文字は誰かが話すというのが新鮮で、学校が終わった後、母の仕事帰りによく近くの図書館に観に行きました。よく覚えていないんですが、流行りのキャラクターものとかではなく、かぐや姫とか昔ばなしが多かったような気がします。本はひとりで読むものだけれども、紙芝居は誰かといっしょだったり、ひとりに対して何人もが聞く、というのが好きでした。それから何ヵ月かたって、少しずつ童話などを読むようになりました。

お母さんとの交換日記

小学校に入ってからもよく図書館に行っていました。本はほとんどそこで借りていました。母が作者の名前や本の題名、日にちを書きとめた読書ノートを付けてくれていたので、1回読んだものをまた読みたくなった時も、ひとりで本を選ぶことができました。

母は大学で英語を教えていて、いつもはわたしが家に帰って少ししてから帰って来ました。でもときどき遅くなることもあったので、1日の学校での出来事を母に伝えるためにノートに書き、母がそれに対して返事を書く、という交換日記のようなものをするようになっていました。といっても、母が帰って来るとノートに書いたことと同じことを話していたので、同じ出来事を話したり書いたりという両方をやっていたことになります。今思うと、口語調の文章が書けるようになったり、あったことをできるだけ分かりやすく人に伝える練習になっていたのかもしれません。

自信がもてるものをいっぱい持っていたいんです。

日本で暮らすようになって最初に「しちゃいけない」と思ったのは、人前で自慢するみたいなことでした。何となく日本ではダメなんだな、ってすぐにわかりました。たとえば、人に「hanaeちゃん上手だね」って言われても、気がついたら「いえ、そんなことないです」って言うようになっていました。アメリカでは人に褒められて否定することなんてありません。それよりも、もっと「わたしはこんなことができます」ってもっとアピールするのがふつうのことでした。実は、自分では意識していなかったんですが、久しぶりに日本に帰って来た兄に「hanae*は変わったね。なんかヘンだよ。日本人っぽくなった」て言われたことがありました。知らず識らずのうちに、日本人っぽい考え方や話し方になっていったのかもしれません。

日本に帰って来てすぐにはじめた習い事はピアノでした。実はアメリカにいたころ、兄がピアノを習っていてちょっとうらやましいと思っていたんです。そのころ家ではキーボードだったんですが、どこかのボタンを押すと自動的に音楽が流れるしくみになっていて、兄がいない時によくそのボタンを押して弾いているマネをして遊んでました。それがすごく楽しかったので、母にお願いをして習うようになりました。

モデルの仕事も自分からやりたいって母に相談したのがはじまりです。10歳のときでした。きっかけは、雑誌などを見ていて自分よりも少し年齢が上で、私みたいにハーフっぽい人でかっこいいな、って思う人がいたのと、なんかの形で自信の持てるものができるといいなと思ったからです。

ちょうど学校の友だちのなかにも、ふだんの会話ではわからなかったんですけど、実はこんなにこれができるとか、自分の得意なものとか自分を生かしていけること、自分が集中できるものをみんなが持っているということに気づいた時期でした。わたしもピアノという得意なものを持っていたので、それにしようかなと思っていたんですけれども、まあ、ひとつだけじゃなくて、いろんなものをやってみよう、という気持ちと、モデルというのに憧れの気持ちも少しあったと思います。いろんな可能性を探してみたいとも思っていました。
読売新聞全国小・中学生作文コンクール
受賞作品に、雑誌『spoon.』での連載を
まとめた単行本『小学生日記』。あっと
いう間に第6刷のベストセラーに。
構成力といい文体といい、すばらし
いのひとことに尽きる。彼女らしい
清々しい文章はまっすぐ心の中に入
って切ない。

「作文家 hanae*」の誕生

読売新聞社主催の作文コンクールに応募したのも、そんな「やってみよう」と思ったもののひとつでした。最初は小学校3年生のときでした。もともと小学校1年生のときから四谷大塚の通信教育をやっていて国語は得意だったんですが、交換日記に書いた日々の出来事をもとに作文にまとめてみたら、と薦めてくれたのは母です。最初は作文用紙に手で書いて、その後パソコンに入力します。何回も何回も書き直しては一晩放っておく。翌朝読んでみるとまたなんか違うような気がしてまた書き直す。その繰返しです。

もちろん母にもアドバイスをもらいましたが、母は17年間アメリカで生活していたこともあり、すごくハッキリしていて厳しいんです。お世辞はぜったいに言いません。だから、最初に書いたものを見せたときは、ここは何を言っているのかさっぱりわからないわね、とバッサリ(苦笑)。おかげで、どうすれば読む人にわたしの思いが伝わるのか、読み手の気持ちになって書くようになりました。文章はできるだけシンプルに分かりやすく。実際にあったできごとをカメラの中から覗いているように意識して客観的に書くという訓練になったような気がします。

コンクールは全部で3回応募して3回とも賞をもらいました。小学校5年生のときに書いた『ポテトサラダにさようなら』は、夏休みいっぱいかけて書いたもので、文部大臣賞を受賞することができとても嬉しかったです。

でも、それよりも感動したのは、作文コンクールの審査員のなかに後藤竜二先生がいらっしゃったことです。その頃ちょっと友だち関係がぐちゃぐちゃしそうなときで、図書館で見つけた『12歳たちの伝説』を読んだのをきっかけに先生の作品にハマっていたときでした。虫垂炎で入院した時にも何回も読み返しました。なんだかほんとの友だちができたみたいで、ひとりで病院にいてもぜんぜん寂しくありませんでした。

そうしたら、その1ヵ月後にわたしの作文が受賞したという記事が新聞に載っていて、先生が審査員だったことがわかったんです。大好きな作家の先生がわたしの作文を読んでくださったのかと思ったらとってもドキドキしました。表彰式には先生もいらっしゃって、ものすごく緊張しました。

コンクールで賞をもらったことがきっかけで、雑誌『spoon.』で「小学生日記」という連載をすることになりました。編集長の斉藤さんや事務所の窪田さんにお題をもらって、日常生活のできごとをまとめた作文のようなものです。
4月27日発売の『spoon.』では、hanae* ちゃんの小学校卒業を記念して、特集 記事が組まれている。

小学校卒業

中学受験をしようと思ったのは、小学校3年生のときに体験入学に参加してからです。これもやってみようと思ったことのひとつで、4年生からはじめたんですが、とうとう受験、受験という感じになったのは5年生からです。

わたしは母のように自分にも厳しくきちんとできないので、何かをするのはリビング、というのが我が家のルールになりました。自分の部屋だとすぐに気が散って別のことをやってしまうんです。リビングだとTVが付いていても緊張感があるので、みんな見てるし、わたしが座る場所の前の方にキッチンがあるんですけど、母が振り向くとすぐに私が見える。母も大学の採点とかをする時は、いっしょのテーブルで向かい合ってやっていました。でも、朝早く勉強するようになると、リビングだとみんなバタバタしていて、アイロンかけている横では気が散るし、まわりだって邪魔なので、少しずつ自分の部屋でやるようになっていきました。

そして受験も無事に終了。これで受験期ということでお休みしていたピアノのレッスンも再開です。合格したという慶びと同時に、6年間過ごした小学校を卒業するという事実がどーんと目の前に降りて来て複雑な気持ちになりました。そんな「卒業」というのが作文がお題になり、卒業お祝い企画ということで、「小学校卒業旅行日記〜京都・大阪1泊2日の旅」という、ちょっとした紀行のような文章にもチャレンジしてみました。4月27日発売の『spoon.』6月号に掲載されていますので、よかったら読んでみてください。
初めてのインタビューは、今春話題 のディズニー映画『ピーターパン』 の主役、ジェレミー・サンプター君!

「カノウセイ」

中学生になって新しいクラスで自己紹介カードを書くというのがあって、そのなかにお薦めする本という欄があったんです。重松清とか書くの私だけだろうなあと思っていたらもうひとりいたんでびっくりしました。その子は『ナイフ』を薦めていました。わたしは『ビタミンF』とか『エイジ』『小さき者へ』などが好きです。 重松先生の本を読むようになったのは母の影響です。もともと母が大好きで、その次に兄が『ナイフ』にハマって次々と読みはじめたことから、わたしも読むようになりました。悲しいけど、元気になれる、そういう話が好きなんです。 ところが、このあいだ仕事で『ピーターパン』の試写会を観たんですが、自分が感動しているのにびっくりしました。それまでは、実際にありそうな話でないとあまり好きになれなかったんです。人が空を飛ぶなんてありえないじゃないですか。リアルじゃない。なのに、久しぶりにそういう映画を観て感動していたんです。 でも、よく考えてみると、そういうありえないお話、人間ができないような不思議なこと、魔法とかも含めてまた好きになったのかなあ、思いました。なぜなら、昔々好きだった本はブタの女の子が主人公で、しゃべれるわけはないし、洋服なんて着ているわけがない。だけれども、そんなお話が大好きだったんですから! このあいだ、『ピーターパン』の本を家の近くの書店で見つけたんです。たまたま母といっしょだったんですが、これ買おっかなーって言ったら、「いや、あんたは英語で読みな」って言われました。やっぱり原作で読む方がいいんだそうです。英語もいっぱい読めるようになったら読みたいなと思っています。 ピアノやってるし、モデル活動もやってるし、文章も書いたりしているし、その全部に共通するのは“表現”できる仕事につきたいということだと思います。将来は、実際にあった身の回りのことではなくて、自由にお話をつくってみたいと思っています。でも、それにはやっぱりいろんな経験が必要なので、これからもいろんな可能性を見つけていきたいと思っています。


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